源頼朝とされた肖像画
鎌倉時代のイメージはこの像が代表していました。
しかし、近頃は教科書でも使われていません。
多くの人はこれが源頼朝でないという認識が広まったためだと思います。
なぜ源頼朝でなくなったのでしょう?
神護寺の像は描写や刀装具を検討すると、源頼朝の時代のものではなかったのです。1200年前後に描かれたものとは考えにくく、それから100年以上遅れて描かれた可能性が高い。
このことと神護寺への肖像画寄進の事績をあわせると、足利直義が兄尊氏と二人の肖像を寄進していました。
そのために今では足利直義像とされるのです。
どうして源頼朝像になったのでしょう?
どうも江戸時代の初期に徳川幕府が開かれ、ふたたび征夷大将軍源頼朝を大事に考えるようになったときに、この像が源頼朝であろうと思ったようです。
江戸時代に写したものには源頼朝としています。
この肖像画がすばらしく立派だったことが、今日まで残ったのですが、その分、役割も与えられて、別の肖像とされてしまったと思われます。
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