いぬくそ看板の向こう側

いぬくそ看板の背景に存在する「人間ドラマ」を紹介するブログです。

フォードKa その2

2020-04-19 11:00:00 | 背景はクルマ
いぬくそ看板物語(3)

2014年7月26日、大阪市城東区にて。 
この写真は、Kaのおかげで行動範囲が広がった頃に撮影したものである。この時期より前は、あくまで「看板」を撮影していた。看板ではなく「いぬのフンの片付けを促す」メッセージに注目し始めたのがこの頃なのかもしれない。

当時の生活は不安定だった。パソコン出張サポートの仕事はあったものの、行動範囲が広がった分、出張範囲も無駄に広がり、効率の悪い仕事をするようになってしまった。一応、親方に付いて正社員として扱ってもらっていたが、そもそも給料が少なかったため、全く当てにできなかった。何か副業をしなければ。切実な問題であった。

副業として目指したのが何故かライターだったのである。今までのこのまとまりの無いブログを見て、私がライターを目指していたなど信じられないと思う。しかし、月刊宝島の読者投稿コーナー「VOW」への憧れが捨てきれず、軽い気持ちで活動を始めることとなった。

まずはブログの開設。まだ消さずに残してある(気にするほどじゃないけれど)。デイリーポータルZの読者投稿に何度か紹介していただいたが、それから先が続かなった。編集会議がやっているライター講座も通った。こちらも講師と仲良くなれず、ライターへの道を切り開くことはできなかった。結局、残骸みたいなブログとライター講座受講料の借金だけが残った。


2011年7月11日、京都市伏見区にて。
いぬくそ看板の「看板」そのものではなく、いぬくそ看板を「現象」として見る。これが重要なのだ。この写真のように、既製ではなく手書きの(おそらく子供会とかに作らせた)ものを設置する意図は何か。そこまで見抜けないと、そもそも伝えるメッセージが弱くなる。物事の本質の大切さと、それを見出すことや伝える事に課題がある事を学んだ時期であった。

「ライターを目指す」事は、この後もダラダラ続けるのだが、現状を見れば推して然るべしである。結局京都での生活は経済的に破綻してしまい、実家に逃避することになった。実家に帰ってしばらく後、フォードKaともお別れとなる。いぬくそ看板は役に立っているが、私のこの時期は全く無駄な数年間であった。


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