ゴッホが写した広重の江戸名所百景・亀戸梅屋舗
今では日本の美術を代表する存在の浮世絵ですが、明治になると西洋の文化を大事にして、古いつまらないものと思われるようになりました。
しかし、海の向こうヨーロッパで、その価値を深く理解してくれる人がいました。その一人がヴィンセント・ヴァン・ゴッホです。
浮世絵を手に入れて、その構成、彩色、表現を愛してくれました。自ら浮世絵を写した作品がいくつもあります。
日本の浮世絵は明治になる以前、すでに1855年のパリ万国博覧会に一部参加していましたが、1867年の二回目のパリでの万国博覧会では正式に参加して、日本の文物が紹介されました。そのなかに浮世絵も含まれています。1872年のウィーン万国博覧会ではグッズの販売も行われ、浮世絵も販売されたようです。
ゴッホはパリのサミュエル・ピングの店で浮世絵を安く(数百円)で手に入れ、友人と交換するなど楽しんでいました。ゴッホの浮世絵コレクションは現在のこされているもので500点ほどで、そのほかに100点以上持っていたといわれます。
ゴッホにとって浮世絵はどのような存在でしょう。
ゴッホの絵はほかの印象派の画家のような遠近感、奥行きを感じさせません。また、着色が強烈でおどろかされます。黄色を多く使うので視力に問題があるのでは、と考える人もいますが、浮世絵の写しなどの彩色は正確です。
このようなゴッホの絵の特徴が当時は弱点のようにも思われましたが、浮世絵の深い理解が今日の高いゴッホの評価につながるのだと思います。
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