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JSN■絶対に歌いたくない「琉球国国歌」

2010年10月11日 10時38分02秒 | 琉球独立工作

中国語サイトに琉球国国歌らしきものをみつけました。

公式なサイトではなく、個人のブログですので信憑性の確認はできませんが、

歌詞をみると、シナ人の考えていそうな内容で「なるほど」とうなずかされるところがあります。

この歌の表現は激しいのですが、沖教祖の教育で子供たちに教えている日本観とコンセプトは全く同じです。

つまり、沖教祖の先生たちは、知ってか知らずか、沖縄の子供たちを「シナの植民地の琉球人」になるように教育してきたという事です。

「反日」「反米」「親中」の教育をうけた結果、

結局のところシナの植民地となり下記のような国歌を毎日歌わされることになってしまうという事です。

沖縄県民は、下記のシナ人が作った国歌を歌うのか、日の丸を掲揚して「君が代」を歌うのか、最後の選択を迫られているのだと痛感しました。

このような歌を歌うことになる事だけは、何がなんでも避けなければなりません。

(JSN代表 仲村)


<琉球国国歌(琉球人歌)>

琉球は我々のものだ。

琉球は我々のものだ。

それは、恥知らずで残忍な日本のやつら

私たちの郷里を占領して

私達の妻と娘を姦淫して、

私たちの愛する国王を連れ去ってしまった。

さすらう中国琉球子民

素早くに軍刀を手に持ち

日本のやつらの頭を切り落とせ!


琉球は我々のものだ。

琉球は我々のものだ。

琉球には芳しい魚米があります。

中国は私たちを引きとって世話をして

私たちは家に変えるために戦わなければならない。

死んだ国王を奴隷化されたため、号泣します。

胸に怒りの炎あふれる琉球子民

素早く魚叉(やす)を手に持ち

万里の波濤を克服して、帰ってきなさい。


解説:
「私たちの国王を連れて行ってしまった。 」とは
1879年明治政府が琉球藩を廃止し沖縄県を設置したとき、国王(藩主)であった尚泰は侯爵に叙せられ、東京への定住を命ぜられました。
おそらく、その事を意味していると思います。実際は誰も泣いていないのですが、沖縄の歴史をよく勉強していますね。

<原文:琉球国国歌(琉球人歌)>
http://hi.baidu.com/xiaoke1993215/blog/item/acfbbe0998244480d0581bc4.html

琉球是我们的,
琉球是我们的,
是那无耻而又残暴的倭奴,
强占了我们的家园,
奸淫了我们的妻女,
把我们的可爱的国王掳去。
浪迹于中土的琉球子民哟,
快拿起战刀,
向那倭奴们的头上砍去!

琉球是我们的
琉球是我们的
琉球有我们喷香的鱼米。
中土上国收留了我们,
我们要打回故乡去。
为被奴役死的国王而哭泣。
怒火满胸的琉球子民哟,
快拿起鱼叉,
踏平万顷波涛打回去


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
侮辱的なコメントはご遠慮ください。 (JSN仲村)
2010-10-13 16:36:04
ニッポニアニッポンさん

沖縄県民は日本人です。
侮辱的なコメントはご遠慮ください。

このコメントは沖縄と本土の離間の計に力をかすことになります。

JSNは沖縄の愛国者と本土の愛国者が一体となった活動を目指して立ち上げた団体です。

趣旨をご理解ください。
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