えんかん 磐田演劇鑑賞会

観劇へのお誘い   "文化のシャワーに洗われる心"

お久しぶり「青年劇場」さん

2014年07月31日 | 運営委員会

《お久しぶり「青年劇場」さん》


※ と、なれなれしく声をかけるほどの付き合いではないのですが、「青年劇場」というと磐田にとっては演鑑発足以前の物語があります。


※ まだ磐田市民文化会館が出来るずっと前、浜松演観協の地域ブロック掛川と袋井そして磐田の三ブロックに所属するサークル(概算三百人)が中遠ブロックと呼ぶ交流組織をつくっていた。その中遠ブロックが浜松演観協の地域例会を、磐田市体育館で「青年劇場」の「橋」「鳩」という作品をとりあげた事がはじまりだ。一九七三年の事だ

※ 一九六〇年代から七〇年代は、磐田などでは、時折、数年間隔で『地方で文化を』などと、劇団オルグが入って実行委員会を作り券売りして取り組んだものだ。芝居や音楽劇が体育館で上演されたが、会場条件は劣悪だった。夏は暑く冬は寒く底冷えがした。

※ 中遠地区の会員は、演劇を浜松市民会館で鑑賞というハイレベルであるのに対して、地元体育館に、単一団体が取り組むのには大きな負担と覚悟が必要としていた。

※ 青年劇場は今でこそ名が通っているが、発足は一九六四年というから磐田に現れたのは、まだ発足八年しかたっていない。浜松演観協の例会に登場したのもその頃だ。『海を見ていたジョニー』五木寛之作品からで、劇団との馴染みは薄かった。

※ 今でこそ、地域での鑑賞運動と大上段に振りかざすが、磐田での「青年劇場」の取り組みを《文化運動・鑑賞運動》として位置付けていた事は確かだ。『磐田に欲しいね、市民会館を』、磐田で例会をと声を大にして言いだした一つの象徴的な取り組みだった。

※「橋「鳩」はそうした中で成功させた。特に「鳩」に主演した上甲まち子さんの鮮烈さは、当時役員だった一人はその役名を自分の子につけたというほどだった。

※ 一九七五年に青年劇場は《チリ一九七三年》を、磐田で中遠ブロック例会として上演している。南米チリにおけるアジェンデ大統領事件を描いたものだ。

※ 青年劇場の役者は率先して会員の中に入り、芝居や人生を語った。以来四十数年、はつらつとしていた時代は過ぎて、懐かしさが先にたつが、青年劇場は、作品的にはますます磨きがかかり、清冽に時代を喝破しメッセージを突きつけている。浜松時代から観続けてきたが、いまなお鮮烈な魂を持っている事は驚きだ。

※ 青年劇場を取り上げたことで、「磐田に例会を」につながった。そして今その会館が経年劣化と、耐震不備、等で私達の例会会場が失われようとしている。四十年という時間が青年劇場との交流のみでなく、磐田の中に培ったものは大きく大切なものなのだ。 (F)

青年劇場(族譜)例会時。2014年7月31日

  青年劇場の上甲まち子さんと、会館ロビーで安間さん、長けちゃん、掛川の小野田夫妻とともに。


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