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「沖縄対策本部」 ~戦後レジームの脱却は沖縄から~
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■琉球新報が開始した新たな歴史戦「琉球処分違法論」と無防備な日本政府
◇琉球新報の暴論社説「沖縄県の設置違法論」&「沖縄県民は日本人であることが不幸」という歴史観
7月11日、琉球新報が驚くべきキャンペーン記事を掲載しました。
琉球処分(1879年の沖縄県の設置)は国際法上違反だという学者の見解を多くの紙面を割いて、大きく掲載したのです。
沖縄県が設置される前、琉球国は、米国、オランダ、フランスと通商条約を結んでいました。沖縄県の設置後、それらの条約は外務省に移されています。
それらの条約の存在を根拠に、琉球は独立国だったとし、明治時代の沖縄県設置は違法だと主張しているのです。
その根拠となっているのがウィーン条約法条約51条だとしています。
この条文では、
「国家間で条約を締結するときに、一方の国が他方の国を脅しや脅迫により強制的に締結した条約は無効である。」
としています。
沖縄県設置は、日本政府が琉球王朝を脅迫して成立したから無効だという理論です。
しかし、ウィーン条約法条約が国連で採択されたのは1969年で、日本が加入したのは1981年です。
それを、この新聞によると、「ウィーン条約法条約は慣習法を法典化したものであり、琉球処分の時には慣習法していたので琉球処分には、この条約は適用できるため、国際法上違法だ!」と全く理解できない主張をしています。
このような理論が成り立ったら、世界の国は再び紛争だらけになってしまいます。
当然、米軍による沖縄占領の根拠法となったニミッツ布告もポツダム宣言もサンフランシスコ講和条約も全て無効です。
このような理論は、一蹴するべきです。
<琉球処分は国際法上不正(琉球新報7月11日_1面)>
http://goo.gl/tKX01g
ところが、外務省の対応があまりにもお粗末です。
琉球新報社が外務省に違法かどうか問合せたところ、
「当時の状況が明らかでないので、特定の見解を述べることは困難。」
と述べたのです。
<政府説明責任果たさず(琉球新報7月11日_1面)>
http://goo.gl/wTnV8T
琉球新報は、翌日の新聞では図に乗ったように、「琉球処分の不当性が明らかになった」という社説を掲載しました。
それを「自己決定権の保証を求めている県民世論」という殆どの人が意味を理解していない世論を存在するかのように捏造しています。この言葉の定義を琉球新報はあいまいにして隠していますが、ここでいう「自己決定権」とは国連の人権憲章が唱えている「すべての民族には自決権がある。」という「民族の自決権」です。つまり、「沖縄が日本から離れることにより日本政府に従属しない民族の決定権を獲得し、県民が望む米軍基地が撤去できる。」ということを言っています。
そこで、完全に隠しているのは、「自己決定権」を獲得した瞬間に「日本人としての権利を失う」ということです。
そこで、日本人ではないが、日本人としての権利は失いたくないといった瞬間に、「在日琉球人」となり、在日朝鮮人の仲間入りをすることになるのです。
下記社説には、「琉球処分」という単語が何度も登場し、「琉球処分」=「日本による琉球の侵略」、「沖縄県民は無理やり日本人にされたために不幸が続いている。」という歴史観が込められています。沖縄県民の多くはこの新聞記事も読まず無関心でいるかもしれません。しかし、「沖縄の新聞の社説=沖縄の世論」と捉える日本国内の政治家、言論人、そして手ぐすねを引いている中国共産党がいますので、決して無視できる社説ではありません。
不快な文章ですが、是非熟読して何が起きているのかを確認してみてください。
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<【社説】「琉球処分」 不当性が明らかになった>
(琉球新報 2014年7月12日)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-228395-storytopic-11.html
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県民が歩んできた苦難の近現代史をたどり、沖縄の現状を考える上で新たな視座が提示された。自己決定権の保障を求める県民世論の大きな足掛かりとなろう。
160年前に結ばれた琉米修好条約など3条約を根拠に、国際法学者が1879年の「琉球処分」は当時の慣習国際法に照らして「不正」との見解を示した。しかも、今日の国際法に基づき、不正の責任を日本政府に追及することが可能という。
学者らの指摘に対し、外務省は「確定的なことを述べるのは困難」と回答し、不当性を否定しなかった。武力を持って沖縄の主権を侵した「琉球処分」の実相を見据えたい。沖縄の主権回復を追求する県民世論の高まりは当然であろう。
「琉球処分」の後、皇民化・同化政策が推し進められ、その帰結として沖縄戦の悲劇があった。敗戦後の米国統治下で人権を侵され、復帰後も基地の重圧に苦しみ続ける。このような沖縄の歩みと現状を考えたとき、その源流として「琉球処分」に突き当たる。
