満福山城国寺

宮城県栗原市にある曹洞宗の満福山城国寺のブログです。

悪事を隠し善事を誇る人達

2009-02-28 05:23:02 | 『正法眼蔵随聞記』
夜話ニ云ク、世人多く善事を成す時は人に知ラれんと思ひ、悪事を成ス時は人に知ラれじと思ふに依ツて、こノ心冥衆の心にかなはざるに依ツて、所作の善事に感応なく、密に作ス所ノ悪事には罰有るなり。己に依ツて返りて自ラ思はく、善事には験なし、仏法の利益なしなんど思へるなり。是レ即チ邪見なり。尤も改ムベシ。
    『正法眼蔵随聞記』巻2-15


夜話というのは、道元禅師が夜に、修行僧たちと様々な法談を行っていたことを示すものです。その中で、世の中の人々の気質を批判しています。その気質というのは、良いことをしたときには多くの人に知られようとして誇り、逆に悪いことをしたときには人に知られないように隠すということです。

ところが、道元禅師は、このような心は、この世界を見守っている冥界の者達の心に契わないので、良いことが良いことと認められず、隠した悪事がバレバレだと仰っているわけです。

しかも、その心根が悪いのに、正しく応えてくれない者達を逆恨みして、「良いことをしても意味は無い」などと考えてしまうのは、尚更に誤っているわけです。つまり、我々は淡々と良いことを行い、悪事を抑えるべきだということです。

変化する言葉 さ入れ言葉とれ足す言葉

2009-02-27 05:15:14 | つれづれの一言
goo注目ワード ピックアップ・・・さ入れ言葉とれ足す言葉(goo注目ワード) - goo ニュース

もう既に、「ら抜き言葉」などは、ずいぶんと指摘されていますから、我々もどこか慣れてしまっているような感があります。それでも、昔の日本語に慣れている場合には、気を付けて使わないようにしていますけれども。

そこで、最近では動詞における誤用の仲間「さ入れ言葉」や「れ足す言葉」などが出てきているそうです。

「さ入れ言葉」とは、動詞に不要な「さ」が含まれている表現のことで、「味わわ『さ』せていただく」「言わ『さ』せてください」などがこれに当たるようです。原則として「聴く」「走る」「洗う」「読む」といった五段活用の動詞、およびサ行変格活用の動詞には「せる」を、その他の動詞には「させる」をつけるものとされているのに、「せる」と付けるべき単語に「させる」と付けるわけです。

また、「れ足す言葉」については、動詞に不要な「れ」が含まれている表現のことで、これは冒頭の「ら抜き言葉」とも合わせて考えるのがよいとされています。動詞の可能表現として、助動詞「れる」「られる」を混同し、「れる」のみに単一化してしまうのが「ら抜き言葉」で、「見れる」「食べれる」などの用例があります。

反対に、可能動詞に「れ」を加えてしまうのが「れ足す言葉」で、用例としては「聴けれる」「歌えれる」などが挙げられるようです。さらには、「切れれる」「見れれる」など「ら抜き言葉」と「れ足す言葉」が同時に発生しているケースもあるそうで、さらに不明な言葉遣いもあるようです。

日本語にも、各地の方言などがあって、その中から、全国的に流行する表現が出てきたりします。そうなると、もう、本来の文法がよく分からなくなって、混乱に拍車をかけたりするわけです。その意味では、言葉を流行で遊ぶときにも、本来の使い方を熟知した上で行うべきだといえましょう。

クレームから新製品開発へ

2009-02-26 06:11:25 | つれづれの一言
goo注目ワード ピックアップ・・・苦情クレーム博覧会(goo注目ワード) - goo ニュース

苦情やクレームが、良い刺激となって素晴らしい発想を生み出し、新製品や新サービスの開発に繋がるというのは、以前から指摘されていましたけれども、それを積極的に用いていこうという「苦情クレーム博覧会」というのがあるそうです。

なかなか面白い取り組みです。

民間企業はかなり努力していますね。こういう努力が、良い形で実を結ぶことを願って止みません。

「おくりびと」ならぬ「おくりぐるま」

2009-02-25 06:03:22 | つれづれの一言
新型「おくりぐるま」を発売 光岡自動車の霊きゅう車(共同通信) - goo ニュース

アメリカの第81回アカデミー賞で、外国語作品賞として日本の「おくりびと」が受賞しましたが、その関係で「おくりぐるま」の売り込みを図っている会社があるようです。

それは、これまでも個性的なカスタムカーで人気を博している「光岡自動車」(富山市)になります。同社は、クラシック調の外観にした新型の霊きゅう車「ミツオカリムジン タイプ2-04」を発表しており、主に葬祭場向けに、25日から販売予約を受けるそうです。なお、今回のは、トヨタ自動車のステーションワゴン「カローラ フィールダー」をベースにしているようです。

しかし、霊柩車というのも、色々な形式がありますが、重い棺を載せるわけで、或る程度の馬力がないとダメでしょうから、今回の「おくりぐるま」もその意味では、素性の良いトヨタ車を元にしていますから、全国で使えそうですね・・・と、いいつつ、我が城国寺がある地域では、霊柩バスが一般的ですけどね。

言葉に引かれて心も起こる

2009-02-24 05:56:50 | 『正法眼蔵随聞記』
聖教の中にも、「麁強ノ悪業ハ人ヲシテ覚悟セシム、無利の言説は能ク正道を障ふ。」ト。ただ打チ出し言ふ語すら利無キ言説は障道の因縁なり。況ンや然ノごとキ言説ノことばに引カれテ、即ち心も起りつべし。尤も用心すべきなり。わざとことさらいでかくなんいはじとせずとも、あしき事と知リなば漸々に退治すべきなり。
    『正法眼蔵随聞記』巻2-14


