2012 2/3 京都での伝統的な節分行事のいくつかを見学の後、奈良へ。
春日大社の節分万燈籠。 境内にある約3000基の全ての燈籠に火が灯されます
参道入り口前。ここはまだ電灯なのでそう暗くはないのですが
19:30分 広い参道あたりから周囲の照明は落とされ、ほぼ真っ暗な中、石燈籠の蝋燭の灯りをたよりに境内参道を進みます。夜間の参拝者は帰途につく人が多く、提灯を灯りとして持っている人も多く なかなか雰囲気があります。
石燈籠の数の多さからするイメージよりはずっと暗く、写真に映っているよりも暗い
風で灯が消えないように燈籠に献燈紙という薄紙が貼られているので、小さな障子の向こうから淡い光がもれてくるような趣です。
闇に慣れていない現代人に蝋燭で生活をしていた昔の日々を思い出させてくれるような灯りだった
御本殿に向かいます
本殿周辺の廻廊には数多くの燈籠が釣られて 蝋燭の灯りが朱色の廻廊をやさしく照らし、幽玄な雰囲気を出していました。三脚などの持ち込み撮影は禁止。手もちではブレは避けられないですが、雰囲気があったのでブレ写真も載せます
朱の回廊の両脇を照らす吊燈籠
フラッシュたくと感じが違いますね
夜間撮影ももう少し勉強しないと・・
節分万燈籠(せつぶんまんとうろう)
18時頃……全燈籠に灯がともる
20時半……閉門予定
拝観:回廊内特別参拝は500円
燈籠は石燈籠約2000基、釣燈籠約1000基の合計約3000基あります。中でも全国で2番目に古い石灯籠といわれている伝関白藤原忠通奉納の「柚木燈籠」(1136年)や藤原頼通の寄進と伝わる「瑠璃燈籠」(1038年)をはじめ、平安末期より今日に至るまで、その大半は春日の神を崇敬する人々から、家内安全、商売繁盛、武運長久、先祖の冥福向上等の願いをこめて寄進されたもので、特に室町末期から江戸時代にかけては一般庶民や春日講中からのものが多いです。
昔は燈籠奉納時、油料も納められ、その油の続くかぎり毎夜灯がともされていましたが、明治時代に入り神仏分離や神社制度の変革で、一旦中断したものの、節分の夜は同21年、中元の夜(8月15日)は昭和4年に再興され、現在の万燈籠の形となりました。しかし、もっと古く室町時代や江戸時代に、奈良町の住人が春日参道で、雨乞い祈祷として万燈籠を行っていました。記録には、興福寺大乗院の尋尊僧正の日記で、今から500年余り前の文明7年7月28日、「祈雨のため、南都の郷民、春日社頭から興福寺南円堂まで、燈籠を懸く」とあり、当時は木の柱に横木をつけ、それに行燈か提灯の様な手作りの仮設の燈籠を懸け行っていたと考えられます。故に浄火を献じて神様に様々な祈願をすることが万燈籠です。
神官がご祈祷の最中でした
西回廊あたり 西回廊には「内侍門」「清浄門」「慶賀門」の三つの門が付けられている
金色と銅色の燈籠
多数の燈籠が吊り下げられており、回廊中央部は通行できない
フラッシュ撮影
燈籠は様々な模様が数多くあって、様々な人が寄進している
中門 の前にて 20:20分
参拝客も思ったほど多くなく、静粛さもあり 神々しく、幽玄的な雰囲気でした
JR東海のナレーション無しの動画が雰囲気があっていい感じです ↓
春日大社の節分万燈籠。 境内にある約3000基の全ての燈籠に火が灯されます
参道入り口前。ここはまだ電灯なのでそう暗くはないのですが
19:30分 広い参道あたりから周囲の照明は落とされ、ほぼ真っ暗な中、石燈籠の蝋燭の灯りをたよりに境内参道を進みます。夜間の参拝者は帰途につく人が多く、提灯を灯りとして持っている人も多く なかなか雰囲気があります。
石燈籠の数の多さからするイメージよりはずっと暗く、写真に映っているよりも暗い
風で灯が消えないように燈籠に献燈紙という薄紙が貼られているので、小さな障子の向こうから淡い光がもれてくるような趣です。
闇に慣れていない現代人に蝋燭で生活をしていた昔の日々を思い出させてくれるような灯りだった
御本殿に向かいます
本殿周辺の廻廊には数多くの燈籠が釣られて 蝋燭の灯りが朱色の廻廊をやさしく照らし、幽玄な雰囲気を出していました。三脚などの持ち込み撮影は禁止。手もちではブレは避けられないですが、雰囲気があったのでブレ写真も載せます
朱の回廊の両脇を照らす吊燈籠
フラッシュたくと感じが違いますね
夜間撮影ももう少し勉強しないと・・
節分万燈籠(せつぶんまんとうろう)
18時頃……全燈籠に灯がともる
20時半……閉門予定
拝観:回廊内特別参拝は500円
燈籠は石燈籠約2000基、釣燈籠約1000基の合計約3000基あります。中でも全国で2番目に古い石灯籠といわれている伝関白藤原忠通奉納の「柚木燈籠」(1136年)や藤原頼通の寄進と伝わる「瑠璃燈籠」(1038年)をはじめ、平安末期より今日に至るまで、その大半は春日の神を崇敬する人々から、家内安全、商売繁盛、武運長久、先祖の冥福向上等の願いをこめて寄進されたもので、特に室町末期から江戸時代にかけては一般庶民や春日講中からのものが多いです。
昔は燈籠奉納時、油料も納められ、その油の続くかぎり毎夜灯がともされていましたが、明治時代に入り神仏分離や神社制度の変革で、一旦中断したものの、節分の夜は同21年、中元の夜(8月15日)は昭和4年に再興され、現在の万燈籠の形となりました。しかし、もっと古く室町時代や江戸時代に、奈良町の住人が春日参道で、雨乞い祈祷として万燈籠を行っていました。記録には、興福寺大乗院の尋尊僧正の日記で、今から500年余り前の文明7年7月28日、「祈雨のため、南都の郷民、春日社頭から興福寺南円堂まで、燈籠を懸く」とあり、当時は木の柱に横木をつけ、それに行燈か提灯の様な手作りの仮設の燈籠を懸け行っていたと考えられます。故に浄火を献じて神様に様々な祈願をすることが万燈籠です。
神官がご祈祷の最中でした
西回廊あたり 西回廊には「内侍門」「清浄門」「慶賀門」の三つの門が付けられている
金色と銅色の燈籠
多数の燈籠が吊り下げられており、回廊中央部は通行できない
フラッシュ撮影
燈籠は様々な模様が数多くあって、様々な人が寄進している
中門 の前にて 20:20分
参拝客も思ったほど多くなく、静粛さもあり 神々しく、幽玄的な雰囲気でした
JR東海のナレーション無しの動画が雰囲気があっていい感じです ↓
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