自燈明・法燈明の考察

心のかたちについて-臨死体験⑥

 木内氏の臨死体験の話を続けます。

 ベッドから起ち上ろうとした木内氏ですが、ベッドの上の自分の体を見てパニックに陥ったと言います。先の記事で木内氏の耳元で母親が「あ、、、死んじゃった」と言ったのも、木内氏の意識は天井を向いたままでしたが、肝心の肉体の頭がこと切れて横を向いてしまい、それを観て母親が耳元で言葉を言ったという事でした。
 この時、ベッドの足元では父親が固まっている状態で立っていましたが、木内氏は既に体調も良くなり、父親に「大丈夫だよ」と語り掛けても、その声は父親には聞こえてません。そして耳元に行って語りかけようとしたら、いきなり父親の視点で自分の姿を観ている事に気付きました。木内氏の表現では「親父に取り憑いてしまった」という状態でした。



 そのうち病室に看護婦さんが飛んできて、木内氏の肉体に飛び乗り心臓マッサージを始めるのを見ました。酸素マスクなどの機械を病室に持ち込んできて。

 「お父さん邪魔だから出てください!」

 父親は看護婦に言われるまま、病室を出て行きましたが、この時、木内氏は居場所がなく、病室の隅っこに移動して、その看護婦の様子を眺めていましたが、ふと母親の事が気になりました。母親は先ほど、部屋を出て行ったきり戻ってこないのです。

 「どうしたのかな・・」

 木内氏がふとそんな事を思い、気付くと母親の脇に木内氏は移動していました。病室から離れた場所に公衆電話があるのですが、母親はその公衆電話で木内氏の姉に電話をしていて、その脇に木内氏は居たのです。そしてその後、病室の事を考えると、瞬時に病室に移動していました。こうなってくると、木内氏も何か面白いという感じがしてきて、姉の事を思った途端、今度は姉の車の中に移動していました。そこでは誰が運転し、どの様な話をしていたのか記憶して、後に生き返った時に姉に確認をしていたら、その会話の内容は合っていました。

◆過去への移動
 この時、ふと自分が子供の時の事を思い出したそうです。木内氏が小さい頃、千曲川の河原で遊んでいた時、河原におりる道を歩いていて、岩がゴロゴロしたところに差し掛かった時、ふいにどこからか「危ない!」という声が聞こえて来て、危うく難を逃れたという事がありました。その時は周囲を見ても誰もおらず、不思議な経験だったというのですが、あれは一体誰だったのか、気になっていました。
 すると次の瞬間、木内氏は当時の河原の場所に移動していて、子供時代の木内氏を見ていました。

 「そろそろ危ないな・・・」

 そう思ってみていると、岩が落ちてくるのが見えたので、木内氏はとっさに「危ない!」と声が出てしまったそうです。すると子供時代の木内氏はその声に反応して難を逃れる事が出来ました。つまり子供の頃に聞こえた「危ない!」という声は、自分の声だったというのです。

◆未来への移動
 その後また木内氏は病室へと戻ってきましたが、病室に戻ってみると、相変わらず蘇生処置でドタバタしている状況でした。木内氏は見ているだけで暇だったのですが、そんな時ふと思ったのが、過去への移動が出来たという事は、未来の自分も見る事が出来るのだろうか。そんな興味が湧き出して来ました。

 「じゃあ今度は未来に行ってみよう」

 木内氏は適当な未来を考えた時、そこには中年になった木内氏が腰をついて、大きな畳敷きの講堂で地球の大切さ訴えている姿がありました。周囲を見回すと掛け軸があり、建物を上から見た様子も見えて、周囲には木が多く生えていたと言います。この状況は後年に、木内氏が高野山の畳敷きの講堂で、地球環境に関するセミナーを開催した事で確認できたと言います。