「琉球処分」をめぐっては、さまざまな歴史的評価がある。沖縄学の創始者・伊波普猷が「一種の奴隷解放也」と評したことは特に知られている。王国滅亡と併合を「進化」と捉えた視点だった。
しかし、「琉球処分」によって自己決定権を失った沖縄は日本政府の思惑に翻弄(ほんろう)された。「日本への同化」を説いた言論人・太田朝敷でさえ、沖縄は植民地的な「食客」の位置に転落したと嘆いた。
「琉球処分」に端を発した不条理は今も続いている。国際法上の不正を指摘した上村英明恵泉女学園大教授は「米軍基地問題に見られるように、琉球人の決定が日本政府によって覆される植民地状況は今も続いている」と断じた。
県民意思に反し、沖縄防衛局は普天間飛行場代替基地建設に着手した。上村氏の指摘通りだ。「琉球処分」の不当性を踏まえると、沖縄の自己決定権を踏みにじる政府の姿勢の不当性は一層明らかだ。
3条約は日本政府が没収し、現在、外務省が保持している。その理由についても「経緯が明らかでない」と外務省は回答を避けた。説明責任を回避する姿勢は遺憾だ。政府が保持し続ける理由はない。
沖縄が主権国家であったことの証しである3条約は、自己決定権を求める上での基礎資料ともなり得る。日本政府に返還を求めたい
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◇中国共産党が宣言した日本から沖縄の主権を奪う歴史戦の3ステップ
さて、琉球新報が勝手に琉球独立を日本による侵略だとか、沖縄は琉球処分により自己決定権を失ったと騒いでいるだけなら、大きな脅威とはなりません。
それが、大きな脅威となるのは、中国国内の報道と誰がどのように見ても明らかに連動しているとしか思えない実態があることです。
まず、昨年5月9日の鳳凰網のニュースを御覧ください。
<【鳳凰網2013.5.9】人民日報:中国琉球の帰属について見直す>
このニュースでは、
◎「沖縄では、琉球人員が独立運動を起こしている。」
◎「中国は琉球の帰属を見直す。」
◎「沖縄は日本に属さない。」
と主張しています。
更に昨年の5月12日に、人民日報が社説で沖縄の主権を日本から奪う歴史戦のステップを具体的に宣言しています。
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<【社説】琉球問題を掘り起こし、政府の立場変更の伏線を敷く>
(人民網日本版:2013年5月12日社説から抜粋)
http://j.people.com.cn/94474/8240975.html
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中国は3つのステップで「琉球再議」を始動できる。
第1ステップ、琉球の歴史の問題を追及し、琉球国の復活を支持する民間組織の設立を許可することを含め、琉球問題に関する民間の研究・議論を開放し、日本が琉球を不法占拠した歴史を世界に周知させる。政府はこの活動に参加せず、反対もしない。
第2ステップ、日本の対中姿勢を見たうえで、中国政府として正式に立場を変更して琉球問題を国際的場で提起するか否かを決定する。一国の政府が重大な地政学的問題において立場を調整するのは、国際的に珍しいことではない。その必要が確かにあるのなら、中国政府はこのカードを切るべきだ。
第3ステップ、日本が中国の台頭を破壊する急先鋒となった場合、中国は実際の力を投じて沖縄地区に「琉球国復活」勢力を育成すべきだ。あと20-30後に中国の実力が十分強大になりさえすれば、これは決して幻想ではない。日本が米国と結束して中国の将来を脅かすのなら、中国は琉球を日本から離脱させ、その現実的脅威となるべきだ。これは非常にフェアなことだ。
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わかりやすくまとめると次の3ステップで日本から沖縄の主権を奪うと宣言しています。
◎Step1:日本が琉球を不法占拠した歴史を世界に周知させる。
◎Step2:琉球問題を国際的場で提起する。
◎Step3:中国は実際の力を投じて沖縄地区に「琉球国復活」勢力を育成する。
この社説による歴史戦の第一ステップが、「日本が琉球を不法占拠した歴史を世界に周知させる」ですが、その発信源が中国でもなく、米国でもなく、最も効果的で説得力がある「沖縄」から発信されたのが、この琉球新報の社説だということです。
◇河野談話より危険な外務省の「琉球は薩摩と清国の両方に属する体制にあった。」という歴史観
更にこの火種を大きくする危険な対応をしているのが、「外務省」です。
本来なら、
「1879年の沖縄県の設置は国際的に合法である。」
と動じる事無く一蹴するべきが、
7月11日の記事によると琉球新報の様々な質問に対し、外務省は
「当時の状況が明らかでないため確定的な事を述べるのは困難」
と回答したということです。
何故、そのような及び腰なのか確認するために、外務省が過去にどのような見解を発表しているのか確認したところ、外交資料Q&A(幕末編)に「琉米条約」に関しての回答がありました。
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<外交史料 Q&A(幕末期)>
