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JSN■【動画】4・3緊急国難セミナー「誰も知らない祖国復帰の真実」仲村俊子(2/3)

2011年04月08日 16時51分06秒 | 沖繩祖国復帰の真実

    緊急国難セミナー
「今こそ立ち上がれ! 祖国のために」

日時:4月3日(日)
開場12時30分 開演13時00分
 会場:沖縄県護国神社社務所・会議室
4・3緊急国難セミナー「誰も知らない祖国復帰の真実」仲村俊子(2/3)

<要点:沖縄返還批准貫徹県民大会>
 街頭でこのたすきをかけて祈るような気持ちで県民に訴えました。
・ 沖繩自民党の陳情といっしょに上京すれば交通費を持ってくれるといわれたが、これでは間に合わないと思い日程を決めたが
  これが絶好のタイミングだった。これは天の計らいだと思う。(このタイミングでなければ強行採決はできなかった。)
・ 菊地藤吉先生と末次一郎先生が東京で受け入れてくれて面倒を見てくださった。お二人とも既に他界されたが本当に感謝している。
・ 「核抜き本土並み」で返還協定反対の声をあげてデモをやっている人も沖繩の祖国復帰は決まっていると思っているとい実情を伝えた。
・ 与儀公園で復帰運動に参加するために年休をもらおうとしたら断られた。主人に相談したら嘘の年休を出せと教えてくれて、東京に長男にいるに
  「ヒデカツビョウキスグコイ」と電報を打たせた。
・ 東京では涙を流しながらチラシを配っていたら、前掛けをかけた寿司屋のお兄さんみたいな方も来て、いっしょに涙を流しながらチラシを配ってくれた。感謝します。
・ 沖繩に帰ってきた時、校長先生は「仲村の嘘の年休をだしてペテンだ。」と行っていたが、沖繩返還協定の強行採決が決まったら文句を言わなくなった。(やさしくなった。)
・ 組合の分会長が「お前たちが陳状に行ったから沖縄返還が強行採決されたんだ!決まったんだ。」とテーブルを叩いて怒っていた。
  それを見ていた校長は内心復帰賛成で、陳状が役にたったのがわかったのだと思う。
・ 校長先生と二人で那覇市の教育長に呼ばれてたが、二週間の年休を超過した事も認めてくださった。
・ 校長は「もし他の教育長だったら首だったんだよ」と言われた。
(教育長も校長も内心は復帰賛成で、陳状が祖国復帰に役にたった事がわかったから味方になってくださったと思う。)

<年表:沖縄返還批准貫徹県民大会・陳状と強行採決>

昭和46年(1971年)10月31日:

与儀公園沖繩返還協定批准貫徹県民集会1000名(那覇市与儀公園)

(わずか二週間の準備での開催)


昭和46年(1971年)11月3日:

沖繩返還協定批准貫徹県民集会実行委員、代表8名を陳情団として上京させる。


昭和46年(1971年)11月4日:

沖繩上京陳状代表団、沖繩選出の国場、西銘両自民党代議士、稲嶺参議院議員と懇談、午後自民党本部で保利幹事長、江崎国民運動本部長を訪ね早期批准を要請。


昭和46年(1971年)11月5日:

沖繩上京陳状代表団、竹下内閣官房長官、山中総務長官、佐々木民社党書記長、床次沖繩北方領土特別委員長、田中栄一外務委員長らと会見し沖繩返還協定早期批准を要請。


昭和46年(1971年)11月6日~13日:

沖繩上京陳状代表団、国会審議の傍聴に織り込んで、都心部やターミナルなどに、ビラの配布や街宣活動を展開

 

昭和46年(1971年)11月17日:

沖縄返還協定、衆議院沖縄特別委で強行採決。

社会党・共産党・総評によるスト

 

昭和46年(1971年)11月17日:

屋良主席、「平和で新しい豊かな沖縄県づくり」のための具体的な措置を求める「復帰措置に関する建議書」を

国会に提出するために上京したが、既に強行採決されており建議書は審議されずに終わった。

 

 


昭和46年(1971年)11月24日:

沖縄返還協定法案が衆院本会議で強行採決。

自民党が、沖縄返還協定を衆議院で単独採決する。


昭和46年(1971年)11月24日:

沖縄返還協定反対集会が三十六都道府県の百五十八ヶ所で開催。代々木公園には十二万人参加。


昭和47年(1972年)年1月7日:

日米共同声明で沖縄の本土復帰を5月15日と発表。

 

昭和47年(1972年)年5月15日:

 沖繩祖国復帰(沖縄施政権返還)

 

------------------------------------------<関連写真>------------------------------------------

<沖繩経済新聞 1971年(昭和46年)>

 

 

<沖繩陳情団の運動を掲載したやまと新聞>

沖繩返還協定批准貫徹実行委員会の活動の詳細を伝えています。非常に重要な歴史を記録した記事です。

 

<東京で配ったチラシ>

 

<東京で集会をする沖繩陳情団>

 

<沖繩陳情団(議員会館)>

 

<沖繩陳情団(議員会館)>

 

<請願書1>

<請願書2>

 

 

<請願書3>

<屋良主席が昭和47年11月17日に国会に提出予定だった建議書>

国会に来たときには既に強行採決された後だったため審議される事はなかった。

http://www.archives.pref.okinawa.jp/publication/G00015600B.jpg

<仲村俊子が年休をもらうために東京在住の長男に打ってもらった電報>

 

 

以上

 

 


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