1853年、浦賀にマシュー・ペリー率いるアメリカの東インド艦隊4隻(うち2隻が蒸気船)が入港しました。
その10年前に土佐(高知)の中浜(なかのはま?)に生まれた万次郎は、アメリカに初めて渡った日本人でした。万次郎は井伏鱒二の小説でジョン万次郎として知られます。
14歳で漁船に乗った万次郎は、足摺岬沖で難破して、伊豆諸島の鳥島へ漂着します。そのときにアメリカの捕鯨船に助けられ、ハワイへ行きます。その後、捕鯨船に乗り組み、世界各地を回り、1843年にマサチュウーセッツ州ニューベッドフォード(東海岸のボストンのやや南)に帰港しました。
捕鯨船の乗組員やゴールドラッシュのカリフォルニアで坑夫としてはたらき、1851年琉球から薩摩へ渡り、長崎での訊問を終えて、故郷高知へ帰りつきました。
1853年にペリーが来航すると、江戸に呼ばれてアメリカについて助言をしました。そののち1860年に福沢諭吉らの遣米使節の一員となって、同行しました。
明治になる前にすでに日本はアメリカやヨーロッパに使節を送っていました。
万次郎はアメリカで言語や民主主義など近代の文化を学び、日本の近代化に一役を担ったのです。
それにしてもペリーが来航したのも、万次郎が助かったのも捕鯨のためだったというのが、今の捕鯨反対の風潮からは考えにくいですね。
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