http://goo.gl/oNtYeC
Question
「琉米条約」とはどのような条約ですか。
Answer
アメリカのペリー(Matthew C. Perry)提督の来航により、アメリカと琉球(現在の沖縄)との間に締結された条約です。水、食料、燃料(薪)の補給、遭難船の救助、外国人墓地の保護等を約束したもので、「琉米修好条約」とも称しますが、正式名称は「亜米利加合衆国琉球王国政府トノ定約」といいます。
ペリーは1852年11月24日(嘉永5年10月13日)に本国アメリカを出発し、喜望峰、シンガポール、香港等を経て翌年5月26日(嘉永6年4月19日)那覇に到着しました。当時の琉球は、薩摩藩島津氏の統治下に置かれていましたが、他方中国(清国)との朝貢関係も維持するという「両属」の体制にありました。琉球の政府高官に修好の希望を伝えたペリーは、琉球を根拠地として日本周辺の調査を行い、その後浦賀で国書を日本側に渡し、一旦上海に引きあげました。翌年再渡航したペリーは、1854年3月31日(嘉永7年3月3日)に日米和親条約を調印した後琉球に向かい、1854年7月11日(同6月17日)、琉球国中山府「総理大臣尚宏勲」および「布政大夫馬良才」との間に「琉米条約」を調印しました。
「琉米条約」は外交史料館で所蔵しており、2004年(平成16年)の特別展示「日米関係のあけぼの:1852-1866」において展示されました。
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この回答には、河野談話を超える危険な言葉があります。
それは、
「琉球は薩摩と清国の両方に属する体制にあった。」
という回答です。
中国共産党は、歴史戦のStep1で、「日本が琉球国を侵略した。」ということを国際的に広め、先に紹介した鳳凰網のニュースでは、「琉球は日本に属しない」と背景に大きな文字が書かれています。
そこで、外務省の見解の「両属」とは、半分は清国に属していたと自ら求めていることになり、半分は侵略した、横取りしたと認めることになるのです。
この回答は、中国共産党は、歴史戦のStep1に日本政府自らが加担することになるのです。
もう一つ、平成18年の165回国会で鈴木宗男議員が琉球王国の地位に関して質問し、安倍総理大臣が答弁した記録があります。
<第165回国会 琉球王国の地位に関する再質問と答弁>
http://goo.gl/XSOMo9
平成十八年十一月一日提出 質問第一三一号
質問者:鈴木宗男 答弁者:内閣総理大臣 安倍晋三
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❏質問1:一八七二年に政府は琉球藩を設置したと承知するが、既に一八七一年にいわゆる廃藩置県が行われ、藩を撤廃する形での行政改革が行われたにもかかわらず、なぜ沖縄では藩が設置されたのか。
◎回答1:千八百七十二年当時、沖縄において県ではなく藩が設置された理由については、承知していない。
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❏質問2:琉球処分の定義如何。
◎回答2:いわゆる「琉球処分」の意味するところについては、様々な見解があり、確立した定義があるとは政府として承知していないが、一般に、明治初期の琉球藩の設置及びこれに続く沖縄県の設置の過程を指す言葉として用いられるものと承知している。
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❏質問3:一八五四年に琉球王国とアメリカ合衆国の間で締結された琉米修好条約、一八五五年に琉球王国とフランスの間で締結された琉仏修好条約、一八五九年に琉球王国とオランダの間で締結された琉蘭修好条約について、締結時点で政府はどのような関与をしていたか。あるいは一切関与していなかったか。史実に基づく明確な答弁を求める。
◎回答3:御指摘の各「条約」と称するものについては、いずれも日本国としてこれら各国との間で締結した国際約束ではなく、それらの締結をめぐる当時の経緯について、政府として確定的なことを述べることは困難である。
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❏質問4:政府は、一八六八年に元号が明治に改元された時点において、当時の琉球王国が日本国の不可分の一部を構成していたと認識しているか。明確な答弁を求める。
◎回答4:沖縄については、いつから日本国の一部であるかということにつき確定的なことを述べるのは困難であるが、遅くとも明治初期の琉球藩の設置及びこれに続く沖縄県の設置の時には日本国の一部であったことは確かである。
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この安倍総理の答弁を読んで、沖縄県出身者としては驚くばかりです。
代わりに自分が回答したいぐらいです。
当時の安倍総理は、おそらく 外務省の準備した回答を読み上げたと推測しますが、この回答は
「わずか140年前、沖縄県民は日本人ではなかったかもしれない。」
と言っているように聞こえます。
では、民間の学者レベルでは、どのような歴史認識をしているのでしょうか?
