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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

今年も終戦記念日に想ふ

8月15日、終戦記念日を迎えました。m(__)m

靖国神社参拝問題から戦争の語り部に至るまで、テレビや報道機関は、恒例の如く特集を組んでいます。( ; _ ; )/~~~

以前にもお伝えしたことがありましたが、馬関の祖父は、戦時中、陸軍の大佐として、南方戦地で転戦し、シンガポール辺りで終戦を迎えました。(≧∇≦)

そのまま、戦犯の容疑でチャンギー刑務所に抑留され、独房で数年を過ごし、日本に帰国後は、トヨタ系列の会社に勤めました。(^。^)

定年退職後、喉頭がんを患い声帯を切除して声を失いながらも、99歳まで生きた、独りの軍人でした。(^-^)

生前、祖父や祖母が孫である私に話してくれたエピソードが今も記憶に残っています。(^_^)

・祖父母の語る、陸軍大学校卒業時の席次が毎年変わる、、、(°▽°)

・祖父は陸軍参謀の職で、中国大陸に潜伏し、スパイとして諜報活動を行っていた、、、٩( ᐛ )و

・スパイの業務遂行上、敵味方の言語、六カ国語を理解していた。(日独伊、米中仏)、、、(^。^)

 →喉頭がん発覚の際、祖父は、医者の書いたドイツ語のカルテを自ら読み取り、祖母より早く自分の病状を知っていたという。

・終戦後の抑留時、不定期の裁判の際、現地人に「乱暴を働いたのはこの人だ!」と言われたら「戦犯確定→拷問、死刑」だったこと、、、(≧∇≦)

などなど、どれも馬関少年には驚くべき思い出話でした。m(._.)m

祖父と私の年齢差は60年、、、これほどに社会背景や価値観が異なるとは、、、昭和という時代は激動だったと思い知らされます。(^_^)

そして、今、私と孫の年齢差もやはり60年、、、果たして孫の時代はどのようなものとなるのか、想像もつきませんが、大なり小なり、時代の格差が出て来ることでしょう。(^。^)

終戦記念日にあたり、これからの平和を祈るばかりです。( ^_^)/~~~

「孫の世を案じて迎ふ敗戦忌」 祖谷馬関

(注)終戦記念日は初秋の季語。【子季語】は、敗戦忌、終戦の日、敗戦の日、八月十五日。八月十五日、昭和二十年のこの日、日本はポツダム宣言を受諾して第二次世界大戦は終了した。戦争の誤ちを反省し、平和の希求を確認する日。各地で戦没者を追悼する催しが行われる。
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