「働く」生きがい 探し求めて 自分で作る
リストラ経験者 再起かけ居酒屋経営へ
リストラされた中高年たちの男たちが集まり、21日
東京の下町に居酒屋を開く。長年勤めた職場を紙1枚で解雇され、
再就職が困難な中、自らの手で仕事を起こし、再起をかけようというのだ。
一方で、その子供たちの世代には、「やりたいことがわからない」と、
あえて、「無職」を選んでいるかのような若者たちもいる。
いま、働くことの意味は
JR鶯谷駅から歩いて3分。
東京都台東区根岸1丁目の古びた民家を改造して、
その店は開店する。
「りすとらん元気交差点」
人が出会い、元気がもらえる場所にしたいと願いをこめた。
従業員は17人。自分たちで仕事の機会を作り出していこうと、
昨年10月に結成された労働組合「ユニオン」が経営する。
店長の瀬村彰男さんは2年前、建築資材メーカーをリストラされた。
「全員解雇」。属していた組合に会社側が出した2枚の紙で、
人生が変わった。
当時は営業課長。そこそこの成績はあり、自信もあった。
一緒に暮らす年老いた母も気になった。
「自分を否定された気がした。失業率が5%。その中に入ったんだから。」
雇用保険で食いつないだが、ユニオンに参加し、店長として働くことを決めた。
従業員は朝から準備に走り回る。改装工事を横目に、
瀬村さんはいう。
「ほかの企業に再就職しても、またリストラされるかもしれない。
働きぶりが給料に反映する職場。あきらめませんよ。」
ホール係は、昨年2月、貿易関係の会社をやめた。
高校を卒業後、これまでに5回、転職を経験した。
最後の会社は、年収400万円。それでも、今度こそ
定年まで勤め上げようと思っていた。
しかし会社は、50歳以上を対象に希望退職を募った。
さらに、対象年齢を40歳以上に引き下げた。
「社員はどんどん減らされ、仕事は処理能力を超えていた。
やめざるを得なくなっていた。」
3年前、30年のローンを組んで、都内に50平方メートルのマンションを買った。
月10万円、ボーナス時に25万円の返済が重くのしかかる。
「畑違いの仕事で不安だらけ、必死ですよ。」
ちゅう房で、包丁を握る男性は、以前も店長兼板長として、居酒屋で働いていた。
バブルのころは、月2000万円ぐらい売り上げがあったが、
最近は600万円にまで落ち込んでいた。
売り上げ減の責任を押し付けられた。
昨年7月に解雇された。
社員食堂、学校給食、焼き鳥やと面接を繰り返したが、
年齢を理由に断られ続けた。
やっとみつけた職場。後輩板長の指導にあたる。
(朝日新聞 2000年2月18日付 夕刊より抜粋)
ちょうど、この日の朝刊では、転職相次ぐ金融マンという見出しで、
外資系やベンチャー系へと金融マンが転職するという記事が載っていた。
自らの力を必要とされ、職場を変えられるもの
自らの力を必要とされず、職場が見つからないもの
この差は、いったい、どこから来るのだろうか?
一生懸命、仕事をこなすことに、差はあるものではないし、
誰か、他人と比べられるものではない。
ある方から、こんなことを教えてもらった。↓↓
ドイツでは、「仕事」という単語を、
”Beruf”(ベルーフ)と”Arbeit”(アーバイト)という
2つの単語にわけ考え方があると聞きます。
Berufは、それでいくら稼ぐということは関係なく、天職、
Arbeitは、生活費を稼ぐ手段
もちろん、両者が一致するに越したことははないかもしれませんが、
一致していなくたって構わないんだ!という発見は、
なかなか目から鱗、カルチャーショックでした。と。
今週のほぼ日のおとなの小論文教室で、
山田ズーニーさんが、「働きたくない」というあなたへ 3という中に
こんなことを書いています。
仕事は、基本、人を「束縛」するものだ。
仕事の拘束に耐え、義務を背負い、りっぱにまっとうして成果を出したものにだけ、
対価として自由は得られるのだ。
仕事は人を自由にはしない。
(おとなの小論文教室より、一部抜粋しました。)
これから、社会に出るにあたって、心の片隅においてかなければいけないこと
かもしれません。
自分にとって、仕事とはどうあるべき何だろう、
働くとは、どういうことなんだろう、
なぞが深まるばかりです。
少なくとも、ノリにとっては、1人で何かをするというより、
仕事を通して、誰かとつながりたい、という想いかもしれません。
では、つながって、どうするの?
