いずれにしても、つい先日まで或る人が暮らしていた部屋が空いたまま、というのは、その人の痕跡、時には温もりが残っているだけに、感慨深いものがあります。( ^_^)/~~~
私自身、五年前に母を亡くした時、空き部屋というより、まさしく空き家となった実家に戻ると、台所の食器類や食卓の置物、箪笥や本棚の内容物、、、それに物干し台や洗濯機に至るまで、今にも元気な母が出て来そうな錯覚を覚えました。(^-^)
今なお、生前の母の暮らしぶりが分かる代物が見つかります、、、特に、手紙めいた落書きメモで、私と妹の行く末を案じるような内容、、、それに、元気だった頃の理不尽な世の中や謂れもない仕打ちに対する不満、、、母が生きていた証のように、その痕跡が蘇るのです。(≧∇≦)
昨日の朝刊で、阪神・淡路大震災で愛する娘・桜子さんを失ったお母様の記事を読みました。m(._.)m
被災から四半世紀を超えた今も、お嬢様を失った折の無念に苛まれている、、、北朝鮮の拉致問題にも通じる憤り、、、やり場のない怒りや後悔だと思います。( ; _ ; )/~~~
誰もが遭遇する恐れのある別れですが、その痛みは、体験者しか分からないものでしょう。( ; ; )
主人を失い拠り所を失くしたまま、ひっそり閑とした空き部屋、、、凍て付く冬には、いっそう寂しさが募ります。m(._.)m
寂しげな空き部屋、小窓の端には、折からの牡丹雪が積もって来ました、、、住人の居ない窓辺に寂寥の念を覚える一句。
「空き部屋の窓に降り積む牡丹雪」 祖谷馬関