歌劇女優憧れて上京し、帝劇に入り、ローシーの厳しい指導の元、夢を追う妙子とヴァイオリンで父親の病気の治療費を稼ぐハルが出会い、2人で歌劇ブームの大正の浅草を駆け抜けるお話。
大正の当時の歌劇界が舞台の本作品。
歌劇ブームの浅草や今では考えられない理不尽さのある大正の日本を知ることのできる1冊だと思います。
オペラとは書いてますが、イメージとしては今でいうところのミュージカルかな?イメージとしては。
オペラとミュージカルの違いを説明しろと言われると難しいですが、何となく読んでいて思うのはミュージカル方かなぁと思います。
そんな本作品ですが、今では信じられないような理不尽がバンバン起きます。
ただ、その理不尽、本当に大正特有なのか?というと恐らくそうではないのだろうなぁと思います。
例えば、本作品は大正の価値観なので女は結婚して子供を生む、男は長男なら家の跡を継ぐという考えが当たり前です。
本作の言葉を借りるなら「生まれ」に縛られるという事態が起きています。
古い!とか思うでしょうし、今はそんなことはない、女性だって大学に進学してるし、社会でだって活躍しているじゃないかと言うかもしれません。
しかし、今でも私達は「生まれ」に縛られているという側面はあります。
例えば、最近の流行りの言葉「親ガチャ」。
生まれたときの両親で受けられる教育や境遇が違うということからこのようなことが言われていると思うのですが、時代がかわっても「生まれ」に縛らるという例ではないかと思います。
また、今私達は日本国憲法で人権が保障されていて、ある程度自由にいろいろなことができます。
それは形式的には男女関係なくです。
しかし、憲法や法律は一旦おいておいても、仕事をしている以上は組織や人間関係で守るべき暗黙のルールを守らないといけないし、学校にいけば校則を守らなければならない。
そういう意味では大正時代と比較しても今の私達の生きる世界も完全自由に生きていけるというわけではなく、結局、不自由の中で限られた自由の範囲内で日々暮らしていると思います。
不自由の中の自由というか、なんというか…
それでも私が私らしく生きるにはどうしたら良いのか?
答えはきっと本作の中にあると思います。
理不尽なことばかりヒロイン妙子の周りで起きてはいますが、それでも自分らしく生きることを考えさせてくれる作品だなと思いました。
歌劇ブームはもしかすると本当に大正時代では蜃気楼みたいなものだったのかもしれないし、歌劇のことを現実を忘れさせてくれるものという意味では蜃気楼とは舞台そのものなのかもしれませんが、その蜃気楼の中を必死で生きぬいた妙子とハルを是非頭の中の大正の蜃気楼のような二人を思い浮かべながら読んで欲しい。
そんな作品です。
そして、どんなに辛くても歌や音楽があれば心を休めることができるかもしれない。
大正は私達にとっては蜃気楼みたいなものですが、きっとその時代がかわっても良くも悪くも変わらないものがあるだろうなぁと思いました。
※ブクログに掲載した感想を転載いたしました。
大正時代の浅草には歌劇ブームがあったということを初めて知るという。
確かに、ゲームの「サクラ大戦」も確か舞台は大正ですもんね…
このころの歌劇ブームを描いてますが、一瞬の華やかな夢だったのかな?と思うくらいに儚いお話だなと思いました。