2015 11/18 嵐山 天龍寺
朝風呂浴びて、ホテルの早朝バイキングを6:30から堪能した後、四条大宮から、嵐電に乗って嵐山に向かいました。
この日は嵯峨野嵐山を巡る1日
嵐電の嵐山駅にはコインロッカーがなく、近くの荷物預ける場所がまだやっていなかった。ザック重いまま天龍寺へ
am7:30、庭園の早朝拝観、参道から紅葉と庫裏を眺める
天龍寺は足利将軍家と桓武天皇ゆかりの禅寺として京都五山の第一位とされてきた。
「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。
塔頭が多くある参道のもみじも色付いていた
大方丈の東は中門に対し石庭、前庭
大方丈西の裏庭は曹源池(そうげんち)を中心とした池泉回遊式庭園で、夢窓疎石の作庭。
曹源池の正面中央には、巨石が三段に組まれた「龍門瀑」の石組が配されている。これは、鯉が滝を登ると龍になるという
中国の故事をモチーフとするもので、「登竜門」という言葉の由来でもある
約700年前の夢窓国師作庭当時の面影をとどめており、わが国最初の史跡・特別名勝指定。
大堰川を隔てた嵐山や庭園西に位置する亀山を取り込んだ借景式庭園でもある。
池の前庭には州浜形の汀や島を配し、白砂と紅葉と緑が鮮やかである。
庭園全体像は寛政11年(1799)に刊行された秋里離島による「都林泉名勝図会」に描かれた姿をよく残している。
曹源池北側から見た大方丈と庭園
朝靄がかかる小倉山 早朝なのでまだ人が少なめで静かである
方丈の床の間などに達磨図が見られ、達磨宗である禅を象徴し、天龍寺の顔ともいえる。
渡り廊下を右に見ながら庭園北側の道を行くと「多宝殿」に着く。
多宝殿の西側に広がっている小高い「望京の丘」から方丈など見渡せる
竹林と青もみじ
1周して再び曹源池庭園に戻ってきました。 8:15分
一度庭園を出て、+100円で庫裏から大方丈に入ることができる
玄関に入った正面に置かれる大衝立の達磨図は前管長である平田精耕老師の筆によるもの
方丈奥から前庭
方丈奥から曹源池庭園
内部は六間取り(表3室、裏3室)の方丈形式で、中央の「室中」は釈迦尊像を祀る48畳敷き、左右の部屋はともに24畳敷き
東西を仕切る襖には龍が描かれている
曹源池の名称は国師が池の泥をあげたとき池中から「曹源一滴」と記した石碑が現れたところから名付けられた
庭の松の後ろは小方丈(書院)。大方丈は明治32年(1899)、小方丈は大正13年(1924)の建築
8:40 寺を出ました
嵐山のメインストリートに出て竹林の小路に入る・・
朝風呂浴びて、ホテルの早朝バイキングを6:30から堪能した後、四条大宮から、嵐電に乗って嵐山に向かいました。
この日は嵯峨野嵐山を巡る1日
嵐電の嵐山駅にはコインロッカーがなく、近くの荷物預ける場所がまだやっていなかった。ザック重いまま天龍寺へ
am7:30、庭園の早朝拝観、参道から紅葉と庫裏を眺める
天龍寺は足利将軍家と桓武天皇ゆかりの禅寺として京都五山の第一位とされてきた。
「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。
塔頭が多くある参道のもみじも色付いていた
大方丈の東は中門に対し石庭、前庭
大方丈西の裏庭は曹源池(そうげんち)を中心とした池泉回遊式庭園で、夢窓疎石の作庭。
曹源池の正面中央には、巨石が三段に組まれた「龍門瀑」の石組が配されている。これは、鯉が滝を登ると龍になるという
中国の故事をモチーフとするもので、「登竜門」という言葉の由来でもある
約700年前の夢窓国師作庭当時の面影をとどめており、わが国最初の史跡・特別名勝指定。
大堰川を隔てた嵐山や庭園西に位置する亀山を取り込んだ借景式庭園でもある。
池の前庭には州浜形の汀や島を配し、白砂と紅葉と緑が鮮やかである。
庭園全体像は寛政11年(1799)に刊行された秋里離島による「都林泉名勝図会」に描かれた姿をよく残している。
曹源池北側から見た大方丈と庭園
朝靄がかかる小倉山 早朝なのでまだ人が少なめで静かである
方丈の床の間などに達磨図が見られ、達磨宗である禅を象徴し、天龍寺の顔ともいえる。
渡り廊下を右に見ながら庭園北側の道を行くと「多宝殿」に着く。
多宝殿の西側に広がっている小高い「望京の丘」から方丈など見渡せる
竹林と青もみじ
1周して再び曹源池庭園に戻ってきました。 8:15分
一度庭園を出て、+100円で庫裏から大方丈に入ることができる
玄関に入った正面に置かれる大衝立の達磨図は前管長である平田精耕老師の筆によるもの
方丈奥から前庭
方丈奥から曹源池庭園
内部は六間取り(表3室、裏3室)の方丈形式で、中央の「室中」は釈迦尊像を祀る48畳敷き、左右の部屋はともに24畳敷き
東西を仕切る襖には龍が描かれている
曹源池の名称は国師が池の泥をあげたとき池中から「曹源一滴」と記した石碑が現れたところから名付けられた
庭の松の後ろは小方丈(書院)。大方丈は明治32年(1899)、小方丈は大正13年(1924)の建築
8:40 寺を出ました
嵐山のメインストリートに出て竹林の小路に入る・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます