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自称:沖繩対策本部長■沖縄祖国復帰を実現に導いた昭和天皇の「潜在主権方式」のご提案(中編)

2011年10月06日 17時42分17秒 | 沖繩祖国復帰の真実

 

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<前編> http://p.tl/zBgk <後編> http://p.tl/BIod

■沖縄祖国復帰を実現に導いた昭和天皇の「潜在主権方式」のご提案(連続3回シリーズ)

<概要>

1951年11月24月、米国務省が対日講和7原則(サンフランシスコ講和条約の草案)を発表しました。そこには、「琉球諸島は合衆国を施政権者と国際連合による信託統治」にするとされていました。その情報を得た沖縄県民は、未来永劫祖国に戻れなくなる危機を感じて立ち上がりました。そして、沖縄の運命を決める講和条約に向けて祖国復帰の署名運動や嘆願を続けていました。しかし、1951年9月8日、サンフランシスコにて日本と戦勝国48カ国と平和条約が締結され、翌年4月28日に公布されました。これにより、沖縄は国際的に米国を施政権者とする信託統治領として位置づけられたのです。これは祖国復帰を望んでいた沖縄県民にとっては大きなショックでした。講和条約とともに復帰は実現かないませんでしたが、この講話条約締結にあたって、沖縄県民の知らない裏では、外務省をはじめとする日本政府は沖縄の主権を失わないように熾烈な外交交渉を戦っていたのです。特に大きな仕事をなされたのは昭和天皇でした。昭和天皇がご連合国に提案された、「施政権は米国に租借するが主権は日本に残す」という「潜在主権方式」です。講話条約締結では「日本は沖縄の潜在主権を持つ」という合意を得ていたがために、数多い国際紛争の中、わずか20年後の1972年に沖縄の祖国復帰を実現することができたのです。(仲村覚)


■沖縄祖国復帰を実現に導いた昭和天皇の「潜在主権方式」のご提案(中編)

1947年9月19日宮内庁御用掛の寺崎英成を通は、日本橋三井ビルの3階のシーボルドGHQ政治顧問を訪問しました。その目的は、琉球諸島の将来と、米軍による沖縄の軍事占領を継続する必要性に関して天皇の考えを伝える事にありました。

        

   <GHQ政治顧問シーボルド>    <宮内庁御用掛 寺崎英成>

シーボルドがマッカーサー宛に送付した覚え書きが残っています。


<シーボルドがマッカサー司令官宛にまとめた寺崎氏との会談メモ(1947年9月20日)

Mr. Hidenari Terasaki, an adviser to the Emperor, called by appointment for the purpose of conveying to me the Emperor's  ideas concerning the future of Okinawa.

Mr. Terasaki stated that  the Emperor hopes that the United States will continue the military occupation of Okinawa and other islands of the Ryukyus.

In the Emperor's opinion, such occupation would benefit the United States and also provide protection for Japan. 

The Emperor feels that such a move would meet with wide spread approval among the Japanese people who fear not only the menace of Russia, but after the Occupation has ended, the growth of rightist and leftist groups which might give rise to an "incident" which Russia could use as a basis for interfering internally in Japan.

The Emperor further feels that United States military occupation of Okinawa(and such other islands as may be required) should be based upon the fiction of a long-term lease -- 25 to 50 years or more -- with sovereignty retained in Japan. 

According to the Emperor, this method of occupation would convince the Japanese people that the United States has no permanent designs on the Ryukyu Islands, and other nations, particularly Soviet Russia and China,would there by be stopped from demanding similar rights.

As to procedure, Mr. Terasaki felt that the acquisition of "military base rights" (of Okinawa and other islands in the Ryukyus) should be by bilateral treaty between the United States and Japan rather than form part of the Allied peace treaty with Japan. The latter method, according to Mr. Terasaki, would savor too much of a dictated peace and might in the future endanger the sympathetic understanding of the Japanese people.

(PDF版2ページ目)

PDF版 http://p.tl/eHNI

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【日本語訳】

宮内庁御用掛の寺崎英成は、沖縄の将来に関する天皇の考えを伝えるため来庁しました。 

寺崎
氏は天皇が米国が沖縄と琉球の他の島の軍事占領を継続するよう望んでいると述べた。 

天皇の意見では、そのような占領は米国の利益となるとともに日本に防衛力を提供する事にもなる。 

天皇が思うにそうした措置は日本の人々の中で広く受け入れられるだろう。

日本国民ロシアの脅威を恐れているばかりでなく、占領が終わった後に右翼や左翼団体が台頭し、日本に内政干渉するための根拠としてロシアが利用しうるような「事件」を引きこすのではないかと懸念している

天皇はさらに沖縄(および必要とされる他の島)の米国軍事占領は、日本に主権を保持しながら25年から50年以上の長期租借という疑制基づいて行われる必要があることを感じている。

天皇によると、この占領の方法は、日本国民に米国が琉球諸島での永久的な計画が無い事を納得させ、他国、特にソビエトや中国による同様の権の要求を封ずる事がであろう。

手続きに関しては、寺崎氏は"軍事基地権"(沖縄と琉球の他の島の)の取得は、日本と連合国の平和条約の一部ではなく、むしろ米国と日本の二国間租借条約によるべきだと感じた。

寺崎氏によれば、前者(日本と連合軍の平和条約)の方式は、押しつけられた講話という色合いが強すぎ、近い将来日本国民の好意的理解を危うくする恐れがあるという。


また、几帳面な事にシーボルドは二日後の9月22日には国務省に送付しています。


シーボルドが国務省に送付した昭和天皇のメッセージ

It will be noted that the Emperor of Japan hopes that the United States will continue the military occupation of Okinawa and other islands of the Ryukyus, 

a hope which undoubtedly is largely based upon self-interest. 

The Emperor also envisages a continuation of United States military occupation of these islands through the medium of a long-term lease.

 In his opinion,the Japanese people would there by be convinced that the United States has no ulterior motives and would welcome United States occupation for military purposes.

(PDF版1ページ目)

PDF版 http://p.tl/eHNI

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【日本語訳】

注目すべきは、日本の天皇は、米国が沖縄と琉球の他の島々の軍事占領を継続することを期待していることです。

これが主に国益に基づいた希望であることは疑いがない。

天皇はまた、中長期の租借形式でのこれらの島々の米国の軍事占領の継続を想定している。

天皇の意見では、日本の人々は(その方法により)、米国が不純な動機を持っていない事を確信し、軍事目的のための米国の(沖縄)
占領を歓迎するでしょう。


9月30日、この天皇メッセージは、講和条約の草案の作成作業を行っている国務省極東局に届きました。

この日、極東局のボートンは、琉球における米軍基地は「信託統治」の代わりに基地の「租借」で米国の安全保障の目的を果たせるか」とうテーマで軍部と国務省の代表者に提案しました。

しかし、軍部からは国連の信託統治理事会の査察と管理が不要な「戦略的信託統治」を要求するべきで「信託統治」も「租借」も不十分だ拒否されてしまいました。

軍部は、決して沖縄を他国の軍事基地として使わせてはならないという決意があり、国連の理事会の承認が必要だと、ソ連が拒否権を発動する危険性を避ける必要があったのです。

その後も、米国政府では、膨大なエネルギーを費やして沖縄問題について合意形成の作業が進められていきます。

「あくまでも主権を日本に残しながら、沖縄の「軍事基地権」を米国に提供する」という」昭和天皇のお考えは、後に米国務省極東局から、講話条約の米国全権ダレス特使へと引き継がれていきます。


■日本を共産主義国から守り、沖縄返還の道を開いた昭和天皇のご提案

この天皇メッセージのメモですが、沖縄、日本、そして日米同盟の未来を驚くほど深く洞察されたご提案だと思います。

要点を列挙してみます。

<昭和天皇のご提案のまとめ>

(1) 米国が沖縄の軍事占領を継続することを望む。

   =>目的:米国の利益になると同時に日本にロシアの脅威に対する防衛力を提供する。

   =>目的:占領が終わった後の、左翼・右翼団体が事件を起こしそれをベースにソ連が内線干渉することに備える。

(2) 米国の沖縄占領は、日本に主権を残し長期租借という形で行う。、

   =>目的:米国が永久占領する野心がない事を日本国民に示し理解を得る。

(3) 日米の二国間条約で締結する。

   =>目的:ソビエトや中国が日本への進駐を要求することを阻止できる。


昭和天皇のご提案は、ソ連の日本侵略を最も警戒されていたことがわかります。

1947年9月の時点では、日本の戦後復興の最大の敵は、米国ではなく共産主義勢力だと見抜かれていたのです。

また、講話条約の締結の方法についても鋭い洞察をされていました。連合国と平和条約を交わした場合、他国も米国と同じ権利を要求してくるから危険だと見抜かれ日米の二カ国での条約締結を提案されていました。ソ連や中国に分割占領される危険性を回避されたのです。

さらに、60年安保闘争や70年安保闘争が起きることを予測されていた文章も記載されています。

また、昭和天皇は、占領が終わったあとに勢力が拡大した左翼や右翼団体が事件を起こし、それを土台にソ連が内政干渉始めるのではないかと心配をされていたようです。

終戦直後に日本にコミンテルンが入り込み、共産革命を狙っている事も把握されていたことが伺えます。

この事実から、昭和天皇は、当時のどの日本の政治家よりも、戦後復興における日本の安全保障の機器、共産勢力の工作の危機を正しく見抜かれていたのではないかと思います。

しかし、沖縄を米国の施政権下に置くというのは苦渋の決断だったのだと察します。

その思いは、崩御されるまで持ち続けられていたのです。



(仲村覚)


<後編に続く>

<前編> http://p.tl/zBgk <後編> http://p.tl/BIod

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自称:沖繩対策本部長■沖縄祖国復帰を実現に導いた昭和天皇の「潜在主権方式」のご提案(前編)

2011年10月06日 01時18分37秒 | 沖繩祖国復帰の真実

 

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■沖縄祖国復帰を実現に導いた昭和天皇の「潜在主権方式」のご提案(連続3回シリーズ)

<概要>

1951年11月24月、米国務省が対日講話7原則(サンフランシスコ講和条約の草案)を発表しました。そこには、「琉球諸島は合衆国を施政権者と国際連合による信託統治」にするとされていました。その情報を得た沖縄県民は、未来永劫祖国に戻れなくなる危機を感じて立ち上がりました。そして、沖縄の運命を決める講和条約に向けて祖国復帰の署名運動や嘆願を続けていました。しかし、1951年9月8日、サンフランシスコにて日本と戦勝国48カ国と平和条約が締結され、翌年4月28日に公布されました。これにより、沖縄は国際的に米国を施政権者とする信託統治領として位置づけられたのです。これは祖国復帰を望んでいた沖縄県民にとっては大きなショックでした。講和条約とともに復帰は実現かないませんでしたが、この講話条約締結にあたって、沖縄県民の知らない裏では、外務省をはじめとする日本政府は沖縄の主権を失わないように熾烈な外交交渉を戦っていたのです。特に大きな仕事をなされたのは昭和天皇でした。昭和天皇がご連合国に提案された、「施政権は米国に租借するが主権は日本に残す」という「潜在主権方式」です。講話条約締結では「日本は沖縄の潜在主権を持つ」という合意を得ていたがために、数多い国際紛争の中、わずか20年後の1972年に沖縄の祖国復帰を実現することができたのです。(仲村覚)


<中編> http://p.tl/QMsK  <後編> http://p.tl/BIod

沖縄祖国復帰を実現に導いた昭和天皇の「潜在主権方式」のご提案(前編)

