磐田演劇鑑賞会創立35年
200ステージ、延べ16万人が鑑賞
観続けた名作・話題作・名優の舞台
磐田演劇鑑賞会が誕生して今年5月、三十五年目に入る。
磐田市民文化会館が1979年に完成し、その年の5月、
待ちに待った第一回演劇鑑賞会の演劇上演の幕を開けた。
以来著名な舞台・新劇を創る魅力いっぱいの劇団の名優たちが磐田の舞台に立つようになった。
過去の名舞台の数々をあげると、懐かしい俳優たちの声がまだ聞こえてくる。
幾つかあげてみよう。
「女の一生」、「丸山蘭水楼の遊女たち」、「「子午線の祀り」、「盟三五大切」、
「マクベス」、「ハムレット」、「コーカサスの白墨の輪」、「ベニスの商人」、「桜の園」などなど。
また古典芸能として「狂言」の上演も三十作品以上もあり、
もちろん歌舞伎は前進座・ミュージカルも多彩に実現してきた。
その数220例会(特別例会含む)を超えている。
戦後荒廃した地方にあって、文化芸術の演劇への渇望が、
一つは労働運動、また一つは青年運動の中に広がり、全国にわたって活動が展開された。
磐田も青年団活動や文化活動の中に要求を実現しようと、演劇活動が生まれ広がった。
自分たちで舞台を創ることから始め、演劇のあるところへ出向いていく鑑賞への要求が育っていった。
おりしも前進座の地方公演が火つけ役であった。
また、地方公演を取り組むようになった新劇団の行動でもあった。
戦前戦中抑圧された精神が一気に解放され、芸術文化演劇への期待は、
磐田だけでない全国の青年たちの思いだった。
浜松に1961年浜松市民会館が完成した。
それまでは浜松市公会堂が演劇上演舞台を持っていただけで、
浜松以外では静岡か東京・名古屋かでしかみることができなかった。
そこに浜松市民会館ができたのだ。
当然演劇鑑賞会もできた。
これは遠州地方の演劇・文化愛好家にとってこの上ない喜びだった。
浜松市民会館には、磐田から袋井から掛川から、そして北は浜北・天竜各地から
文化への期待を持った人々が集まった。
浜松演劇観賞協議会(通称・浜松演観協・現在浜松演劇鑑賞会)発足から17年、
磐田演劇鑑賞会が発足。遅れて浜北にも掛川にも鑑賞会は生まれた。
遠くに行かなくても住み慣れた町で優れた舞台を楽しむことができ、待ち望んでいた人々を喜ばせた。
以来30数年の歳月を経て、社会の変化と働く者の意識の変化が、文化活動に多大な影響を及ぼし始め、
時代に対応できる会のあり方が求められている。
磐田演劇鑑賞会未来への取り組み
あの時代、活動家という言葉があった。人間が好き・行動が好き、そして文化が好きという活動家がいた。
その人たちはあらゆるものに希望を持っていた。
今、時代は一変して、夢を失ってしまったかのような風景になってしまった。
そんな中でこの地域で演劇を見続けようとする時、もう一部の活動家には頼ることなど出来ない。
私たち会員一人一人が演劇の素晴らしさを周りに語りかけ、誘いかけて、維持していかなくてはいけない。
会員一人一人運営に責任をもち、単なる観客はいない。
こうした取り組みは今、演劇鑑賞会のある各地で実に豊かな活動を展開している。
私たちが観ようとしている演劇は、ただ面白ければいいというものではない。
舞台から広い視野と歴史と社会を表現し、人間とは社会とはと問いてくる。
そしてそれを観ることによって、生きていく勇気を求めている。
演劇は生身の人間が演じる人間の生き様の芸術だ。
真正面から人々に語りかけてくる。
過去の作品(例えばシェクスピア)も、新たな人によって現代の視点を与えられ眼前に現れる、
さらに新たな作品が次々と生み出されてくる。舞台芸術は常に未来は豊饒なのだ。
心あるあなた一緒にこの地を演劇がある、演劇芸術の見られる豊かな街にしませんか。
事務局にご連絡下さい。