満福山城国寺

宮城県栗原市にある曹洞宗の満福山城国寺のブログです。

優れた指導者に会う大切さ

2008-11-30 07:20:09 | 『正法眼蔵随聞記』
初心の学道の人は、ただ衆に随ツて行道すべきなり。修行の(用)心故実等を学し知らんと思ふ事なかれ。用心故実等も、ただ一人山にも入り市にも隠れて行ぜん時、錯なくよく知りたらばよしと云ふ事なり。衆に随ツて行ぜば、道を得べきなり。譬ば舟に乗りて行クには、故実を知らず、ゆくやうを知らざれども、よき船師にまかせて行けば、知りたるも知ラざるも彼岸に到るがごとし。善知識に随ツて衆と共に行ジて私なければ、自然に道人なり。
    『正法眼蔵随聞記』巻1-5


曹洞宗の高祖であり、大本山永平寺を開かれた道元禅師は、修行の初心者は、余り自分の思いを優先させずに、周囲の仲間、あるいは優れた指導者にしたがって修行をすれば良いとしました。

特に、船の譬えは面白いですね。我々禅宗は、「自力の宗教」であるともいわれますので、全部自分で決めるのが尊いと考えられておりますが、指導者に任せれば、特に自分のことを知らなくても、優れた修行者になるというのです。

それでは、優れた指導者とはどのような人でしょうか。道元禅師は別の著作で、修行も悟りも具えた人であり、自分の見解を優先させずに、さらに指導者からその境涯を認められた人だとしました。

我々も、多くの檀信徒の方にとって、良き仲間、必要であれば指導者となって導けるようにしています。檀信徒の皆様、どんなことでも結構ですから、当寺にいらっしゃってご相談ください。

心を整えるには体を整える

2008-11-29 05:30:44 | 『正法眼蔵随聞記』
身躰血肉だにもよくもてば、心も随ツて好くなると、医法等に見る事多し。況ンや学道の人、持戒梵行にして仏祖の行履にまかせて、身儀ををさむれば、心地も随ツて整なり。
    『正法眼蔵随聞記』巻1-3


普段から、履き物を揃える、丁寧に挨拶する、そういう行いを通して、我々は心を整えていくという、道元禅師の教えです。心の不調とは、実は体の不調から来ているのです。

よって、明らかに疲れているときには、早寝早起きの生活に切り替え、無理をせず、悩みがあるときにも、ウジウジと考えず、まず行動すること、これが良いとされているのです。

その時、むやみやたらに行動したり、体を動かしては、かえって心は悪くなる一方です。これまで、正しい生き方をしてきた仏さま、あるいはその教えを受け継いできた祖師と呼ばれる僧侶の教えを学んでおく必要があるのです。

仏教とは、自分の体を整え、そして結果的に心を整える教えなんだと理解し、日々の生活に活かしていただければ良いと思います。合掌

大切にしたい心

2008-11-28 10:00:38 | 『正法眼蔵随聞記』
示ニ云ク、先聖必ズしも金骨にあらず、古人豈皆上器ならんや。滅後を思へば幾ばくならず、在世を考フるに人皆俊なるにあらず。善人もあり、悪人もあり。比丘衆の中に不可思議の悪行するものあり、最下品の器量もあり。然れども、卑下して道心をおこさず、非器なりといツて学道せざるなし。
    『正法眼蔵随聞記』巻1-2


曹洞宗の高祖であり、福井県にある大本山永平寺を開かれました、道元禅師の言葉です。内容は、「私などはその能力がありませんから」などと、自ら卑下して、修行のやる気を起こさない者を諫めるものです。

「利鈍賢愚を論ぜず、坐禅すれば自然に好くなるなり。」という教えもありますが、誰でも坐禅をすれば、必ず良い人になります。この良さとは、見た目や振る舞いにはなかなか現れませんが、少しずつ少しずつ、その人を良い方向に良い方向にと変えていってくれるのです。

現代の若者というのは、他人に対する評価が厳しいという意見があります。そして、その批評眼を自らに向けてしまい、厳しく判断して自信を失っているという見方もあるそうです。

逆に、他人の良さを見る目を養えば、自分にもどのような能力があるのかが見えてくるように思います。そして、せっかく他の人と一緒に生きていくのであれば、悪いところではなくて、良いところを見てみたいものだと思います。

合牌集め

2008-11-27 14:36:34 | つれづれの一言


宮城県栗原市花山にある曹洞宗城国寺では、もう何百年も、年末に必ず御檀家の皆様から「合牌」と呼ばれる、祠堂料をお納めいただく風習になっています。

昔は、お米をいただいていたようですが、最近では、金銭でもって、それに換えるようにしています。

これで、お寺でお預かりしている御檀家の皆様のご先祖様が記された過去帳、或いはお預かりしている御位牌を御供養申し上げ、いただいた金銭でもって、冬の時期だからこそかかる様々な出費をまかなうようにしています。

毎年毎年、各地区の総代様方にお集めいただいておりますけれども、本当にありがとうございます。そろそろ年越しが近づいて参りました。