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2024 5/17 栃木県日光市山内
弥生祭から1か月経ってから、日光東照宮春季例大祭が二日間に渡り開催されました
初日の鏑馬神事
鎧武者と60Cm四方の杉の的を持つ侍者
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/a2/9514a227ac20a7532c084d0ecffef570.jpg)
13:00 弓矢渡し式、みそぎ行事(五重塔前)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/99/2fece2f1e3fe402f794e242a950a6a7b.jpg)
東照宮仁王門にて記念撮影
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/ca/713fb77bcc5851410891d32eece60822.jpg)
日本の弓馬術の伝統は、鎌倉時代に式法が整えられ、武家社会を代表する伝統文化として今に伝わっています。
当時の狩装束を身に付けて
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13:15 馬場入り(表参道) 13:30 流鏑馬神事開始
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/05/ccb4d050d72ef060f8fa98dd4c40bfb5.jpg)
日光東照宮の流鏑馬は、戦後の復興に向けて多くの人たちを励まそうと、1953年から始まったもので、
毎年、春と秋に行われています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/0b/8b15cf66b15d9995f246a185d41ac928.jpg)
疾走する馬にまたがりながら、およそ60センチ四方の的をめがけて矢を放つ流鏑馬。鎌倉時代の武士と同じような装束に身を包んだ射手は、およそ240メートルの馬場を馬とともに疾走しながら威勢のいい声を上げ、3つの的をめがけて次々と矢を放ちました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/35/b3c2c5eb99ac08cdd5e2ccc428b86f4a.jpg)
精鋭9人の射手が「陰陽射(いんようい)」という勇ましい掛け声とともに、馬上から次々と的を射抜く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/cd/4ecfdb9583bff1ec18af34570f3dfb0c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/d3/c64fbf16082967d84be6941c9ac27c48.jpg)
流鏑馬の儀式は小笠原流をその流派としており、小笠原家は鎌倉時代より江戸時代まで将軍に仕えました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/f8/545a0c26586efd46cdaf4de8e3cb3d70.jpg)
850年にわたりこの流鏑馬の流儀や技を守り伝えてきた小笠原家。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/4d/19f4ae85909ee723fc381d0357350e45.jpg)
小笠原流というのは、礼法・弓術(弓道)・弓馬術(流鏑馬)の三つを教授するものでその中の一つに礼法があります。礼法が楷書で、弓術が行書、流鏑馬が草書であるといわれています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/b9/a0f16aaa204f27054837bf7ec2f97bc1.jpg)
全国各地の神社で奉じられる流鏑馬。源頼朝、足利将軍、徳川将軍の指南役。現在も全国で行事の執行、講演や指導を行っている。
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弥生祭から1か月経ってから、日光東照宮春季例大祭が二日間に渡り開催されました
初日の鏑馬神事
鎧武者と60Cm四方の杉の的を持つ侍者
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13:00 弓矢渡し式、みそぎ行事(五重塔前)
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東照宮仁王門にて記念撮影
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日本の弓馬術の伝統は、鎌倉時代に式法が整えられ、武家社会を代表する伝統文化として今に伝わっています。
当時の狩装束を身に付けて
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13:15 馬場入り(表参道) 13:30 流鏑馬神事開始
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日光東照宮の流鏑馬は、戦後の復興に向けて多くの人たちを励まそうと、1953年から始まったもので、
毎年、春と秋に行われています。
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疾走する馬にまたがりながら、およそ60センチ四方の的をめがけて矢を放つ流鏑馬。鎌倉時代の武士と同じような装束に身を包んだ射手は、およそ240メートルの馬場を馬とともに疾走しながら威勢のいい声を上げ、3つの的をめがけて次々と矢を放ちました。
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精鋭9人の射手が「陰陽射(いんようい)」という勇ましい掛け声とともに、馬上から次々と的を射抜く。
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流鏑馬の儀式は小笠原流をその流派としており、小笠原家は鎌倉時代より江戸時代まで将軍に仕えました
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850年にわたりこの流鏑馬の流儀や技を守り伝えてきた小笠原家。
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小笠原流というのは、礼法・弓術(弓道)・弓馬術(流鏑馬)の三つを教授するものでその中の一つに礼法があります。礼法が楷書で、弓術が行書、流鏑馬が草書であるといわれています
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全国各地の神社で奉じられる流鏑馬。源頼朝、足利将軍、徳川将軍の指南役。現在も全国で行事の執行、講演や指導を行っている。
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