木曜日担当のノリです
先週の春のような天気から一転、
全国的に、また冬の寒さに戻ったみたいですね。
ちょっと暖かくなってから、また寒くなると
いつも以上に、寒く感じてしまいます。
先日、電車に乗っていると、仲の良さそうな
おじいさんとおばあさんが乗ってきました。
なんだか、おじいさんはそわそわした感じで
落ち着きがない様子。
そっと耳を傾けると、はじめてSuicaを使って
乗ったらしくて、ワクワクしているのだ。
Suica無くしてないかなと、あっちのポケット
こっちのポケットをガサゴソ・・・
おばあさんが、「大丈夫ですよ」と一言。
そんな2人のやりとりが微笑ましく映りました。
ずっと前から、乗っている電車でも、
はじめてSuicaを使って乗る高齢者の方は
ワクワク・ドキドキなのかもしれません。
ただのICカードも、おじいさんにとっては
新鮮さを与えてくれるものだったみたいですね。
同じことでも、ちょっとした変化があるというのは
ワクワクにつながるみたいです。おじいさんといえども、
その様子は、まるで小さな子どもがはじめて
電車の時に乗る様子と変わらない感じがしました。
年を重ねても、そういった子どもの心でワクワク・ドキドキを
素直に表せるというのは、悪くない感じがします。
話は変わって
「恥の多い生涯を送って来ました。」
この冒頭の一文を見れば、あの小説だと
わかる人も多いのではないでしょうか?
太宰 治の「人間失格」の冒頭の一文です。
今まで、誰もが1度は失敗や恥だったなと思う行為は
あるのではないでしょうか?
最近、色々と自分の考えだったり、人から聞いた話を
書いていたアイディア・メモ帳をなくしてしまいました。
他人に見られて嫌なものは書いていませんが、
それでも、誰かにそのメモ帳を見られていたらと思うと、
自分の頭の考えを見られているような気がして、
ちょっと恥ずかしいです。
他人から見れば、ただの落書きやメモに過ぎないものも
自分から見れば、記録であり、考えを紙に出したことで大事なもの
だったりします。
恥だなぁと、自分が感じる時
その時は、視点が自分でなく他人からの目を気にした時に生じるものです。
星 新一さんの短編の「ささやき」に
こういうものがあります。
2030年、火星に暮らしをしていて、
今度、地球で同窓会が開かれることになりました。
長い間、地球にいなかったために、
どんな話をすればいいのか、どう振舞えばいいのかわからず
恥や失敗を恐れて、情報機器に頼るというお話です。
いつの間にか、すべてを情報機器に頼りすぎて
自分で考える力を失ってしまっていることを皮肉ったお話です。
昔は、電車の乗り換えを失敗し遅れたことがあっても
今はケータイの乗り換え案内を使えば、ミスはないでしょう。
ケータイは使う側が、ミスをしなければ正確な情報を
出してくれます。ただ、そのことによって
自らが情報を整理し、考えを出す力は全く活用していません。
太宰が生きたのは、1909年から1948年と
戦中、戦後の暮らしです。
ちょうど、2009年の今年、太宰が生まれて100年になります。
情報機器を使い、恥や失敗を恐れ日々を過ごす私たち。
太宰が今を生きていたら、何を思うのだろうか!?
恥の多い生涯を送って来ました。
の冒頭に続く、
自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。
そんな答えを太宰は言いそうな気がします。
先週の春のような天気から一転、
全国的に、また冬の寒さに戻ったみたいですね。
ちょっと暖かくなってから、また寒くなると
いつも以上に、寒く感じてしまいます。
先日、電車に乗っていると、仲の良さそうな
おじいさんとおばあさんが乗ってきました。
なんだか、おじいさんはそわそわした感じで
落ち着きがない様子。
そっと耳を傾けると、はじめてSuicaを使って
乗ったらしくて、ワクワクしているのだ。
Suica無くしてないかなと、あっちのポケット
こっちのポケットをガサゴソ・・・
おばあさんが、「大丈夫ですよ」と一言。
そんな2人のやりとりが微笑ましく映りました。
ずっと前から、乗っている電車でも、
はじめてSuicaを使って乗る高齢者の方は
ワクワク・ドキドキなのかもしれません。
ただのICカードも、おじいさんにとっては
新鮮さを与えてくれるものだったみたいですね。
同じことでも、ちょっとした変化があるというのは
ワクワクにつながるみたいです。おじいさんといえども、
その様子は、まるで小さな子どもがはじめて
電車の時に乗る様子と変わらない感じがしました。
年を重ねても、そういった子どもの心でワクワク・ドキドキを
素直に表せるというのは、悪くない感じがします。
話は変わって
「恥の多い生涯を送って来ました。」
この冒頭の一文を見れば、あの小説だと
わかる人も多いのではないでしょうか?
太宰 治の「人間失格」の冒頭の一文です。
今まで、誰もが1度は失敗や恥だったなと思う行為は
あるのではないでしょうか?
最近、色々と自分の考えだったり、人から聞いた話を
書いていたアイディア・メモ帳をなくしてしまいました。
他人に見られて嫌なものは書いていませんが、
それでも、誰かにそのメモ帳を見られていたらと思うと、
自分の頭の考えを見られているような気がして、
ちょっと恥ずかしいです。
他人から見れば、ただの落書きやメモに過ぎないものも
自分から見れば、記録であり、考えを紙に出したことで大事なもの
だったりします。
恥だなぁと、自分が感じる時
その時は、視点が自分でなく他人からの目を気にした時に生じるものです。
星 新一さんの短編の「ささやき」に
こういうものがあります。
2030年、火星に暮らしをしていて、
今度、地球で同窓会が開かれることになりました。
長い間、地球にいなかったために、
どんな話をすればいいのか、どう振舞えばいいのかわからず
恥や失敗を恐れて、情報機器に頼るというお話です。
いつの間にか、すべてを情報機器に頼りすぎて
自分で考える力を失ってしまっていることを皮肉ったお話です。
昔は、電車の乗り換えを失敗し遅れたことがあっても
今はケータイの乗り換え案内を使えば、ミスはないでしょう。
ケータイは使う側が、ミスをしなければ正確な情報を
出してくれます。ただ、そのことによって
自らが情報を整理し、考えを出す力は全く活用していません。
太宰が生きたのは、1909年から1948年と
戦中、戦後の暮らしです。
ちょうど、2009年の今年、太宰が生まれて100年になります。
情報機器を使い、恥や失敗を恐れ日々を過ごす私たち。
太宰が今を生きていたら、何を思うのだろうか!?
恥の多い生涯を送って来ました。
の冒頭に続く、
自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。
そんな答えを太宰は言いそうな気がします。
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