日蓮の文字曼荼羅は、大石寺の堅樹院日寛の六巻抄を元にして、まるで祈りをなんでも叶えてくれるお札という様な扱いとなっているが、その要因は具体的には以下の文言にあると思われる。
「十方三世の恒沙の諸仏の功徳、十方三世の微塵の経々の功徳、皆咸くこの文底下種の本尊に帰せざるなし。譬えば百千枝葉同じく一根に趣くが如し。故にこの本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用あり。故に暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり」
(『文段集』四四三ページ、『富士宗学要集』第四巻二一三ページ)
しかし前の記事でも書いたが日蓮の顕した文字曼荼羅とは「観心の本尊」であって、それはここで言う「祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来たらざる無く」というものではないと私は考えている。
では観心とはどの様な事なのか、それは観心本尊抄で日蓮は以下の様に述べている。
「問うて曰く出処既に之を聞く観心の心如何、答えて曰く観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり、譬えば他人の六根を見ると雖も未だ自面の六根を見ざれば自具の六根を知らず明鏡に向うの時始めて自具の六根を見るが如し」
つまりここでは自分自身の心を観て、そこに一念三千の世界を見る事を観心と言うのであって、観心の本尊とはその為の本尊を事を指している。だから創価学会の様に文字曼荼羅とは「祈りを叶える仏力法力がある御本尊様」ではないというのが私の考えだ。そこから考えると堅樹院日寛師の文字曼荼羅の解釈は間違えていると言っても良いのではあるまいか。
この文字曼荼羅の相貌について日蓮が初めて御書に著したのは観心本尊抄であり、それは一念三千を図式化したものなのだろう。そしてこれは法華経では見宝塔品から始まった虚空会のうち、従地涌出品第十五から嘱累品第二十二までの八品の姿だと述べている。
「 其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏多宝仏釈尊の脇士上行等の四菩薩文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表する故なり、是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し八年の間にも但八品に限る」
これは私見だが、日蓮はこの文字曼荼羅の相貌について佐渡流罪中に思案を重ねたのではないだろうか。宝塔を七字のお題目に見立て、それを中心にして釈迦、多宝二仏が並座し、その二仏の脇士としては地涌の四菩薩があり、その周囲に諸菩薩や諸尊が虚空にあり、諸仏諸菩薩は大地に侍る。これは日蓮の中では当に雲閣月卿の様な荘厳な情景に感じだのだろう。ただしこの具体的な姿については試行錯誤を佐渡流罪以降にも更に重ねていたように思える。何故なら佐渡以降に顕された文字曼荼羅には胎蔵大日如来や金剛大日如来、善徳如来や智積菩薩が勧請された文字曼荼羅も存在する。
教学的な位置から文字曼荼羅の意義は観心本尊抄に日蓮は述べているが、それが信仰上にどんな意義があるのか、そこについては門下の日女御前に与えられた「日女御前御返事」で日蓮はより具体的に述べている。
日女御前とは下総国の出自とか、それなりの家柄の婦人であったとか、様々な説が言われているが実際の処、具体的な人物像は判明していない。しかし日蓮から文字曼荼羅を与えられたと言う事は、それなりに信心があった見識あった女性ではなかったかと言われている。日女御前御返事は、文字曼荼羅を与えられ、その御供養として身延にいた日蓮に数々の品が贈られた事に対する返書として認められた。ここで文字曼荼羅について以下の様に述べている。
「爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、是全く日蓮が自作にあらず多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり、」
ここで日蓮は、文字曼荼羅を「法華弘通のはたじるし」として顕したものと述べ、これは日蓮が勝手に作ったものではなく、虚空会の様相を形として顕したものだと述べている。
「されば首題の五字は中央にかかり四大天王は宝塔の四方に坐し釈迦多宝本化の四菩薩肩を並べ普賢文殊等舎利弗目連等坐を屈し日天月天第六天の魔王竜王阿修羅其の外不動愛染は南北の二方に陣を取り悪逆の達多愚癡の竜女一座をはり三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神十羅刹女等加之日本国の守護神たる天照太神八幡大菩薩天神七代地神五代の神神総じて大小の神祇等体の神つらなる其の余の用の神豈もるべきや、
宝塔品に云く「諸の大衆を接して皆虚空に在り」云云、此等の仏菩薩大聖等総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず、此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり。」