働いてみながら、これは考えてみます。
リストラ経験者 再起かけ居酒屋経営へ
リストラされた中高年たちの男たちが集まり、21日
東京の下町に居酒屋を開く。長年勤めた職場を紙1枚で解雇され、
再就職が困難な中、自らの手で仕事を起こし、再起をかけようというのだ。
一方で、その子供たちの世代には、「やりたいことがわからない」と、
あえて、「無職」を選んでいるかのような若者たちもいる。
いま、働くことの意味は
JR鶯谷駅から歩いて3分。
東京都台東区根岸1丁目の古びた民家を改造して、
その店は開店する。
「りすとらん元気交差点」
人が出会い、元気がもらえる場所にしたいと願いをこめた。
従業員は17人。自分たちで仕事の機会を作り出していこうと、
昨年10月に結成された労働組合「ユニオン」が経営する。
店長の瀬村彰男さんは2年前、建築資材メーカーをリストラされた。
「全員解雇」。属していた組合に会社側が出した2枚の紙で、
人生が変わった。
当時は営業課長。そこそこの成績はあり、自信もあった。
一緒に暮らす年老いた母も気になった。
「自分を否定された気がした。失業率が5%。その中に入ったんだから。」
雇用保険で食いつないだが、ユニオンに参加し、店長として働くことを決めた。
従業員は朝から準備に走り回る。改装工事を横目に、
瀬村さんはいう。
「ほかの企業に再就職しても、またリストラされるかもしれない。
働きぶりが給料に反映する職場。あきらめませんよ。」
ホール係は、昨年2月、貿易関係の会社をやめた。
高校を卒業後、これまでに5回、転職を経験した。
最後の会社は、年収400万円。それでも、今度こそ
定年まで勤め上げようと思っていた。
しかし会社は、50歳以上を対象に希望退職を募った。
さらに、対象年齢を40歳以上に引き下げた。
「社員はどんどん減らされ、仕事は処理能力を超えていた。
やめざるを得なくなっていた。」
3年前、30年のローンを組んで、都内に50平方メートルのマンションを買った。
月10万円、ボーナス時に25万円の返済が重くのしかかる。
「畑違いの仕事で不安だらけ、必死ですよ。」
ちゅう房で、包丁を握る男性は、以前も店長兼板長として、居酒屋で働いていた。
バブルのころは、月2000万円ぐらい売り上げがあったが、
最近は600万円にまで落ち込んでいた。
売り上げ減の責任を押し付けられた。
昨年7月に解雇された。
社員食堂、学校給食、焼き鳥やと面接を繰り返したが、
年齢を理由に断られ続けた。
やっとみつけた職場。後輩板長の指導にあたる。
(朝日新聞 2000年2月18日付 夕刊より抜粋)
ちょうど、この日の朝刊では、転職相次ぐ金融マンという見出しで、
外資系やベンチャー系へと金融マンが転職するという記事が載っていた。
自らの力を必要とされ、職場を変えられるもの
自らの力を必要とされず、職場が見つからないもの
この差は、いったい、どこから来るのだろうか?
一生懸命、仕事をこなすことに、差はあるものではないし、
誰か、他人と比べられるものではない。
ある方から、こんなことを教えてもらった。↓↓
ドイツでは、「仕事」という単語を、
”Beruf”(ベルーフ)と”Arbeit”(アーバイト)という
2つの単語にわけ考え方があると聞きます。
Berufは、それでいくら稼ぐということは関係なく、天職、
Arbeitは、生活費を稼ぐ手段
もちろん、両者が一致するに越したことははないかもしれませんが、
一致していなくたって構わないんだ!という発見は、
なかなか目から鱗、カルチャーショックでした。と。
今週のほぼ日のおとなの小論文教室で、
山田ズーニーさんが、「働きたくない」というあなたへ 3という中に
こんなことを書いています。
仕事は、基本、人を「束縛」するものだ。
仕事の拘束に耐え、義務を背負い、りっぱにまっとうして成果を出したものにだけ、
対価として自由は得られるのだ。
仕事は人を自由にはしない。
(おとなの小論文教室より、一部抜粋しました。)
これから、社会に出るにあたって、心の片隅においてかなければいけないこと
かもしれません。
自分にとって、仕事とはどうあるべき何だろう、
働くとは、どういうことなんだろう、
なぞが深まるばかりです。
少なくとも、ノリにとっては、1人で何かをするというより、
仕事を通して、誰かとつながりたい、という想いかもしれません。
では、つながって、どうするの?
働いてみながら、これは考えてみます。
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