徒然なる写真日記

趣味に関する事や、日々の中での出来事を脈絡もなく貼り付けていく絵日記帳ブログです

a day of NARA(1) ならまち

2011-05-28 00:57:20 | 京都での自転車ライフ
これから暑くなると京都から南の方へは自転車で行く気しないよ
というmkさんの言葉を受け、それなら奈良に行くのは梅雨入り前ということで、またしても自転車でガイドしてもらいました。毎回お世話になりんす。
自宅アパートから奈良公園まで37Kmくらいで、前半信号のない河川敷の走行だったので 1.5時間くらいで着いてしまいました。2回目のロードバイクでのツーリング。 奈良も意外と近い。
ルートは
木津川自転車道~流れ橋から左岸の河川道路走行~山城大橋先の7-11で休息~R24脇の県道70号~R24~分岐左折754~
だったでしょうか。 トレックデータ残せるGPS持ってないもので・・

奈良公園は高台にあり、今日始めての登りが10分ほど続いたでしょうか
公園過ぎて、まず ならまち をガイドしてくれました。
京都と同じく細い路地の古民家の町並みの残るところ・・
今日はそうでもなかったのですが、パンフ片手に観光客が大勢歩いているらしい・・

繁華街から一歩入れば、格子の美しい町家が並ぶ地区。


元興寺の旧境内を中心とした地域を「ならまち」と呼んでいます。 平城京の「外京」にあたり、当時の道筋をもとに発展した長い歴史を 持つ町です。平城京への遷都以来まちづくりがはじまり、南都と呼ば れる社寺のまちから商業のまちへ、商業のまちから観光のまちへと様 々な時代背景の中で盛衰をくり返してきた町でもあります。江戸時代 の末期から明治時代にかけての町家の面影を今に伝える「ならまち」 は、訪れる人々にやすらぎとうるおいを与え、時には懐かしささえ感 じさせてくれる古い町並みです。

個人経営の電気店






格子の家 という家の中を無料見学できるスポットにきました
正面から格子窓と入口の為の引戸が見られます。
格子は通風の役割のほか、表通りから中が見えず、中からは外の様子を確認でき、目隠しの役割も果たしています。
格子が造られ始めた時期は明らかでは有りませんが、1550年頃(室町時代の末期)屏風に描かれた洛中洛外図には既に見受けられるとの事


奈良の伝統的な町屋を再現して建てられたということです
町家の正面は、日射しや風量の調節に役立つ格子戸があり、その横には「あげ床几」 と呼ばれる商品の陳列台があります。格子戸を入ると奥まで土間の「通り庭」が続き 、中ほどには「かまど」が配されています。これは、薪を燃やした煙が吹き抜けを通り 、屋根の「煙抜き」に抜けると同時に、煙によって家を支える柱や梁を虫から守る役目 も果たしていました。また、座敷にある箱階段や小さくも美しく灯篭などを配した坪庭・ 中庭など、長い歴史の中で、限られた土地や空間を十分に生かすように工夫された造りに なっています。


入り口左手にある みせの間。4畳半ほどの間取りで中央に茶器のいろり。通りに面した格子窓があり。床の間、居間、客室なのかな


かまどのある台所は2層吹き抜けとなっており、天井は仕上の無い梁剥き出しの状態です。


中庭。右の渡り廊下に接して風呂(狭い)、トイレがある



奥の はなれから見たところ。
間口が狭く、奥行きが深いという特徴 を持つならまちの町家。これは、かつて税金が間口の広さによってか けられた事と、表通りに面したいという知恵でもあると言われています。


2階。上部の壁には明り取りと通風の為の窓が設けられています。


ならまち
狭い街路に、江戸時代以降の町屋が数多く建ち並ぶ。ほぼ全域が元興寺の旧境内にあたる

都市としての発展は、奈良の都・平城京の外京として多くの社寺が置かれたことに始まる(発掘調査では平城京以前の古墳も発見されている)。長岡京遷都後も、東大寺や春日大社、興福寺のお膝元として都市機能を維持した。中世以降、元興寺旧境内に様々な産業(筆、墨、蚊帳、晒、布団、刀、酒、醤油など)が発展し、江戸期には有力商工業都市として町が形成された


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