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Re.1998.9.25

2008-09-25 12:24:22 | 旧メンバーブログ
靴磨きの少年 ソーサ ドミニカの今や英雄

米大リーグで、年間最多本塁打記録を争っているサミーソーサは
カリブ海に浮かぶドミニカ共和国で生まれ育った。

「人種の壁」と直面しながら、奮闘する姿は
母国民の尊敬を一身に集めている。

折りしも、猛烈なハリケーンの襲来で多数の死者が出る中
この国を訪れた。
「われらが英雄」の打つ本塁打は、被害の深刻な国民を
元気づける力になっている。

首都サントドミンゴから東に70キロ
人口12万人のサンペドロ・デ・マコリスの中心街に
昨年12月、ソーサ選手が母ルクレシアさんに贈った大きな家がある。

ソーサ選手は、7歳で父を亡くし
6人の兄弟と2部屋の家で育った。

この国の野球環境は1980年ごろから大きく変わった。
リトルリーグが盛んになり、大リーグのドジャースが
野球学校を設けた。

グラウンド4面を持ち、約100人分の宿舎を用意した。
ブルージェイズやアスレチックスなどが続いた。

今季の大リーグの開幕メンバーでこの国の出身者は62人。
今や一大供給源なのだ。

失業率30%ともいわれるこの国の少年たちには
一流大リーガーになって、故郷に豪邸を建てる夢がある。

靴磨きやオレンジを売って家計を助けたソーサ選手は
しかし、同世代がプレーしたリトルリーグの経験がない。

16歳のとき、借り物のスパイクで入団テストを受けた。

貧しかった少年時代のつらい思い出が
故郷への贈り物に形を変える。異国での活躍と母国へのいたわりが
ソーサ選手を国民的ヒーローにした。

(朝日新聞 1998年9月25日付 夕刊一面より一部抜粋)

まるで、おとぎ話のようにも感じられた。
ソーサ選手と野球の出会いが彼の人生を変えた。

ヒーローはずっとヒーローで入られるわけではない。
月日の流れ、年齢の流れには逆らうことができず、
記録から、人々の記憶へと移り変わってゆく。

時は、10年過ぎた今、「世界の王」と称された
王 貞治監督が、昨日本拠地福岡でのラストゲームを行った。

試合後のセレモニーで王監督は
「心のこもった温かいメッセージを送っていただき、
ありがとうございました。14年間ユニホームを着させて
いただきまして大変幸せでした」とメッセージを述べた。

王監督と野球の出会いもまた、人生を変えたのだろう。

昨日、麻生太郎氏を内閣総理大臣として、
新しい内閣が発足した。

スポーツの世界にヒーローは存在するものの、
日本の政治の世界には、依然としてなかなかヒーローが出てこない気がする。

出てくるのは、ヒールばかりである。

王監督、ソーサー選手の姿を見て僕も「野球選手」になりたい
あういう人になりたいと思った子どもたちはたくさんいるだろう。

政治の世界にも、2世議員、3世議員、父、祖父の姿ではなく
新しいヒーローの存在が必要なのではないだろうか?









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