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Re.1998.10.30

2008-10-30 20:27:29 | 旧メンバーブログ
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松下電器産業で、韓国に半導体を売っている
三輪さん。

大阪府茨木市の自宅にベトナムから1枚の招待状が届いた。

「ベト・ドク分離手術の10周年記念式」

思いもかけなかった招待状を見て、ベトちゃん・ドクちゃんに
会った時のことを思い出した。

1991年9月はじめ、独身身軽さで、ベトナムを一人旅した。
「ベトちゃん・ドクちゃんに会わせるよ。」

という提供ガイドに言われるまま、ホーチミン市の病院を訪ねた。
ベトナム戦争で米軍がまいた枯れ葉剤の影響で、
生まれたとされる2重体児。

88年10月に分離手術を行い、入院生活を続けていた。

ベトちゃん・ドクちゃんがいた。
見世物ではない、とは思っていたが、
「世界的有名人に会ったうれしさ」で
記念写真を撮った。

すると看護婦さんが三輪さんに詰め寄った。

「あなたたち日本人は、ロボットのおもちゃや千羽鶴ばかり
 くれて、記念写真を撮っては帰るだけ。
 本当に欲しいのは、人工肛門なのですよ。」

人工肛門は本来、使い捨てだが、ベトナムでは繰り返し使われていた。

日本を代表して怒られているような気分になり、
三輪さんは人工肛門などの医療機器を送る約束をした。

帰国後、あちこちを電話して探し出し、10月初旬に
2か月分を賄える約5万円分の人工肛門を送った。

その後も、小遣いを削ったり、忘年会などで同僚に
カンパしてもらったり、集めた資金で、医療器材を買い
年に1回のペースで送ってきた。

10周年記念式は、24日に開かれた。
ベトナムに行きたいという思いは、飛行機代の一部でも、
人工肛門の購入に充てた方がいい、と考えて抑えた。

当時と違い、結婚して3歳の娘もいる。
ベトちゃん・ドクちゃんはまもなく18歳になり、

自分の顔を覚えているはずもない。

「大きくなった遠い国の子より、自分の子。」というのも
正直な気持ちだ。

ただ、経済危機に直面する韓国向けの
「半導体セールスマン」として忙しい日々を送るだけではなく、
違った自分がいることが、うれしい。

「マイペースなので、続けていられるのだと思います。
 ベト・ドクと細いけれど確かな絆があります。
 これで十分です。」

(朝日新聞 1998年10月30日付 経済面より)


ボランティアや国際協力というときに、
やってあげたいという気持ちとは、反対に行動そのものは
支援を必要としているニーズに応えてないことは多いのではないだろうか。

一方的な形で、やってしまって自己満足で終わってしまっている。
やってもらったほうには、感謝の気持ちよりも、

「何もわかっていない」との気持ちが残るのではないだろうか。


三輪さんは言っている
「細いけれど、確かな絆がある。」

人工肛門という支援物資を通して、
形ではみられない絆がつながった。

何もしなければ、つながらなかった絆
小さな小さな1歩の積み重ねが、

絆を作り出す。

マイペースではじめる、小さな1歩
どんなことが出来るのだろうか?



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