「京都御所」西南角
疵一つとてない、きれいな築地塀。塀の外側の水路は、単なる溝(みぞ)ではなく、かたじけなくも「御溝水(みかわみず)」と称するらしいことは、前回の「出水の小川」案内板の記載から推察されます。この溝、後述する通り、ただものではありませんでした。
遠くに見えるのは、東山三十六峰の山並み。塀の屋根によって遮られる左端の辺りに「五山送り火」の「左大文字」の端っこが映っているはずですが、不鮮明です。
築地塀に次のような表示がありました。
「へいぎわ」に入ろうものなら、即座に飛んできた皇宮警察のお巡りさんに注意を受けます。端然とした築地塀を見たら、これを背景に記念撮影をしたくなるのも至極自然だと思うのですが、それを試みた観光客がカワイソウニ阻止されるのを見かけたことがあります。
あるいは、過去に、塀に「ドコソコの何某参上」などという落書きがなされたことがあるのかも知れません。いかにもラクガキの誘惑に駆られそうな、きれいで広い壁面ですから。
この御禁令を破るフココロエモノがあれば、お巡りさんがいない時間帯であっても、どこからか「コノ不届きものメ、ドキヤガレ」という意味の声が聞こえてくるに違いありません。性能の良い監視カメラが設置してあるに違いないからです。
というのも、次のような経験をしたばかりだったからです。
当ブログ [拙句__あえかにも勁(つよ)き優しみ木芽生ふ - ジロがゆく]に載せた「後山階陵(のちのやましなのみささぎ)」の周辺の石垣や土手で、山椒などの実生を採取していたとき、突然、「不審者(or侵入者)発見(orあり)・・・通報します」といった風のスピーカー音が聞こえてきたのです。山の中の、小さい御陵ですが、どこかに監視カメラが設置されていて不届き者を厳重に見張っているに違いありません。このとき、「雲上人」の世界と「下賤の者」のそれとの間には、超えがたい”身分”の差が厳然としてあり、件の警告はその表れではないかと思いました。
おそらく、御所の築地塀は、一種の「結界」なのでしょう。
「京都御所」南辺「結界」の出入り口の一つ、 「建礼門」
門の屋根の天辺にカラスが一羽、悠々と羽づくろいをしていました。無位無冠のはずなのにとくにお咎めはないようです
「京都御所」西北角の間近に椋の大木が立っています。
その案内板
「京都御所」西辺の「御溝水」を覗きながら、これに沿って北上してゆきました。「宣秋門」には、「交番」があり、若いお巡りさんが二人いて静かに談笑していました。おそらく、「御溝水」をしきりに覗きながら、ときに立ち止まったり、座り込んだりする、不審な爺ィの動きに目を留めていたに違いありません。
「御溝水」の水量は、なぜか大変少なく、深さ1センチあるかどうかと言ったところ。「宣秋門」(2021-07-20 訂正:「せんしゅうもん」は誤りで、「宜秋門(ぎしゅうもん)」が正しいことが判明)と「清所門」との中間あたりで思わず目を見張りました。
おびただしい貝の群れ。もっとも大方は死骸のようでした。
カワニナのほかに、丸々と肥えたシジミ。
滅多に見かけなくなったヒメタニシ。
それに、しばらく歩を進めたところで、なんと、川エビの取れた脚。
そして、川エビの死骸。
体長数センチ。小さいながらもこれは、幼い頃鹿児島で見たり捕ったりした「ダッマ」(「手長エビ」の意の鹿児島弁。「達磨」からの変容か? なぜ「達磨」か、は不明)に間違いありません。細長いハサミを付けた長い脚の無いところを見ると、これは雌かも知れません。何十年ぶりかのダッマとの再会にいささかならず興奮! これは、生きているのを見なければ気が済まないゾ、と浅い水面をたどって行くと、イマシタ、いました。
背中を出して歩いていました。興奮!
そして「清所門」の脇に開いた小さな流れ口には数匹かたまっているのを見つけたときには、興奮の極み。
都会の真ん中の、しかも小さい溝に手長エビとは!
手にとって見たいけれど、手を出せないのが如何にも残念無念。
これらの貝やエビの先祖は琵琶湖から来たに違いないと思います。
先の「出水の小川」の案内板にあったとおり、御所にはかつて琵琶湖疎水の水が引かれていたのですから。
同じく、琵琶湖疎水の水が引かれているという平安神宮の池には、琵琶湖では絶滅に瀕している淡水生物が今でも棲息しているそうです。
厳重に監視、管理された「御溝水」なればこそ、昔ながらの生態系が、部分的にせよ、保存されてきたということです。アリガタヤ、アリガタヤ
(マタマタ、クタビレタノデ つづく)