徒然なる写真日記

趣味に関する事や、日々の中での出来事を脈絡もなく貼り付けていく絵日記帳ブログです

日光山輪王寺大猷院ライトアップ(1)2018 5/1

2020-01-02 23:17:15 | 日光
2018年の5月の過去記事になりますが・・ 日光の陽明門と同様、大猷院 の二天門も修復され、6年ぶりに公開された。併せてDC栃木キャンペーンで初めてのライトアップでした

大猷院とは徳川三代将軍「家光公」の廟所(廟所=墓所)で、世界遺産にある境内では、登録された22件の国宝・重要文化財が建ており、315基の灯籠も印象的です。 祖父である「家康公」(東照宮)を凌いではならないという遺言により、金と黒を使用し重厚で落ち着いた造りになっています。
「大猷院」の「大猷」とは、「成長」や「大きく成る」または「大きな道」との意味合いがあります。
「院」は、高い身分の方や多大な功績を残した方の送られる名前であり、また墓所の名前でもあります。

入口の「仁王門」から「拝殿、本殿」までの道のりは、天上界に昇って行くような印象を受けます。
仁王門 > 二天門 > 夜叉門 > 唐門   >拝殿・相の間・本殿

pm18:00 2012年から約6年間、約6億6千万円をかけて漆塗りや彩色など全体の修理を行った世界遺産日光で最大の門である二天門。


重要文化財 約50年ぶり美しく蘇った二天門 世界遺産日光の境内で1番大きな門です.
正面の扁額(へんがく)は、108代天皇「後水尾上皇(ごみずのおじょうこう)」による筆です。


彫刻の彩色も艶やかです


二天門をくぐってから 上部から見る


2012年に東照宮を訪れたとき、ここにも来ました。 その時はちょうど工事改修が始まったところでした


二天を安置している事から二天門と呼ばれています。 
輪王寺によると、四天王は広目天、多聞天、増長天、持国天からなり、二天門では向かって右側に広目天(赤顔)、左側に持国天の像が立っているとされてきた。
2014~18年、半世紀ぶりに二天門を修理した際、2体についても調査。本殿で筆を手にした本物の広目天とみられる像が発見され、広目天とされてきた二天門の像は刀を手にしていることから、増長天と結論付けた。

2012年撮影の広目天(赤顔)


同2012年撮影の広目天


2018年撮影の広目天改め増長天  背景の炎の色彩、胴部や腰部の色彩が若干加えられたように見える


2012年撮影の持国天(緑顔)


2018年撮影の持国天  こちらも色彩がより鮮やかになりました


二天門の裏側には、風神雷神像がありました。 2018年5月の時にはありませんでした。
2018年には、風神雷神像は輪王寺宝物殿で保存展示されている。

2012年撮影 雷神像


2012年撮影 風神神


この「風神・雷神像」は、かつては日光東照宮・陽明門にあった木像で、明治4年の神仏分離令の時に仏式の像だとの理由で陽明門から追い出されてしまった。
で、現在は日光山輪王寺大猷院の二天門の守護像であります。風神の指は4本で、東西南北を守っています。一方、雷神の指は3本で過去・現在・未来を表しているとのことです。また、足の指は風神・雷神ともに二本で、天と地を守るという意味を持っているそうです。輪王寺によると、実物の2体(共に台座を含め高さ2メートル超)は京都・三十三間堂の国宝像の流れをくむ姿形だという。約380年前の陽明門建立と同時期の制作とみられ、作者は不明。
なお2020年時点で、二天門には複製像が置かれている模様です。

以下、記事より引用
「風神」「雷神」の実物大の複製像制作が、鹿沼市内の仏像修理工房で行われている。輪王寺で複製像が作られるのは初めてという。実物は昨年までの修理を契機に宝物殿内で管理・公開しており、複製像を二天門に安置する。制作に当たるのは、輪王寺本堂の本尊修理を手掛けた同市在住などの20代の女性技術者3人。若手ながら経験や実績が認められた。複製像は2018年度中に完成する予定だ。>>>「二天門」の守護像として作られた複製像「風神」「雷神」に魂を入れる開眼法要が20日、二天門前で営まれた。輪王寺宝物殿で保存展示される実物とうり二つの仕上がりで、15日から一般公開する。




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