わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン
頂門の一針 6934号
頂門の一針 6934号
「国益」を封じてきた日本外交
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【阿比留瑠比の極言御免】 令和6年7月18日
戦後の日本がいかに異常な言論空間に閉じ込められていたかを、改めて実感した。自民党の高村正彦元外相のオーラルヒストリー(歴史研究のための口述記録)である『冷戦後の日本外交』を読んでの感想である。この中で、高村氏と聞き手の一人で外務省出身の兼原信克・元内閣官房副長官補のこんなやり取りが出てくる。
高村氏「(平成10年7月に小渕恵三内閣の)外務大臣になって最初の講演をした時に、驚いたことがあります。私は、日本の外交は国益を守るためにやっている、と至極当たり前の話をしたのですが、外務省の若い職員が何人か来て、ありがとうございます、とお礼を言われました。彼らによると、『国益を守る』というのはそれまで言えない雰囲気があったそうです」
兼原氏「私が81年(昭和56年)に入省した時も言われましたよ。国益と戦略という言葉は使っちゃいけないと」
現在なら、外務省が国益を追求しないでどうすると誰しも思うだろうが、確かに日本はそんな国だった。
[「当たり前」の答弁]
同書とは別だが、ある大使経験者も「外務省には国益とか、愛国心といった言葉を小ばかにする風潮があった」と語る。敗戦国の引け目もあり、国際協調や友好ならばいいが、日本だけの利益を主張するのは野蛮だという発想だろう。
このエピソードを読んで「やはりか」と得心したのは次の記憶からである。平成15年6月、参院決算委員会で世耕弘成氏の中国への政府開発援助(ODA)に関する質問に、小泉純一郎首相(当時)はこう述べた。
「国益を考えない援助はあるか。ODA政策の中に国益の視点があるのは当然だ」「(援助が)どのように使われているのか。本当にその国の国民が感謝しているのか、喜んでいるのか、厳しく見直していかないといけない」
今ならごく当たり前の答弁に筆者は驚き、ただちに当番デスクに出稿を連絡した。「首相、ODAは国益勘案」「対中国『認知度など吟味』」との見出しがついた記事は、翌朝の1面トップを飾った。
[親日国を後回し]
約20年前までは、それだけ首相や閣僚、外務官僚らが率直に「国益」を語るのは珍しく下品なこととされていたのである。それが今では、わが国の国益とは無縁の場所に立っていそうな社民党の福島瑞穂党首らまで、ときに国益を口にするようになっている。
時代の変遷とともに価値観も変化していく。また10年ほど前には外務省幹部からこんな言葉を聞いたことがある。
「もともと外務省には、親日国を大切にするという発想はなかった」
あることないこと対日批判を繰り返す「反日国」に頭を下げたり、ご機嫌を取ったりするのに手一杯で、親日国と手を携えて未来へ進むことまで頭が回らなかったのかもしれない。
本書に話題を戻すと、高村氏といえば24年9月の自民党総裁選で次のように述べて、早い段階で安倍晋三元首相支持を表明した人物である。
「候補者の中で統治能力というか、官僚組織を動かす力、官僚を使いこなす力を比較すると、安倍さんが一番優れている」
当時、安倍氏に対してはこれと正反対の見方が多かっただけに、高村氏の炯眼(けいがん)に刮目(かつもく)した。本書でも、高村氏が麻生太郎元首相に電話で「このメンバーの中で内閣を仕切れるのは安倍さんだよな」と話す場面が出てきて興味深い。
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【阿比留瑠比の極言御免】 令和6年7月18日
戦後の日本がいかに異常な言論空間に閉じ込められていたかを、改めて実感した。自民党の高村正彦元外相のオーラルヒストリー(歴史研究のための口述記録)である『冷戦後の日本外交』を読んでの感想である。この中で、高村氏と聞き手の一人で外務省出身の兼原信克・元内閣官房副長官補のこんなやり取りが出てくる。
高村氏「(平成10年7月に小渕恵三内閣の)外務大臣になって最初の講演をした時に、驚いたことがあります。私は、日本の外交は国益を守るためにやっている、と至極当たり前の話をしたのですが、外務省の若い職員が何人か来て、ありがとうございます、とお礼を言われました。彼らによると、『国益を守る』というのはそれまで言えない雰囲気があったそうです」
兼原氏「私が81年(昭和56年)に入省した時も言われましたよ。国益と戦略という言葉は使っちゃいけないと」
現在なら、外務省が国益を追求しないでどうすると誰しも思うだろうが、確かに日本はそんな国だった。
[「当たり前」の答弁]
同書とは別だが、ある大使経験者も「外務省には国益とか、愛国心といった言葉を小ばかにする風潮があった」と語る。敗戦国の引け目もあり、国際協調や友好ならばいいが、日本だけの利益を主張するのは野蛮だという発想だろう。
このエピソードを読んで「やはりか」と得心したのは次の記憶からである。平成15年6月、参院決算委員会で世耕弘成氏の中国への政府開発援助(ODA)に関する質問に、小泉純一郎首相(当時)はこう述べた。
「国益を考えない援助はあるか。ODA政策の中に国益の視点があるのは当然だ」「(援助が)どのように使われているのか。本当にその国の国民が感謝しているのか、喜んでいるのか、厳しく見直していかないといけない」
今ならごく当たり前の答弁に筆者は驚き、ただちに当番デスクに出稿を連絡した。「首相、ODAは国益勘案」「対中国『認知度など吟味』」との見出しがついた記事は、翌朝の1面トップを飾った。
[親日国を後回し]
約20年前までは、それだけ首相や閣僚、外務官僚らが率直に「国益」を語るのは珍しく下品なこととされていたのである。それが今では、わが国の国益とは無縁の場所に立っていそうな社民党の福島瑞穂党首らまで、ときに国益を口にするようになっている。
時代の変遷とともに価値観も変化していく。また10年ほど前には外務省幹部からこんな言葉を聞いたことがある。
「もともと外務省には、親日国を大切にするという発想はなかった」
あることないこと対日批判を繰り返す「反日国」に頭を下げたり、ご機嫌を取ったりするのに手一杯で、親日国と手を携えて未来へ進むことまで頭が回らなかったのかもしれない。
本書に話題を戻すと、高村氏といえば24年9月の自民党総裁選で次のように述べて、早い段階で安倍晋三元首相支持を表明した人物である。
「候補者の中で統治能力というか、官僚組織を動かす力、官僚を使いこなす力を比較すると、安倍さんが一番優れている」
当時、安倍氏に対してはこれと正反対の見方が多かっただけに、高村氏の炯眼(けいがん)に刮目(かつもく)した。本書でも、高村氏が麻生太郎元首相に電話で「このメンバーの中で内閣を仕切れるのは安倍さんだよな」と話す場面が出てきて興味深い。