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Re.1999.12.3

2009-12-03 18:59:04 | 旧メンバーブログ
ひと  八重樫 忠義さん

初の全日本身障者野球
最年長の出場選手

右手で捕球すると、左脇にはさみ、
素早く球を抜き取って、投げ返す。

バットを握るのも右手だけだ。
ひじから先がない。

岩手県北上市の「北上リリーズ」で一塁を守る。
兵庫県日高町の、但馬ドームで4日に開幕する
初の全日本身障者野球選手権には、
全国6ブロックの代表選手が参加する。
松葉杖や義足の選手もいる。

「私の障害なんて、まだまだ軽いほう。
 年寄りだからといって、負けられません。」

終戦間際の9才のころ、河原で長さ5センチほどの
雷管を拾った。中の火薬をほじくっていたら、爆発した。

夢だった美術教師への道は、
高校の先生から、「片腕では難しい。」と言われ、
工場現場で土砂を担ぎ、映画館の看板も描いた。

そんなとき、テレビの向こうで
「物干しさお」を豪快に振り回す阪神の藤村富美夫選手の姿に出会った。
割り切れずに過ごしていた心を「野球」が奮い立たせた。

壁を相手に練習をし、自分にあったフォームを編み出す。
だが、近所のチームからは軒並み門前払いされた。
それならと、まずは健常者と一緒にチームを作った。

次第に「自分もやりたい」という身障者が集まり、
8年前、今のチームができた。
週に3回、朝5時半から練習を続け、今では東北大会で優勝18回を
誇る強豪に。堅い守りが自慢だ。

155センチ、43キロ。水洗トイレの配管工事会社に勤め、
練習には、いつも真っ先に駆けつける。

平均年齢が、40歳を超える20人近くの仲間を、
「陰の監督」として支える。

障害者が野球をすることに、「壁はない」
ただ、障害者チームは県内に2つしかないため、思うように試合が組めないのが
悩みだ。

晴れ舞台。
「ランニング本塁打ではなく、初体験のフェンス越え」を狙っている。

(1999.12.3付け 朝日新聞 ひと より抜粋)

1999年の12月の3日の新聞を眺めながら、
今日は、何を取り上げようかと思って調べていると、

「身障者野球」の文字が飛び込んできた。

つい先日、日本テレビのニュースZEROにて、
身障者の野球をやっていたのだ。

神戸コスモスの選手を取り上げ、プロ野球選手である、
巨人の小笠原選手との交流を放送していた。

記事でもあるとおり、

右手で捕球すると、左脇にはさみ、
素早く球を抜き取って、投げ返す。

言葉で表現すれば、このとおりなのだが、
おそらく映像で見た時は目が点になって見入ってしまった。

1本の手ではあるのだけれど、一連の流れでスムーズに
やっていく。

ぱっと見では、捕球したグローブがすぐに投げ出されて、
ボールだけをとり、
投げるので、何が起こっているかわからない。

スポーツを経験した人なら、わかるのではないだろうか。
私自身、テニスをやっていたが、
ラケットを持つ右手はもちろん、ラケットを持たない左手で
うまくバランスや重心をささえることが、大事なのだ。

プレーからも、相当練習した様子が見て取れた。
相当、苦労に苦労を重ねた様子が見て取れた。

身障者であっても、健常者と同じようにやって見せること

美術教師の夢が絶たれても、
違う夢を追える、そんな瞬間を見た感じがしました。




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