前編は、昭和天皇や外務省の沖縄の主権を守るための戦いが見えない国民目線で、終戦からサンフランシスコ講話条約までの流れを追っていきます。

■終戦直後の自治政府の始まり(沖縄諮詢会しじゅんかい)

玉音放送にてポツダム宣言の受諾と戦争の終結を国民に発表さらた8月15日、沖縄県民は玉音放送を聞くことができませんでした。

ラジオの電波が届かないからです。

 同日、沖縄では琉球列島米国軍政府の招集により、崩壊した行政機関の編成が始まっていました。各地区収容所から124名の代表が石川市に集って、中央機関の組織を申し合わせました。

同20日、第二回準備委員会を開き諮詢委員候補者24名の中から選挙の結果、15名の委員が選出され、正式に沖縄諮詢委員会として発足しました。これは、沖縄戦による沖縄県庁解体後、沖縄本島における最初の行政機構であり、以後、1946年に「沖縄民政府」が創設されるまで、米軍政府と沖縄諸島住民との意思疎通機関としての役割を果たしました。行政機関といっても専門の庁舎は存在せず、食料の配給が主な目的での管理委員の自宅を事務所として利用していました。

沖縄諮詢会(Okinawa Advisory Council)


■沖縄上陸と同時に「琉球列島米国軍政府」を開設した米軍(1945年4月5日)

終戦後の沖縄は、このように米軍の政府の下に自治行政組織を置く形で復興が始まりました。

では、沖縄の軍政府はいつ設立されたのでしょうか?それは、実に早く、沖縄に上陸直後の4月5日に設立されています。

つまり、ポツダム宣言を受諾する前であり、地上の戦闘が本格化する前に「琉球列島米国軍政府」が設立されたのです。

その根拠となるものが、「米国海軍軍政府布告第1号」です。太平洋艦隊司令長官ニミッツ海軍元帥の名で布告されたので通称「ニミッツ布告」と呼ばれています。

この布告は、日本政府の全ての行使権の行使を停止し南西諸島及び近海並びにその居住民に関するすべての政治及び管轄権並びに最高行政責任が、占領軍司官兼軍政府総長、米国海軍元帥であるニミッツの権能に帰属すると宣言するものでした。

ニミッツは、これを沖縄本島への上陸を開始した4月1日に布告しそのわずか4日後に軍政府を設立したのです。

これは、ポツダム宣言の執行のために設立されたGHQとは異なった性質のものです。

米国海軍軍政府布告第1号(ニミッツ布告) PDF版 http://p.tl/CKWm

 

「琉球列島米国軍政府」の設立は、本土上陸をスムーズに遂行するため

沖縄での迅速な軍政府の設立は、日本本土への上陸作戦の遂行に目的があったようです。

あまり知られていませんが米軍は、沖縄戦の遂行と共にダウンフォール作戦」という名の日本本土上陸作戦の準備が進めていました。

この作戦は、占領した沖縄の基地を拠点として九州南部の宮崎に部隊を上陸させる「オリンピック作戦」(11月1日予定)、そして、九州に確保した航空基地を利用して関東地方に部隊を上陸させる「コロネット作戦(1946年3月1日予定)」からなっていました。

この作戦を遂行するためには、沖縄の迅速な基地化が必須であり、そのためには沖縄住民も基地運営の労働力として利用を考えていたのだと思います。

布告とはいっても実際は、官民ともに戦闘の真っ最中ですので、ビラを配ったとしても素直に受け取る人はいません。軍政府の実態は、捕虜収容所の管理だったと考えられます。

実際に、沖縄の戦後の自治行政の組織化も前述のように捕虜収容所から始まりました。


■共産主義勢力の台頭により軍事拠点の重要性が増していく沖縄

終戦時、すでに沖縄では広大な米軍基地が建設されていましたが、米国内部では、沖縄を日本から分離占領したいマッカーサー等の軍部と日本へ返還するべきと考えていた国務省と意見が対立しワシントンは方針を決められないまま数年を費やしてしまいます。