道元禅師は、様々な場合で、仏道に於いて無益な言葉を使わないように弟子達に求めています。それは、このような教えが根底にあるからでしょう。つまり、利益がない言葉は、正しい仏道を学ぶのに障りとなってしまうのです。

無益な言葉を用いれば、仏道にとって無益な心が起こるのです。これはもっとも用心すべきであるとしています。もし、仏道を学ぶのに悪いと知ったならば、徐々にでも退治すべきなのです。

これは、仏道に於ける「身口意の三業」が、能く三毒を生み出すことに由来しています。よって、これらの三つを正しく用いることが必要なのです。日常の行動から、言葉遣い、そして想いも全て、仏道を学ぶのに適した状況としていく必要があるわけです。

墓地の永代供養について

2009-02-23 05:08:18 | つれづれの一言
永代料払ろうたのに何でや!墓地競売、落札企業が再請求(読売新聞) - goo ニュース

様々な見解があるのだろうとは思うんですけど、あくまでも「永代供養」というのは、檀家側が、相手の宗教法人が未来永劫続くものだということを前提に行うわけですが、当然に続かない場合もあるので、その時には上記リンク先のような問題が起こるわけです。

今の日本では、「永代供養」というのは、「これ以上供養などにお金をかけないための手段」にしかなっていないですが、そのような意識が、この問題を招いているのではないか?と思います。

供養は、お金がかかって当然です。むしろ、お金をかけることが功徳をもたらすのです。それを思い出さない限り、この問題は起こり続けます。なお、拙寺では永代供養など受け付けていないので、好き勝手言えます。江戸時代に永代供養をお願いしてきた檀家さんは、ある山をそれごと布施してきました。

要するに、或る一定の額をお寺に払って永代供養、というのではなくて、毎年お寺にある一定の金銭的収入が入るようなシステムを構築して、初めて永代供養は成立するように思います。

〈岩手・宮城地震〉全員が避難所を退所

2009-02-22 07:40:00 | つれづれの一言
<岩手・宮城地震>岩手の11人が避難所を退去 全員終了〈毎日新聞〉-Yahoo!ニュース

昨年6月に発生した「岩手・宮城内陸地震」で、被災した岩手県一関市厳美町市野々原の2世帯11人が21日、避難所の厳美公民館分館から、震災復興支援住宅に引っ越しています。

地震では宮城、秋田県を含め約300人が避難所での生活を強いられていましたが、これで全員が退去しました。しかし、これで復興が終わったわけではありません。あくまでも、避難所から退去しただけです。

全員の被災者が、自宅に帰れる日が、1日も早く訪れることを願っております。

ブログ炎上と名誉毀損

2009-02-21 05:37:02 | つれづれの一言
ブログ炎上、ネットカフェからも複数の「書き込み」判明(読売新聞) - goo ニュース

ちょうど、この記事にもありますけれども、「軽い気持ちで・・・」中傷するコメントなどを投稿してしまうようですね。しかし、その内容が殺人予告であったり、根も葉もないような話であるとすれば、投稿する側は軽い気持ちでも、言われた方は、そうは受け取らないでしょうね。この記事の場合には、お笑い芸人のスマイリーキクチさんが被害を受け、それを訴えていました。

よって、今回のような書類送検という処置が下ったりしていますし、あるいはその投稿者本人のネット使用状況が監視されるなんてことも起きるかもしれません。ネットは匿名であるというのは、半ば幻想でありまして、調べようと思えばすぐに調べることが出来るようです。

是非、全ての人が気持ちよく利用できる、そういう安全なネット社会の構築を望みたいところです。

道場での雑談禁止

2009-02-20 05:48:55 | 『正法眼蔵随聞記』
宋土の寺院なんどには、惣て雑談をせざれば、左右に及ばず。我ガ国も、近ごろ建仁寺の僧正存生の時は、一向あからさまにも是のごとキ言語出来ラず。滅後も在世の門弟子等少々残リ留マリシ時は、一切に言ハざりき。近ごろ七八年より以来、今出の若人達時々談ズルなり。存外の次第なり。
    『正法眼蔵随聞記』巻2-14


中国の修行道場では、猥談を始めとする余計な話(雑談)はしていなかったとしています。日本でも、建仁寺の僧正(栄西禅師)がご存命の頃にはそのような言葉が語られることはなかったわけですし、栄西禅師が亡くなった後も、その門弟が建仁寺にいた頃には余計なことは言わなかったそうですが、この『随聞記』が語られた頃には違ったようです。

しかも、キチッと指導を受けていない若い者達が余計なことを語るようです。いつでも、新入りの人を指導する必要性を感じさせる教えですね。

やっぱり年金は破綻するのか?

2009-02-19 05:53:17 | つれづれの一言
年金は2020年代に破綻、国庫負担率引き上げなければ(読売新聞) - goo ニュース

先日読んだ社会学者の大沢真幸氏の著『不可能性の時代』(岩波新書)によれば、こういう「リスク」を論じることに関しては、一つの結論に決まらないところに、非常に困難な問題があるというような指摘がございました。

つまり、科学的議論については、我々はどこかで、正規な教育を受けた科学者によって、厳密な議論が行われれば、議論が煮詰まり、いわゆる「通説」が構築されると思ってしまいますが、ことリスクに関してはそんな容易ではないのだそうです。

この年金問題にも、出生率や平均寿命といった自然的要素が混入していますから、厳密な数字は出てきません。上記リンク先の記事にも或る「予測」に対して「楽観的だ」というような意見が出ていますが、この批判者にしても、確固たる予測が出来ているわけではないのです。

非常に難しいですね。