レガシーワールド
生年:1989年
毛色:鹿毛
成績:競走成績 32戦7勝
主な重賞勝鞍
1992年 セントライト記念(GⅡ)
1993年 ジャパンカップ(GⅠ)
日本騙馬初のGI制覇
レガシーワールドが死亡
公益財団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナル引退名馬繋養展示事業の助成対象馬レガシーワールドは、本日(8月18日(水曜))に死亡いたしました。
同馬は、北海道日高郡新ひだか町静内豊畑のへいはた牧場にて繋養され余生を送っていました。
競馬が大きな盛り上がりを見せていた1990年代。自分も例にもれず、競馬にハマっておりました。ただ、どっぷりとギャンブルにハマることはなく、今、再び注目を集めるようになっている生い立ちやストーリー、血統、因縁などに楽しみを見つける、いわゆるロマン派と呼ばれるようなカテゴリーに属しておりました。未だに別冊宝島の競馬読本シリーズをほぼ全て捨てられずに持っていたりするような、そんな残念な人と言えばわかってもらえるかと思います(?)。
そんな自分の中でも思い入れのある馬は多くおりますが、一番好きな競走馬は? と聞かれれば、今も昔も変わらず「レガシーワールド」と答えるほどに、自分の中で強力なインパクトを与えてくれた馬でした。
あの世代は、同じ戸山厩舎のミホノブルボンが超特急の名のもとに大層な人気を誇っていましたが、それとは別に外国産馬「ヒシマサル」や騙馬「レガシーワールド」などクラシック路線に出走出来ない馬がトライアルレースに勝ってしまい、もしかしてそっちの方が強いのでは? という疑念を生むことも多くありました。そんなレースの一つが「セントライト記念(GII)」。この後にミホノブルボンの三冠を阻止することになるダービー2着馬のライスシャワーが出走するレースでした。とはいえ、この時は、休養明けでもあり、他の上り馬もいたことから3番人気ではありました。
パドックは相変わらず落ち着きが無い・・・というよりも、見るからにダメだろうという気合と発汗で荒ぶっていますが、それが通常というのはもうお約束。レースは、ミホノブルボンのような逃げというか貫禄を持って先頭を進むレースですが、毎度な勢いのまま前に行ってしまったという感じ。ただ、鍛え上げられたパワーが違うという感じで今までであればそのまま押し切ってしまっていましたが、やってきたのがライスシャワー。残り1ハロンで差されてしまった・・・はずが、なんと盛り返しての頭差勝利。
・・・しびれました。
あの負けん気に惚れました。それからすっかりお気に入りです。
ドンカスターSでは、すっかりライバル対決のような様相を呈していた「ヒシマサル」にも勝利。ジャパンカップで4着。有馬記念では、メジロパーマーに届かず2着。戦績だけ見ればすっかり一流馬の仲間入りとなりました。その後もホワイトストーン、メジロマックイーンの2着になったりと、故障はありながらも強さを見せておりましたが、何といってもその後の最強外国勢とウイニングチケットを相手にしてのジャパンカップでの1着。デザーモのチョンボと翌年のマーベラスクラウンのJC勝利もあって、なんとなく評価が低く見られている気がするのが残念ではありますが、「国産騙馬初のGI制覇」という偉業を残せたことは嬉しく思っています。その後、怪我明けからは、すっかり強さが見られなくなってしまいましたが、騙馬の宿命ということもあり8歳まで活躍をしたのでした。
その後は、功労馬としてへいはた牧場で余生を過ごして、同時代を活躍したナイスネイチャと共に長生きをしておりました。
案内看板には、今でもこのようにレガシーワールドの功績があって嬉しくなります
この時の訪問は、2019年
ブームで大騒ぎになるちょっと前なので静かなものです
この日は厩舎内のみとのことでした
こう見ると年齢を感じます
こちらに来てくれないことを思ってか仲良しポニーさん投入
ポニーさんは来てくれるのですが・・・
やっと出てきてくれました
牧場の方から頂いた細かく切った人参をあげてスキンシップ
嬉しかったです
もう一度その雄姿をと思い、レガシーワールドのテープ(名馬物語II 史上最強騙馬 レガシーワールド)を見ようと思ったら、家にVHSデッキが無くなったことを思い出し・・・涙。
今までもこれからも自分の中のNo.1 競走馬。安らかにお眠り下さい。
生年:1989年
毛色:鹿毛
