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運命の人 ガラシャ夫人

2023-09-04 09:37:04 | 歴史が得意になる

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ガラシャ夫人は細川忠興の奥さんです。玉子、玉、珠などと名前が記されますが、「たま」と呼ばれていたのではないでしょうか。

父親は明智光秀です。政略結婚という言葉がありますが、戦国時代の家をつなぐ道具として結婚が使われ、女性が犠牲となりました。

明智光秀がお父さんなので本能寺の変で光秀が織田信長を倒して、その後が大変でした。光秀ばかりでなく一族が処刑されてしまいます。光秀が信長攻略を誘いますが、細川忠興やその父親の幽斎はその誘いに乗りませんでした。また、本能寺の変の後にたまを離縁して、丹後の山に数年閉じ込めたといいます。これは残酷なようですが、たまの命を守るため、また、細川家の関係を断つために必要なことだったかもしれません。

たまと忠興は復縁して、また夫婦になります。たまはキリスト教に関心を持ちました。これを光秀に信仰があったという説もありますが、たまと親しかった侍女の清原いと、という人は父親が漢学者の清原技賢でありながら、なぜかキリシタンだった人の娘だったようです。いとは丹後にかくまわれたときに一緒でした。おそらく彼女からキリスト教のことを知ったのではないかと思います。

たまは教会に行ってみたいと思っていましたが、屋敷から出ることを許されず、忠興が秀吉に従って九州へ下っているときに一日だけ大坂の教会へ行くことが出来ました。そこで布教師の話を聞いて、洗礼を受けたいと願い出ましたが、断られます。秀吉の配下の女性と思われたようです。もう外へ出ることが出来ないたまは、代理による洗礼を受けます。これは神父に代理の人を出して洗礼を受けるというものです。この代理にはいとが受けました。たまはガラシャという洗礼名をもらいました。しかし、夫の忠興には黙っていました。

ガラシャの最後は、忠興が徳川家康に従って、上杉とのいくさに出た時でした。大坂城にいる石田三成が人質として出頭するよう求めてきたのです。三成は諸将の奥さんを人質として集めようとしましたが、その最初に細川家をえらびました。

ガラシャは屋敷を出ないで、神のもとへ旅立つことを決めました。キリシタンは自害できないので、近臣の小笠原少斎に介錯(かいしゃく)して、屋敷に火をつけるよう命じました。これには清原いとも従いました。ガラシャは死に、屋敷は焼けてしまいます。

その行いは貞女の鑑(かがみ)として、周りからたたえられましたが、戦国の女性の運命のはかなさを感じます。

 



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