葬儀業者、芥子実屋を舞台にした物語。
結婚か葬儀屋を続けるかの選択を迫られる佐久間真奈がヒロインで、それを取り巻く人たちのお話。
町田先生の作品で葬儀屋というと『ぎょらん』みたいな話かな?と思ったら、そうではなく、作者らしい、胸糞悪い登場人物がヒロインやそれを取り巻く人々に試練を与える、もしくは与えられていたけど、人の死と葬儀を通じて、光が見えそうだなぁと、登場人物達がまさに「夜明けのはざま」にいる物語です。
各章、登場人物が切り替わり、その登場人物達のエピソードがあるのですが、ほんまにこんな人おる?くらいに胸糞か悪い人物により試練を与えるなと思う内容。
しかし、その胸糞行動をやっている本人達の殆どに悪意がないというのがポイントで、実はその胸糞悪い行動や言動、私もまわりにしているのかもしれないと思えることもいくつかあります。
そして、こう思うのです。
「人は実は自分勝手に生きている」
他人のためとか言いながら、結局自分が傷つかないために、あるいは自分の思い通りに生きるために我を強くもって生きているなと。
あれ?これ、最近、何かの本を読んで、同じことを思ったな?
と思い返したら、凪良先生の『星を編む』でも同じことを思ったわと思い出しました。
そして、大体の行動は悪意ではなく善意や正しいと思っていることに基づいて行動しているということを。
そう読むと、胸糞悪いなと思っていた登場人物も各章の別の角度から読むと普通の言動だなと思うこともあるなと思うこともあります。
そして、芥子実屋の由来や、あなたのための椅子など、を通して、本作品を読むための全ての装備を整えた後にやってくる、ラストの「一握の砂」の章。
無限の可能性がある中で、今まで生きてきた中でした選択はほんの少ししかなく、実は一握りの砂みたいなもの。
それを大事にこれからも生きていくし、その大事に握りしめられたいつか砂は地面に帰るかもしれない。
でも、その砂は誰かが拾いまた握りしめてくれるかもしれない。
そんなメッセージを勝手に受取りつつ、大事なものを大事にしないとなと強く思った読後でした。
きっと私も夜明けのはざまにいる。
※ブクログに掲載した感想を転載しております。
私たちはたくさんの選択肢を捨てて生きている。そうまさに一握りの砂を握って。
その砂は誰かに引き継がれるかもしれないに、砂にかえるかもしれない。
握った砂はせめて逃さないようにしないとですね。