そのため、沖縄の軍政府は中長期的な予算を計上することができず本格的な基地建設も民政の向上のための投資も長期的計画を建てることができませんでした。

渡航の自由も貿易の自由も無く経済的に最も厳しく、更に大学も無いため高等教育を受けるチャンスもありませんでした。

その後、急速に国際情勢は変化していきます。

1947年  312日 トルーマンドクトリン

  アメリカの対ソ基本政策である「「封じ込め政策」を宣言したもので、冷戦の宣戦布告となった。

1949年10月 1日 中華人民共和国

  共産主義政党による一党独裁国家である中華人民共和国を樹立。

1950年 6月25日 朝鮮戦争勃発

  朝鮮半島の統一支配を目論む北朝鮮が38度線を越える軍事侵攻に踏み切った。

1950年 8月10日 警察予備隊発足

  アメリカ軍の日本駐留部隊が朝鮮半島に出動することとなった空白を埋めるため創設。

 

■サンフランシスコ講話条約と沖縄の主権

対日講話条約の交渉が進み始はじめ、アメリカの対日平和条約に関する七原則が発表されます。

<1950年>

 11月24日 アメリカの対日平和条約に関する七原則


<アメリカの対日平和条約に関する七原則(1950年11月24日)>

三,領土 

日本は,(a)朝鮮の独立を承認し,(b)合衆国を施政権者とする琉球諸島および小笠原諸島の国際連合による信託統治に同意し,(c)台湾,澎湖諸島,南樺太および千島列島の地位に関する,イギリス,ソヴェト連邦,カナダ,合衆国の将来の決定を受諾しなければならない。条約発効後一年以内に何の決定もなされない場合には,国際連合総会が決定する。〔日本は,〕中国における特殊な権利および権益を放棄しなければならない。

PDF版 http://p.tl/iOmS


 

対日平和条約に関する七原則が発表されると沖縄では、急速に復帰運動が盛り上がってきました。

<1951年>

4月29日 日本復帰促進期成会(初の復帰運動組織)結成、復帰署名運動が目的

5月20日 日本復帰署名運動開始。

8月20日 署名運動終了。署名該当者数276677名のうち 199356名が署名、有権者の72.1%。

6月28日 沖縄青年連合会(現沖青協)を主体に「日本復帰促進青年同窓会」を結成復帰署名運動に協力。

7月10日 日本政府、講話条約案を公開

8月 1日 奄美大島で復帰要求波状ハンガーストライキ

8月25日 8月26日の両日に分け、嘆願書と共に復帰署名簿は、青田全権ダレス特使宛発送。

日本復帰期成会はサンフランシスコ講和条約に反対し、沖縄の即時復帰の嘆願書と署名簿を講和会議参加国全権に送付しました。

1951年8月28日〔写真:『沖縄県祖国復帰闘争史』沖縄時事出版より〕)

 

8月28日 群島知事、同議会は吉田首相ダレス米特使講和会議議長宛に日本復帰要請を打電

 

しかし、日本復帰期成会の署名や嘆願は叶うこと無く9月8日には、サンフランシスコにて対日講和条約が締結されてしまいました。


9月  8日 対日講話条約(サンフランシスコ講和条約)調印


<サンフランシスコ平和条約(日本国との平和条約(1951年9月8日)>

第三条

 日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。

PDF版 http://p.tl/mhFY



サンフランシスコ講話条約を成功に導いた天皇の提案した「潜在主権」方式

サンフランシスコ講話条約締結時、多くの沖縄県民は祖国に復帰の願いが実現する事ができず落胆しました。しかし、その後21年後、沖縄は祖国復帰を果たしました。沖縄が祖国復帰できたのは、米国務省も第三条の解釈で沖縄に対する主権が日本にあるという事を認めたからです。実は、この提案を真っ先に行っていたのが昭和天皇だったのです。

次回は、昭和天皇がどのようなご提案をされたのかを追っていきたいと思います。

(仲村覚)


<中編> http://p.tl/QMsK  <後編> http://p.tl/BIod

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