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丹波市の高座神社を参拝しました。

2020-11-08 07:20:00 | ぶらり散策
高座神社は、丹波市山南町の山間を西流する篠山川の左岸に開けた谷川の地にあります。
元慶3年に谷川の対岸になる金屋に創始したといわれています。主神は高倉下命で、天火明命など四柱を配祀する。中世に地頭久下氏の祈願所となり、弘治3年に現在地へ社地を遷したとされる。近世には「高座大明神」として柏原織田家の庇護を受け、篠山川流域に広がる久下谷の鎮守守として崇敬されています。




道沿いの鳥居を入ると、右手に手水舎があります。自然石を使った手水鉢です。



湧き水なのでしょうか?絶えず水が流れています。





高座神社の本殿です。国の指定文化財に登録されたそうです。

軒下には、色あだやかな彫り物があります。美しい本殿です。

本殿の裏には鳥居と小さな祠があります。山の斜面には滝があり、清水が流れていました。
鳥居は山の中に奥の院があるので、奥の院の鳥居でしょうか?


本殿を一周して、白木造りの社殿に近づいて仰ぎ見ると、軒の下を飾るのは凝った組み物と色鮮やかな幾多の彫像。白象が鼻を伸ばし、竜がうねる。鳳凰や孔雀、半人半鳥の迦陵頻伽が舞い、柿やザクロがたわわに実っています。色あだやかな彫り物に見惚れてしまいます。






林の中に石造の鳥居の石がありました。
拝殿の前には石造の鳥居があり、それにまつわる石かも知れません。



県の天然記念物では唯一の樹種、フジキです。
 あまりなじみのない木の名前ですが、小さな葉が藤の葉に似ているため名付けられたといわれています。別名・ヤマエンジュ。マメ科の植物で花は白く、その実は枝から豆のサヤがぶら下がるように実ります。

 高座神社のフジキは、幹周り420cm、樹高20mの巨木で、全国的にもフジキの巨木はあまり知られておらず、貴重な樹木となっています。





高座神社、青垣にも同じ名前の神社があります。

丹波市の高座神社に付いて調べた事を書きます。

『延喜式神名帳』にある「高座神社(丹波国・氷上郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。丹波国造家の祖神を当地の守護神として祀られた

平安時代前期の元慶3年、改めて金谷村に社殿が造営され、創建時の鎮座地は現在でも「高座の森」や「式社森」と呼ばれ、神聖視されている。

古来、田久下田久下両村の氏神として歴代領主から崇敬、庇護され、中世には地頭の久下彌三郎源時重が社殿を改築した。

戦国時代には由良城主別所氏により社領の寄進や安堵、宝物の奉納などが行われた。

弘治3年、神託が下り、現在地に遷座し、その際、久下政光が社殿を造営し、旧境内から移植された松の木は「お供の松」と呼ばれた。

江戸時代に入ると柏原藩主織田家から社領が安堵され、寛永3年(1626年)には氏子が浄財を募り、社殿を再建した。

古くから神仏習合し、別当寺院である神宮寺が祭祀を司り、「高座大明神」や「高倉大明神」などと呼ばれてきた。

江戸時代中期の宝永2年(1704年)、氏子により再建された。これが現存する本殿である。棟梁は谷川の清水武右衛門、大工は谷川の清水七郎左衛門

本殿の平面は、桁行庇3間身舎5間、梁間身舎2間庇1間、正面に向拝1間を付ける。正面5間に対し、背面6間の特異な構成である。

斗供は和様三手先(正面詰組)中備え蟇股付、手挟蟇股板支輪などの彫刻や妻組の構成に、江戸初期の技法が駆使されているとされる。県指定重要文化財。

明治初頭に発令された神仏分離令により、仏教色が一掃され、明治6年(1873年)2月に村社に列した。

明治44年に近隣に鎮座していた八神社を合祀した。明治45年3月、神饌幣帛料供進社に指定された。

御祭神は高倉下命。天火明命・比売命・建御雷命を配祀し、伊邪那美命・保食命・菅原道真・品陀別命・事代主命・大国主命・大雀命を合祀する。

境内にあるマメ科のフジキ(ヤマエンジュ)は推定樹齢400年、樹高20メートル、幹周4.2メートル、根回6.5メートル。県の天然記念物に指定されている。

元禄6年に造営された石鳥居は高さ4.57メートル、柱間3.8メートル。市の指定文化財に指定されている。

随神門は切妻、檜皮葺、三間一戸、八脚単層門。拝殿は割拝殿形式、入母屋、銅板葺、平入、正面軒唐破風。

また、境内社に五大神社がある。




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