琉球処分の見解について、日中間の歴史認識についての齟齬についての報道がありました。
日中歴史共同研究報告書の発表です。
<日中歴史共同研究所報告書の比較対象表>
【琉球処分】
<中国側>
琉球は中国の臣下となった独立国だったが、日本が横取りした。琉球を併合した日本は朝鮮半島へ拡張行動をエスカレートさせた。
<日本側>
琉球は日清両属の位置にあった。明治日本による琉球処分の抵抗は支配層が中心で、民衆には明らかに良い方向への変化。
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琉球処分に関する見解は、異なりますが、まさしく50歩百歩です。
「中国の臣下となった独立国」と「日清両属の位置」の違いでしかありません。
琉球処分に関して、中国と日本の見解については、100%清国の属国か50%清国の属国の違いしかありません。
要するに、
「中国共産党はの沖縄の主権を奪うために、『日本が琉球を不法占拠した』という認識を国際的に広めようという歴史戦に対して、沖縄のメディアも左翼政治家や独立運動家も全く同様な『琉球処分は国際法上不正だ!』という主張を開始し、日本の外務省も学者も『日清両属』という言葉でそれを50%自ら認めている。」
というのが沖縄のおかれている現状だということです。
この事実を確認したときに、
「このままでは、沖縄は危ない!」
と危機感を持つのは私だけでないと思います。
◇日清戦争前に戻りつつある沖縄をめぐる日支関係
結局、
「沖縄県民はずーっと昔から、明や清と朝貢・冊封する前から日本人だ!」
と政府や日本の歴史学者が主張できるかどうかが沖縄の運命、日本の運命を左右する事態に来ているということです。
学校の歴史で教えないので、殆どの人は知らないと思いますが、実は、沖縄県の設置から日清戦争終了までは、日本と清国で、沖縄をめぐり熾烈な外交交渉がありました。
日清戦争で、日本が勝利して下関条約で台湾を割譲してからは、沖縄の領有について全く主張しなくなりました。
大東亜戦争で日本が敗北した直後、蒋介石の中華民国は一時沖縄の領有を主張していました。
しかし、米国は沖縄の歴史を研究した結果、蒋介石が主張する沖縄が中華民国に属するという根拠は薄く、もし中華民国に返還した場合は、あらたな民族問題が起きると結論を出し日本に返還するべきだとの結論を出しました。
つまり、支那の沖縄領有主張は、日清戦争後は日本の軍事力が強いため清国は沈黙し、大東亜戦争後の中華民国や中華人民共和国は、沖縄が日米同盟の下にあるため、手出しができないため、沖縄の領有を主張することはありませんでした。
更に、沖縄県民自身が自分たちを日本人である事が当然であると自覚していることが、沖縄が日本である事が当たり前であるため、日本が自ら「日支両属」や「日清両属」という言葉を使っても何の外交問題にもならずに住んでいたのです。
ところが、人民解放軍が軍事的に台頭し、米国の軍事的覇権が相対的に低下してきたことと、沖縄のメディアや世論、政治工作で、沖縄の反日工作、琉球独立工作などがある程度完成しつつあるので、沖縄の領有を主張し始めたということです。
つまり、沖縄をめぐる日支関係は、日清戦争前に戻りつつあるということです。
日本がどのように対応するべきかは、明治維新前後の沖縄の歴史を深く知ることが必要です。
沖縄を守るためには、沖縄の歴史を中国共産党以上に深く正しく知ることです。
次回から、中国共産党の歴史戦とどのように戦うべきかを論じていきたいと思います。
(沖縄対策本部 代表 仲村覚)
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「沖縄対策本部」 ~戦後レジームの脱却は沖縄から~
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