 木内氏がこの未来を想像した時に、一つ体験した事がありました。その内容は以下のものです。

「そこでちょっと考えたのが未来は行けるかという。で、未来はどうやって想像すれば良いのかなと思った。その頃から実は自分が産まれて現在までの、その今の思いってあるじゃないですか、思いは今と変わらないんだけど、その脳の中の記憶がですね、もの凄い記憶になってるんですよ。
つまりどういうものかというと、もの凄い天才になったような気がするんですね。すべてを知り尽くす。それを膨大念識って言ってるんですね。私は、産まれて現在までの意識は要するにこの意識、自分の意識。ところがそれ全体の記憶が同時に存在してるんですよ。その世界ってのは何かって言ったらこの宇宙もすべてその意識によって作ってるんですね。で、これを言うと非常に不謹慎だから言い辛いんです。で、その頃から、後で言いますけどね、それが段段段段それ介在してくるんですよ。この膨大な自分と現実の自分がいるってのはいったい何なのか、何なのかと思って常に自分という旧意識を持ちながらそこの中の存在を使って時間と空間の旅をするんですよ。」

 またこの後、更に未来を見ていく中で、木内氏は以下の様な事を理解したと言います。

「一つ終わらせてまた病室へ帰って来たんです。そうして帰ってきてるうちに、段段段段これはどうも生き返りそうだとか何とか言い出すんですよ。じゃ、もっと見たい見たい、宇宙の始まりも見てみたいと思って、宇宙の始まりって何だろうかと膨大な意識の中に入った瞬間に、わかったのは、すべてが自分なんですよ。この空間そのもの、膨大な意識全体が自分自身なんですよ、その全体が何にもすることなくって暇な世界ですよね。
だからそこに例えば人間の損得とか死後の徳の世界とかってないんです。何にもない。無なんですね。ただ何にも無い状態。暇潰しに、空間のひずみを作ってできたのが物質の世界。その物質の世界が、我々の言う三次元、宇宙ですね。エ-ッ、何かビッグバンじゃねえのかよ。ひずみですね。ひずみを使った時にそのひずみが解消されるエネルギ-の流れが物質の始まりなんですね。
そこで、細かい回転が起きるんですが、渦みたいなのが起きるんですが、これはガスになりますけど、これは水素元素になるんです。そのガスがワ-ッと広がるんです、全体に。そして、お互いが引き付け合ってだんだんその塊がいっぱいできてきた、それが、いわゆる私達の言う銀河系になる。銀河系の元のガスの塊。
で、それがドンドン集まってきてお互い押し競饅頭やってくうちに、その臨界量を超えるんですね。光り出して。そして大爆発を起こしてそこからいろんな星々が生まれてくるんですね。
ハ-ッ、これは俺の教わったのとは違うなあと思ったんですよね。宇宙の始まりは、無からビッグバンによって誕生した。無からじゃなかったんですね。でも、そういうものも有りか、こういう臨死の中で珍しい現象も見てるし、もしかしたら、これ幻覚かもしれない。そんな軽い気持だったんですよ。」

 この内容は形而的な内容でもあり、直ぐに「ああ、そうなのか」とは言える事ではありませんが、先のエベン・アレクサンダー氏の臨死体験の時の経験内容に、とても親和性のある内容があるのです。

◆生き返り
 この後、木内氏は臨死体験の中で様々な経験をしているうち、何となく生き返りそうだという話になっていて、看護婦さんが「キウチさーん」と頬っぺたを叩いていると、肉体が「ウー!!」とうなりはじめました。これを見ていた木内さんも「あ、、これは生き返る。どうしよう、どうしよう」と思った時、ふと父親に取り憑いた時の事を思い出しました。その時には父親の耳に近づいたという事があったので、この時も自分の肉体の耳に近づいていったそうです。すると一瞬、意識が途切れ、肉体の記憶としてあるのが、それから2~3日後の事であったそうです。

 木内氏の臨死体験というのは、極めて異質であり、多くの臨死体験者は「トンネル体験」または「三途の川」「草原」「光との遭遇」の段階で生き返っていますが、木内氏はその先まで行って、心臓と呼吸が止まる事、またその後に周囲で起きていた状況を見て回るだけではなく、時間を跨ぐ経験や、自分自身の意識の拡大などを経験しています。

 この木内氏の体験と、そこから得た知見について、他の類似体験と合わせて考えてみると、とても興味深い事が浮き出てくる内容なのですが、それは後に考察してみたいと思います。

 この木内鶴彦氏の体験は、とても膨大であり、ここでは部分部分を掻い摘んで紹介しましたが、一度、全体を見てみると面白いかもしれません。

(続く)


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