笑顔は「世界共通語」
学生寮に東南アジアなどからの留学生が来るようになって
から3年目になる。来日したての頃は、皆、ほんの片言の
日本語しか話せなかった。私のことを寮母と理解できず、
「ママ?」という。私が「ママよ」と答えたから、代々、私を
「ママ」と呼ぶようになった。
そんな彼女たちは夜になると、事務所に来て、
身振り手振りで話すようになるのだが、ひとことも
声を出さずにいつも黙っている子がいた。
でも私が笑顔を向けると、ニコッと笑い返してくれる。
少ししてまた笑顔を向けると、またニコッと笑う。
言葉はなくても、会話が出来たような気がした。
それから2年、今、その子は、私が「ありがとう」というと、
「どういたしまして」といい、私が朝から晩まで走り回っている
のを見て、「ママ、お体を大切になさってください。」と身を案じてくれる。
毎年、新しい留学生がやってくるが、私は精一杯の笑顔で、
彼女たちを迎え入れることにしている。
彼女たちに、笑顔は世界共通語、いや人間共通語ということを
教えてもらった・・・
地球上の人たちが、言葉は通じなくても笑顔で接し合えれば、
もっと平和になるのではないだろうか。
先日、美しい日本語で、ママありがとうと書かれたカードと、
赤いカーネーションを寮生からもらった。彼女たちの国でも
母の日にはカーネーションを贈るのだそうだ。
彼女たちの笑顔を一生忘れない。そして、本当に
笑顔の美しい人になることが、わたしの一生の課題だ。
(1997、5,24付け 朝日新聞 ひとときより)
笑顔というのは、人を元気にできるものだと、
思います。10年前、ノリが10歳だった頃、
まさか10年後、新潟にいるなんて思っても
いなかったことです。
もう10年したら、ノリはどこにいるでしょうか。
楽しみでもあります。
10年後の自分も、誰かを元気づけられる笑顔で
笑っていたいと思います。
でも不安だったり、心配なことだったり、
頑張り過ぎてしまうことを
笑顔で隠してしまうことも少なくないと思います。
言葉はある時に、プラスにもマイナスにも
働いてしまうものです。
何も言葉をかけてやれないときに、
そっと一言だけ
「無理をしないでね」
そんな風に笑顔で言える大人が
ノリの目標です。
学生寮に東南アジアなどからの留学生が来るようになって
から3年目になる。来日したての頃は、皆、ほんの片言の
日本語しか話せなかった。私のことを寮母と理解できず、
「ママ?」という。私が「ママよ」と答えたから、代々、私を
「ママ」と呼ぶようになった。
そんな彼女たちは夜になると、事務所に来て、
身振り手振りで話すようになるのだが、ひとことも
声を出さずにいつも黙っている子がいた。
でも私が笑顔を向けると、ニコッと笑い返してくれる。
少ししてまた笑顔を向けると、またニコッと笑う。
言葉はなくても、会話が出来たような気がした。
それから2年、今、その子は、私が「ありがとう」というと、
「どういたしまして」といい、私が朝から晩まで走り回っている
のを見て、「ママ、お体を大切になさってください。」と身を案じてくれる。
毎年、新しい留学生がやってくるが、私は精一杯の笑顔で、
彼女たちを迎え入れることにしている。
彼女たちに、笑顔は世界共通語、いや人間共通語ということを
教えてもらった・・・
地球上の人たちが、言葉は通じなくても笑顔で接し合えれば、
もっと平和になるのではないだろうか。
先日、美しい日本語で、ママありがとうと書かれたカードと、
赤いカーネーションを寮生からもらった。彼女たちの国でも
母の日にはカーネーションを贈るのだそうだ。
彼女たちの笑顔を一生忘れない。そして、本当に
笑顔の美しい人になることが、わたしの一生の課題だ。
(1997、5,24付け 朝日新聞 ひとときより)
笑顔というのは、人を元気にできるものだと、
思います。10年前、ノリが10歳だった頃、
まさか10年後、新潟にいるなんて思っても
いなかったことです。
もう10年したら、ノリはどこにいるでしょうか。
楽しみでもあります。
10年後の自分も、誰かを元気づけられる笑顔で
笑っていたいと思います。
でも不安だったり、心配なことだったり、
頑張り過ぎてしまうことを
笑顔で隠してしまうことも少なくないと思います。
言葉はある時に、プラスにもマイナスにも
働いてしまうものです。
何も言葉をかけてやれないときに、
そっと一言だけ
「無理をしないでね」
そんな風に笑顔で言える大人が
ノリの目標です。
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