今回は戦後のバラック闇市から始まったとされる商店街へ…
岩手公園内に形成され、盛岡城(不来方城)のお濠に囲まれたノスタルジックな商店街…と言う感じでしょうか。
戦後、海外引き上げ者らが、櫻山神社境内にバラック店舗を構えたところから始まったと言われており、数十軒の木造二階建ての店が連なる商店街です。
商店街の中にある鳥居。
看板建築の薬局。
すぐ隣には、盛岡じゃじゃ麺の元祖「白竜パイロン」
よく見ると鳥居が店舗の壁を貫通している様に見えます。
鳥居には「大正六年五月吉日」とあります。
県庁側から岩手公園の石碑と商店街。
鳥居の先の商店街を進むと…
大通りを挟んで櫻山神社があります。
後半へ続く…
岩手公園内に形成され、盛岡城(不来方城)のお濠に囲まれたノスタルジックな商店街…と言う感じでしょうか。
戦後、海外引き上げ者らが、櫻山神社境内にバラック店舗を構えたところから始まったと言われており、数十軒の木造二階建ての店が連なる商店街です。
商店街の中にある鳥居。
看板建築の薬局。
すぐ隣には、盛岡じゃじゃ麺の元祖「白竜パイロン」
よく見ると鳥居が店舗の壁を貫通している様に見えます。
鳥居には「大正六年五月吉日」とあります。
県庁側から岩手公園の石碑と商店街。
鳥居の先の商店街を進むと…
大通りを挟んで櫻山神社があります。
後半へ続く…
日詰遊廓跡を探して~続編~
商店街に戻り、再び散策開始
暖簾に家紋がある古い建物
道路を挟んで向かいにある店舗跡?の様な建物。
商店街の突き当たりは宿場町特有の枡形「鍵型」になっています。
突き当たりの細い路地の先にある来迎寺。
来迎寺の前にあるスナック跡の様な建物。
廃業中の様です…
枡形「鍵型」の通りに残る、古い洋品店。
照井服装店
「てるい手芸店」
周辺に残る古い店舗跡。
地元の噂では来迎寺の西側に、今でも旧遊廓「新清楼」の建物が残っている…とか。
噂の通り周辺
旧遊廓街と思われる周辺を散策していると、二階部分がせり出した遊廓建築風の建物を発見しました。外装は新しくなっている様ですが…
周辺に残る古い建物。
結局、遊廓跡の場所は特定できず…
噂通りであれば、来迎寺の西側の通りにあった建物が「新清楼」の可能性が高いと思います。
岩手県 紫波群 日詰町 郡山宿 新田地区
撮影時 2013年 7月13~9月30日
商店街に戻り、再び散策開始
暖簾に家紋がある古い建物
道路を挟んで向かいにある店舗跡?の様な建物。
商店街の突き当たりは宿場町特有の枡形「鍵型」になっています。
突き当たりの細い路地の先にある来迎寺。
来迎寺の前にあるスナック跡の様な建物。
廃業中の様です…
枡形「鍵型」の通りに残る、古い洋品店。
照井服装店
「てるい手芸店」
周辺に残る古い店舗跡。
地元の噂では来迎寺の西側に、今でも旧遊廓「新清楼」の建物が残っている…とか。
噂の通り周辺
旧遊廓街と思われる周辺を散策していると、二階部分がせり出した遊廓建築風の建物を発見しました。外装は新しくなっている様ですが…
周辺に残る古い建物。
結局、遊廓跡の場所は特定できず…
噂通りであれば、来迎寺の西側の通りにあった建物が「新清楼」の可能性が高いと思います。
岩手県 紫波群 日詰町 郡山宿 新田地区
撮影時 2013年 7月13~9月30日
岩手県 紫波にある「日詰遊廓」跡を探して来ました。
f^_^;)毎回マニアックな場所ばかりですが…
昭和5~30年頃までの遊廓案内によると、日詰郡山宿、新田地区に貸座敷数2~3。娼妓数2~10人。小規模なので情報も少なく、日詰町商店街から散策してみる事にしました…
奥州街道から日詰郡山宿へ…商店街入り口左手に一際目を引く立派な料亭風の建物。
この木造2階建ての建物は、店舗併用の蔵宿で、豪商、平六商店(造り酒屋で現、菊の司酒造)の12代、平井六右衛門が大正10年~13年にかけて当時の総理大臣「原敬」を招く為に建てられもの。酒造りと同時に要人も招く宴会場と宿泊施設としても機能していた様です。
紫波ひな祭りのメイン会場にもなるらしぃ。
↓重厚な門の内側の貴重な画像は日詰HPからお借りしてきました。
周辺にある木造の古い建物。
ここ日詰町は銭形平次の原作者「野村胡堂」の生まれた地でもあるらしぃ。
コチラの「サンプラザ日詰」にはスナック等の店舗が数軒入っている様子。
商店街
シューズ店
シューズ店の屋根にはブリキの妖精?
商店街の建物。
右手に見える「なんバザ・ホール」道の駅
この辺りは金田一京助の弟、直衛が大正14年に「白梅館」という芝居小屋を造った場所で、昭和30年頃まで続いていたとか…
オマケ画像…商店街から離れた場所で古い廃墟を発見。近づくと…
「木村産婦人科医院」とあります。
廃墟の病院跡地…結構、雰囲気あります…
しまった(((( ;゚д゚)))
遊廓跡を探すのをれてた!
続きは続編へ…
オマケ画像その②
少し進むと、旧旅館の様な建物を発見。
つづく…
f^_^;)毎回マニアックな場所ばかりですが…
昭和5~30年頃までの遊廓案内によると、日詰郡山宿、新田地区に貸座敷数2~3。娼妓数2~10人。小規模なので情報も少なく、日詰町商店街から散策してみる事にしました…
奥州街道から日詰郡山宿へ…商店街入り口左手に一際目を引く立派な料亭風の建物。
この木造2階建ての建物は、店舗併用の蔵宿で、豪商、平六商店(造り酒屋で現、菊の司酒造)の12代、平井六右衛門が大正10年~13年にかけて当時の総理大臣「原敬」を招く為に建てられもの。酒造りと同時に要人も招く宴会場と宿泊施設としても機能していた様です。
紫波ひな祭りのメイン会場にもなるらしぃ。
↓重厚な門の内側の貴重な画像は日詰HPからお借りしてきました。
周辺にある木造の古い建物。
ここ日詰町は銭形平次の原作者「野村胡堂」の生まれた地でもあるらしぃ。
コチラの「サンプラザ日詰」にはスナック等の店舗が数軒入っている様子。
商店街
シューズ店
シューズ店の屋根にはブリキの妖精?
商店街の建物。
右手に見える「なんバザ・ホール」道の駅
この辺りは金田一京助の弟、直衛が大正14年に「白梅館」という芝居小屋を造った場所で、昭和30年頃まで続いていたとか…
オマケ画像…商店街から離れた場所で古い廃墟を発見。近づくと…
「木村産婦人科医院」とあります。
廃墟の病院跡地…結構、雰囲気あります…
しまった(((( ;゚д゚)))
遊廓跡を探すのをれてた!
続きは続編へ…
オマケ画像その②
少し進むと、旧旅館の様な建物を発見。
つづく…