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高山右近は若いころスーパースターだったと思われます。
いくさに行っては戦勝を上げ、茶は千利休の弟子、そのほか文芸にも優れたようです。いわゆる文武両道です。そして、彼はキリスト教に入信します。仲の良い蒲生氏郷や牧村利貞といったやはり茶にも関心のある武将にも入信をすすめました。
しかし、豊臣秀吉にしたがって九州へ下った時に、秀吉が伴天連禁止令(キリスト教の布教を禁じる命令)を出して、従わなかったために領地を没収され追放されてしまいます。
右近は絶大な権力を持った秀吉にわびることがなかったのです。右近は北国前田家に預けられます。最初はひどい待遇で、失望したようですが、それは前田利家が右近をまもるためにわざとひどい待遇にしたようです。
その後は25年以上前田家にとどまります。しかし、江戸時代になって徳川の世になり、いよいよキリシタンが取り締まられるようになると、右近は改宗することなく長崎に送られます。
そして、マニラ(フィリピン)に送られて、まもなく病気で亡くなりました。
その後、まもなくして天草島原の乱がおこり、キリシタンはことごとく排除されようになりました。
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