2021 4/11 郡山市西田町大田字雪村 雪村庵
長らく投稿してきた今年の福島の桜も今回でひとまず終了
最後は三春駅からほど近いが、郡山市になっている雪村庵
桜と後ろに広がる竹林とのコントラストがいい
雪村周継(せっそんしゅうけい)は、16世紀初めから後半(室町時代後期から戦国時代)にかけて活動した日本を代表する禅宗の画僧で、山水画、人物画、花鳥画などを描きました
現在の「雪村庵」は後世に建てられたものですが、当地が、雪村の晩年(16世紀後半)に隠棲していた地であることを、明暦4(1658)年、三春藩主秋田氏の菩提寺高乾院の僧侶であった一元紹碩が、庵の扁額に、当時の古老の話や伝承をもとに記しています
庵の壁木が新しくなっていた。建て替えたのだろうか。中は覗けない
正面にはそれぞれ、「雪村桜」、「雪村梅」と名づけられたシダレザクラと梅の古木があり、桜の名所の一つに数えられている
庵の左手にある小道は裏の竹林の中にある、雪村の墓と伝えられる花崗岩の大きな石に通じている。
昔は北関東の農家には冬の風よけとしてて屋敷林の竹林が 北側にあったものだが最近少なくなった
鳥の声と風の音と竹の葉の擦れる音の静寂な空間
雪村庵の前面近くにある農家は被写体から外してあるがこちらも新しい住居となっていた
長らく投稿してきた今年の福島の桜も今回でひとまず終了
最後は三春駅からほど近いが、郡山市になっている雪村庵
桜と後ろに広がる竹林とのコントラストがいい
雪村周継(せっそんしゅうけい)は、16世紀初めから後半(室町時代後期から戦国時代)にかけて活動した日本を代表する禅宗の画僧で、山水画、人物画、花鳥画などを描きました
現在の「雪村庵」は後世に建てられたものですが、当地が、雪村の晩年(16世紀後半)に隠棲していた地であることを、明暦4(1658)年、三春藩主秋田氏の菩提寺高乾院の僧侶であった一元紹碩が、庵の扁額に、当時の古老の話や伝承をもとに記しています
庵の壁木が新しくなっていた。建て替えたのだろうか。中は覗けない
正面にはそれぞれ、「雪村桜」、「雪村梅」と名づけられたシダレザクラと梅の古木があり、桜の名所の一つに数えられている
庵の左手にある小道は裏の竹林の中にある、雪村の墓と伝えられる花崗岩の大きな石に通じている。
昔は北関東の農家には冬の風よけとしてて屋敷林の竹林が 北側にあったものだが最近少なくなった
鳥の声と風の音と竹の葉の擦れる音の静寂な空間
雪村庵の前面近くにある農家は被写体から外してあるがこちらも新しい住居となっていた
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