原宿をぶらついていると、占いフェアの前を通りかかった。
転職活動中の友人が「やりたい」と言い出して。
占い師のブースが並ぶフロアに入ると、たまたま空いたテーブルが一つ目に入った。
友人が「一緒に聞いて」と言うので、女性占い師の前に二人並んで座る。
真剣にあれこれ訊ねる彼女につられて、「じゃあ、私も」と鑑定を受けてみることにした。
「一生、食べるに困らない」。
他にもいろいろ言われたはずなのに、憶えているのはそこだけ。
かといって、「一生、食べるに困らない」をありがたく思ったわけでもなく、これが「一生、お金に困らない」だったら興奮しまくったかもしれない。
「一生、食べるに困らないなんていいじゃない!」
友人はそう言ってくれたけど、私には面白くも何ともなかった。
そのわりには憶え続けている。
ということは、案外、言われてよかった感じもあったのだろう。
考えてみれば、いくらお金に困らなくても、食べられない状況が世の中にはあるかもしれない。
いくらモテても、世の中的に成功しても、食べられないのは困る。
食は命。
生命力の源。
長生きは望んじゃいないが、「食べるに困らない」は「お金に困らない」より強運旺盛に思えるようになった。
「泥水飲んでも生きていく!」
自分の生命力に賭けて会社員を辞めると決めたとき、頭の片隅に、あのときの占いで言われた「一生、食べるに困らない」の言葉がうっすらあった。
子どもの頃は食べるのが苦痛で、小学校にあがるまで食が細く、夕飯のときには
「いつまで食べてるの!」
と若い母によく叱られた。
食べ物が喉を通らなくて、オカズで口いっぱいにしたら、もごもごと「ごちそうさま」と言って勘弁してもらう。
そのあとはトイレに行って、ペッペッ。
何と罰当たりな。
叱られて、「もう御飯食べなくていい!」なんて言われようものなら密かに万々歳。
誕生日や雛祭り、クリスマスイヴのような特別な日は別として、とにかく食事は、うまく済ませられるかどうかの罰ゲームみたいなもの。時間との闘いでもあった。
そんなわけで、幼稚園時代の朝の定番メニューは卵かけご飯。
食べるのが遅くても、喉を通る朝御飯。
ブーフーウー(三匹のコブタ)のお弁当箱には、おにぎりとゆで卵。
食の細い子はタマゴで育ったのだ。
そうして、食べることに困っていた子は、やがて丼を茶碗代わりにするほどの大食いになり、好き嫌いもほとんどなく、今では「食べるに困らない」という占いの言葉が、何となしのよすがになっている。
一生、食べるに困らない。
できれば、美味しく喜んで食べる人でいたい。
食べるのが苦痛であったり、食べられなかったり、
そんなことも含めての「困らない」でありますように。
お裾分けでいただいたキレイな卵。
孵化する可能性があると聞いて、試しに1個だけ孵らせてみようかと大事に手に持っていたら、
「育てられないんだから、やめなさい!」
二人の年長者にたしなめられて、すべて冷蔵庫に眠る。
《07》📔📒📒