探訪日 2017年10月9日
※数年前の古い画像になります。
昭和4年に発行された「全國花街めぐり」によると
「市街の中央部港寄の方に「稲荷町」、南端に「新柳町」があって土崎の花街としては、稲荷町の方が古い歴史を有して居るのであるが、今日は酌婦専門の私娼窟の如くなってしまって甚だ振はない。新柳町の花街は文政四年の創業で、數度の祝融に禍ひされて昔日の觀無しとは言われるが、割烹店などにも大きな家があって、土崎港の花街として恥づる所はない。」とあります。
旧「大正亭」。土崎で唯一現存する遊廓の歴史を伝える貴重な建物。「秋田県の遊廓跡を歩く」でも紹介されています。
実はこの大正亭の内部、家主様に許可をいただき特別に見せてもらう事ができました。貴重な妓楼内部の画像は次回upしたいと思います。
大正亭2階手摺り部分。
大正亭の向かいにある古い医院の建物。
赤線跡と思われる通りにはスナックや小料理屋、旅館と思われる建物が残っています。
古い料理飲食等の特別徴収義務者証票のプレート。
何か挟まっている…蛹か繭?
特殊飲食店街があった通り。
小料理屋風の店舗跡。入り口が少し斜めになっています。
店舗跡の建物を裏側から撮影。
カラフルなブロック硝子が埋め込まれたピンク色の壁と斜めの入り口がレトロで素敵。
手前の店舗は現役の様です。
壁の18禁プレートは古いです。
廃業した藤政旅館の建物。
隣の建物には外された旅館の看板が残っていました。
昭和レトロな型板ガラスは「野道」?かく言う私の実家も昭和レトロなガラスです。
右側の新しいマンションと比べると道を隔てて異空間…?かつてはマンション側にも古い店舗跡があったと思われます。
廃業した店舗の内部をチラリ…
今回歩いた稲荷町は明治から公娼が許され、芸妓も居た古い時代から遊廓であった様です。昭和に入ると私娼窟化し昔の面影は無く、戦後も赤線として続いていた様です。
昭和4年の「全國花街めぐり」には
・竹屋
・大正亭
・末廣屋
・勝手楼
・かねそ
外八軒の料理店にそれぞれ酌婦を置いて居る。その數總て四十餘人…と紹介されています。
新柳町から芸妓を稲荷町の料理店に呼ぶ事は禁忌とされていた様で、料理店の方も芸妓を呼ぶ事は好まなかった様です。
売春防止法施行前の特殊飲食店時代には
・大正亭
・竹屋
・柳月
・浮代
・清本
・小松屋
などの料理店があり、2~3人の酌婦さんを置いて居たらしく、大店の大正亭と竹屋は4~5人も居た(秋田県の遊廓跡を歩くより一部抜粋)
次回は『大正亭』の貴重な内部を紹介します。
探訪日 2017年10月9日