成績:競走成績 32戦7勝
主な重賞勝鞍
1992年 セントライト記念(GⅡ)
1993年 ジャパンカップ(GⅠ)
日本騙馬初のGI制覇
レガシーワールドが死亡
公益財団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナル引退名馬繋養展示事業の助成対象馬レガシーワールドは、本日(8月18日(水曜))に死亡いたしました。
同馬は、北海道日高郡新ひだか町静内豊畑のへいはた牧場にて繋養され余生を送っていました。
競馬が大きな盛り上がりを見せていた1990年代。自分も例にもれず、競馬にハマっておりました。ただ、どっぷりとギャンブルにハマることはなく、今、再び注目を集めるようになっている生い立ちやストーリー、血統、因縁などに楽しみを見つける、いわゆるロマン派と呼ばれるようなカテゴリーに属しておりました。未だに別冊宝島の競馬読本シリーズをほぼ全て捨てられずに持っていたりするような、そんな残念な人と言えばわかってもらえるかと思います(?)。
そんな自分の中でも思い入れのある馬は多くおりますが、一番好きな競走馬は? と聞かれれば、今も昔も変わらず「レガシーワールド」と答えるほどに、自分の中で強力なインパクトを与えてくれた馬でした。
あの世代は、同じ戸山厩舎のミホノブルボンが超特急の名のもとに大層な人気を誇っていましたが、それとは別に外国産馬「ヒシマサル」や騙馬「レガシーワールド」などクラシック路線に出走出来ない馬がトライアルレースに勝ってしまい、もしかしてそっちの方が強いのでは? という疑念を生むことも多くありました。そんなレースの一つが「セントライト記念(GII)」。この後にミホノブルボンの三冠を阻止することになるダービー2着馬のライスシャワーが出走するレースでした。とはいえ、この時は、休養明けでもあり、他の上り馬もいたことから3番人気ではありました。
パドックは相変わらず落ち着きが無い・・・というよりも、見るからにダメだろうという気合と発汗で荒ぶっていますが、それが通常というのはもうお約束。レースは、ミホノブルボンのような逃げというか貫禄を持って先頭を進むレースですが、毎度な勢いのまま前に行ってしまったという感じ。ただ、鍛え上げられたパワーが違うという感じで今までであればそのまま押し切ってしまっていましたが、やってきたのがライスシャワー。残り1ハロンで差されてしまった・・・はずが、なんと盛り返しての頭差勝利。
・・・しびれました。
あの負けん気に惚れました。それからすっかりお気に入りです。
ドンカスターSでは、すっかりライバル対決のような様相を呈していた「ヒシマサル」にも勝利。ジャパンカップで4着。有馬記念では、メジロパーマーに届かず2着。戦績だけ見ればすっかり一流馬の仲間入りとなりました。その後もホワイトストーン、メジロマックイーンの2着になったりと、故障はありながらも強さを見せておりましたが、何といってもその後の最強外国勢とウイニングチケットを相手にしてのジャパンカップでの1着。デザーモのチョンボと翌年のマーベラスクラウンのJC勝利もあって、なんとなく評価が低く見られている気がするのが残念ではありますが、「国産騙馬初のGI制覇」という偉業を残せたことは嬉しく思っています。その後、怪我明けからは、すっかり強さが見られなくなってしまいましたが、騙馬の宿命ということもあり8歳まで活躍をしたのでした。
その後は、功労馬としてへいはた牧場で余生を過ごして、同時代を活躍したナイスネイチャと共に長生きをしておりました。
案内看板には、今でもこのようにレガシーワールドの功績があって嬉しくなります
この時の訪問は、2019年
ブームで大騒ぎになるちょっと前なので静かなものです
この日は厩舎内のみとのことでした
こう見ると年齢を感じます
こちらに来てくれないことを思ってか仲良しポニーさん投入
ポニーさんは来てくれるのですが・・・
やっと出てきてくれました
牧場の方から頂いた細かく切った人参をあげてスキンシップ
嬉しかったです
もう一度その雄姿をと思い、レガシーワールドのテープ(名馬物語II 史上最強騙馬 レガシーワールド)を見ようと思ったら、家にVHSデッキが無くなったことを思い出し・・・涙。
今までもこれからも自分の中のNo.1 競走馬。安らかにお眠り下さい。
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