これは文字曼荼羅の相貌の概略を説明した部分だが、日蓮は宝塔を御題目として、そこに釈迦多宝や地涌の上首の四菩薩が並び、普賢菩薩や文殊菩薩、釈迦の十大弟子の代表や諸天善神もその座にあったと述べ、提婆達多や鬼子母神、龍女も列座している事を述べている。それ以外にも愛染・不動明王がいて四方を四天王が護り固めている中に、日本の諸天善神として天照大神や八幡大菩薩も列座している事を認め、そこに他の神々も列座している意義を述べている。この内容は先の観心本尊抄の内容としても、より具体的なものとなっているのが解るだろう。観心本尊抄は文永十年(1273年)、一方の日女御前御返事は弘安元年(1278年)。つまり五年間を経て相貌はそれだけ具体化していた事が伺える。
この文字曼荼羅の意義について、続いて日蓮は以下の様に述べている。
「経に云く「諸法実相」是なり、妙楽云く「実相は必ず諸法諸法は必ず十如乃至十界は必ず身土」云云、又云く「実相の深理本有の妙法蓮華経」等と云云、伝教大師云く「一念三千即自受用身自受用身とは出尊形の仏」文、此の故に未曾有の大曼荼羅とは名付け奉るなり、仏滅後二千二百二十余年には此の御本尊いまだ出現し給はずと云う事なり。」
日蓮はこの文字曼荼羅の相貌こそ「諸法実相」を著したものであり、それは一念三千の姿でもあり、これを体現したものが自受用報身如来であり仏の姿であるとも述べている。また続けて以下の様に述べてもいる。
「此の御本尊全く余所に求る事なかれ只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり、十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり、曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり。」
ここで法華経の虚空会の様相というのは私達の「胸中の肉団」、つまるところ私達の心の中にある姿だというのである。しかしこれにどの様な意義があるのだろうか。私達の心の奥底には文字曼荼羅の世界が広がっていて、それこそが諸法実相の姿でもあり仏性と言われるの姿でもある。だから日蓮は「是を九識心王真如の都とは申すなり」と言ったのだろう。
これだけを述べてしまうと、今までの文字曼荼羅に対して多く語られた事と何も変わらないものであり、私自身、何かモヤモヤとしたものを感じてしまう。もう少し具体的にこの文字曼荼羅の意義を読み取る事は出来ないものだろうか。
この一つのヒントとして先に紹介した日蓮の文言から、以下のものを軸に考えてみたい。
「此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり。」
この文言は文字曼荼羅の相貌を説明した時に述べられている事であるが、ここでは「此の御本尊の中に住し給い」とある様に、この文字曼荼羅の世界の中から見てみると「妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる」とある。ここで妙法五字とは主題の七文字の御題目を指すのだろう。文字曼荼羅の御題目は「髭題目」と言われる書体で書かれているが、これは御題目が輝く姿を現しているというが、その御題目の光に照らされる事により、文字曼荼羅に認められた諸仏・諸尊・諸天善神などすべてが「本有の尊形(本来持ち合わせている尊い姿)」として現れてくると述べている。これこそが文字曼荼羅の本来ある意義なのではないだろうか。
卑近な例で考えてみると、人生とは常に浮き沈みのあるものだ。順風満帆の時には感じもしない事だが、苦悩に出会うと、それを乗り越える困難さを実感し、それにより打ちのめされ、叩きのめされるのが人生の姿かもしれない。そして人はそういう時には、その事について呪う様な事があるかもしれない。また嘆き悲しむ事があるかもしれない。しかしこの文字曼荼羅の世界に入りその事象を眺めてみるならば、実はその困難な事自体が「本有の尊形」を持つものであり、その事が理解できるという事ではないだろうか。文字曼荼羅に生命を喰らう十羅刹女や鬼子母神と言った姿、また煩悩の根源と言われる第六天魔王が認められている事には、そういった意義があるのかもしれない。
日蓮はこの文字曼荼羅について「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり。日蓮が弟子檀那等正直捨方便不受余経一偈と無二に信ずる故によつて此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなりたのもしたのもし、如何にも後生をたしなみ給ふべしたしなみ給ふべし」と日女御前に語られている事も、そういった事なのではないだろうか。ここで間違えてはならないのは、この「信心の二字」というのは、単に学会活動に励むとか、寺信心に忠実になるという事ではない。そこは翌々考えなければならない事であるが、ここから考えてみても、この文字曼荼羅とは単なる「御利益をもらえるお札」の様なものではなく、そこには日蓮からの深い意義が認められたものであると考えるべきだと思うのである。