写真お借りしました
奈良の文化、天平文化を語るうえで見逃せないのは大仏です。
もちろんなら東大寺にある大仏ですが、現在見る大仏のほとんどが江戸の修復によるものです。
1567年の松永久秀(弾正)によるなら焼き討ちによって、大仏も大きく破損し、そのままになっていたのを山田道安という人がよびかけて修復したそうです。
その前にも1180年、平重衡の南都(奈良)襲撃によって首が落ちてしまったようです。これは重源(ちょうげん)が南都再建をよびかけて、大仏を修復しようとしましたが、日本人の技術ではできなかったのを当時宋からやって来た陳和卿(ちんなけい)がこれを完成させました。陳和卿は源実朝が宋へ渡るのに大型船を作らせたことで知られてますね。
ですから、いま私たちが見る大仏様はいわば三代目ということでしょうか?
奈良時代当初にできた部分は膝前や下半身、蓮弁(台座のハスの花弁)などにわずかに残っています。
大仏の大きさは、仏さまの大きさを1丈六尺(約5m)を基準にしていますが、これは立った姿の大きさなので、この10倍の仏さまが坐った大きさで、奈良の大仏さまは約15mの高さです。(計算合うかな~?と思う方もおられますが、理論上のことです)
多くのすぐれた天平の仏像が東大寺周辺に残されますが、この大仏(毘盧遮那仏びるしゃなぶつ)がもっともすぐれたお姿であったと推定しています。
大仏殿の前に置かれた八角灯篭の浮彫の菩薩像の優雅なお姿に、今はない初代の大仏様を偲ぶよりないようです。
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