旧遊廓「新陸奥楼」新むつ旅館は、明治31年(1898)創業、当時のたたずまいを今に残し、かつて花街として栄えた小中野新地をしのばせる…
2006/10/21 (東奥日報)より
商取引も盛んで船宿や船乗り相手の女郎屋も数多く軒を連ねた。
明治維新後、小中野新地に遊廓が開業したのは明治28年~全盛期には、33軒の遊廓が建ち並び120名もの芸妓がいたらしい。
この「新むつ楼」は、楼主、建物の設計者、共に女性だった様です。当時、この地域の決まりで、火災などの心配から、遊廓は2階建てまで。と決められていたらしい。
厚い格子窓と唐破風(からはふ)玄関
見事な空中渡り廊下。
空中渡り廊下と階段。
2階の空中廊下へと続くY字階段。
2階段にあるお座敷。現在は宴会などに使われています。
各部屋がこの細い廊下でつながれています。
明治34年1月と書かれた帳簿。
客の住所、服装、滞在時間、接待した芸妓の名前まで細かく書かれています。
当時の芸妓さん達の写真。
欄の透かし彫り装飾。
中庭。
釘隠し「折り鶴」
釘隠し。コチラは桃の花…でしょうか?
客間。
宿泊した部屋に飾られていた帳簿。
大福帳。
玄関に飾られていた芸妓さんの絵画。
屋根にある、丸「さ」の文字。
屋根の装飾。
新陸奥楼「新むつ旅館」
青森県八戸市小中野6-20-18
2009/11/23 撮影
2006/10/21 (東奥日報)より
商取引も盛んで船宿や船乗り相手の女郎屋も数多く軒を連ねた。
明治維新後、小中野新地に遊廓が開業したのは明治28年~全盛期には、33軒の遊廓が建ち並び120名もの芸妓がいたらしい。
この「新むつ楼」は、楼主、建物の設計者、共に女性だった様です。当時、この地域の決まりで、火災などの心配から、遊廓は2階建てまで。と決められていたらしい。
厚い格子窓と唐破風(からはふ)玄関
見事な空中渡り廊下。
空中渡り廊下と階段。
2階の空中廊下へと続くY字階段。
2階段にあるお座敷。現在は宴会などに使われています。
各部屋がこの細い廊下でつながれています。
明治34年1月と書かれた帳簿。
客の住所、服装、滞在時間、接待した芸妓の名前まで細かく書かれています。
当時の芸妓さん達の写真。
欄の透かし彫り装飾。
中庭。
釘隠し「折り鶴」
釘隠し。コチラは桃の花…でしょうか?
客間。
宿泊した部屋に飾られていた帳簿。
大福帳。
玄関に飾られていた芸妓さんの絵画。
屋根にある、丸「さ」の文字。
屋根の装飾。
新陸奥楼「新むつ旅館」
青森県八戸市小中野6-20-18
2009/11/23 撮影
食事どころでは、蕎麦の神田松屋、
駒形橋の駒形どぜう、
吉原大門前・天麩羅 土手の伊勢屋、その隣のさくら鍋屋さん共々
雰囲気があります。
伊勢屋さんの店の名刺には住所が無く、
吉原大門前と書いてあるのだが笑えた。
昭和2年築の木造家屋で、て・ん・ぷ・ら を調理する・・・。
リスキーゲームって感じで
これもまた、笑えてとても良いです。