初心の学道の人は、ただ衆に随ツて行道すべきなり。修行の(用)心故実等を学し知らんと思ふ事なかれ。用心故実等も、ただ一人山にも入り市にも隠れて行ぜん時、錯なくよく知りたらばよしと云ふ事なり。衆に随ツて行ぜば、道を得べきなり。譬ば舟に乗りて行クには、故実を知らず、ゆくやうを知らざれども、よき船師にまかせて行けば、知りたるも知ラざるも彼岸に到るがごとし。善知識に随ツて衆と共に行ジて私なければ、自然に道人なり。
『正法眼蔵随聞記』巻1-5
曹洞宗の高祖であり、大本山永平寺を開かれた道元禅師は、修行の初心者は、余り自分の思いを優先させずに、周囲の仲間、あるいは優れた指導者にしたがって修行をすれば良いとしました。
特に、船の譬えは面白いですね。我々禅宗は、「自力の宗教」であるともいわれますので、全部自分で決めるのが尊いと考えられておりますが、指導者に任せれば、特に自分のことを知らなくても、優れた修行者になるというのです。
それでは、優れた指導者とはどのような人でしょうか。道元禅師は別の著作で、修行も悟りも具えた人であり、自分の見解を優先させずに、さらに指導者からその境涯を認められた人だとしました。
我々も、多くの檀信徒の方にとって、良き仲間、必要であれば指導者となって導けるようにしています。檀信徒の皆様、どんなことでも結構ですから、当寺にいらっしゃってご相談ください。
『正法眼蔵随聞記』巻1-5
曹洞宗の高祖であり、大本山永平寺を開かれた道元禅師は、修行の初心者は、余り自分の思いを優先させずに、周囲の仲間、あるいは優れた指導者にしたがって修行をすれば良いとしました。
特に、船の譬えは面白いですね。我々禅宗は、「自力の宗教」であるともいわれますので、全部自分で決めるのが尊いと考えられておりますが、指導者に任せれば、特に自分のことを知らなくても、優れた修行者になるというのです。
それでは、優れた指導者とはどのような人でしょうか。道元禅師は別の著作で、修行も悟りも具えた人であり、自分の見解を優先させずに、さらに指導者からその境涯を認められた人だとしました。
我々も、多くの檀信徒の方にとって、良き仲間、必要であれば指導者となって導けるようにしています。檀信徒の皆様、どんなことでも結構ですから、当寺にいらっしゃってご相談ください。