ひと 荻原健司さん
長野五輪の開会式で選手宣誓をする
荻原健司さん
「世界の祭典の1発目。日本男児としてばっちり決めたい。」
いまや、「日本の顔」となった日本選手団の主将は
宣誓前にこのように言った。
1964年五輪では、体操の小野僑選手が大役を務めた。
72年札幌冬季五輪では、スピードスケートの鈴木恵一選手だった。
26年後の主役は、日本オリンピック委員会幹部が「ほかにいない」
と一致しての起用だ。
92,93年シーズンから世界各地を転戦するワールドカップで
個人総合3連覇。北欧を中心に、知名度は抜群だ。
ノルデイックスキーの本場、ノルウェーの在日日本大使館を
たずねてみた。その国で最も名のとおった日本人は誰でしょうか。
答えは
「黒澤明か荻原健司ではないでしょうか」
主将の仕事を1度は断った。「勝つことに集中したい。」
だが、小さいころ、芸能界にもあこがれた目立ちたがり屋。
「開会式のことを考えると、2,3日眠れません、というのは
ウソで大丈夫。僕がその時間がその時間を独り占めできるんですから」
競技への影響を最小限に抑えるため、宣誓文は早めに暗記した。
ここ2週間は、欧州の合宿に打ち込んだ。
「開会式でもビシッと決めれば、競技に向けても、気持ちを高めて
いける。」
Wカップ通算19勝。世界選手権でも2度、個人優勝を経験した。
なぜか、五輪の個人戦でメダルに縁がない。若手の台頭で
長野でも厳しい戦いが予想される。
「だれが勝つかは、終わってみないとわからない。
地元の五輪でかっこいいところ見せますよ。」
(朝日新聞 1998年2月7日付け ひと より)
現在、参議院議員となり、スポーツ振興や教育問題、
環境問題に力を注ぎ活動を荻原さんは展開している。
弟の次晴さんのほうが、ズームインやタレントとして
見る機会が増えた。双子で挑んだ長野五輪が
思い出される。
オリンピックというのは、
どの試合よりも、選手にとって特別に感じるのだろう。
まして、その主将となれば、プレッシャーもあることながら
りっぱに大役をつとめた荻原さん。目立ちたがり屋
そんな性格も選手宣誓にあっている。2004年
アテネ五輪では、実績から主将に柔道の井上康生選手が
大役を務めた。金メダルを期待されながらも、
惜しくも4回戦で敗退。日本の主将であることに
1番金メダルをとらなければいけないと感じていたのだろう。
2008年夏 北京オリンピックが開かれる。
まだ、井上選手が北京の切符を確実に手にしてはいないが、
荻原選手のように、
「開会式のことを考えると、2,3日眠れません、というのは
ウソで大丈夫。僕がその時間がその時間を独り占めできるんですから」
今度は1選手として、競技に専念し、柔道の歓声を
井上選手が独り占めにしてもらいたいと願う
長野五輪の開会式で選手宣誓をする
荻原健司さん
「世界の祭典の1発目。日本男児としてばっちり決めたい。」
いまや、「日本の顔」となった日本選手団の主将は
宣誓前にこのように言った。
1964年五輪では、体操の小野僑選手が大役を務めた。
72年札幌冬季五輪では、スピードスケートの鈴木恵一選手だった。
26年後の主役は、日本オリンピック委員会幹部が「ほかにいない」
と一致しての起用だ。
92,93年シーズンから世界各地を転戦するワールドカップで
個人総合3連覇。北欧を中心に、知名度は抜群だ。
ノルデイックスキーの本場、ノルウェーの在日日本大使館を
たずねてみた。その国で最も名のとおった日本人は誰でしょうか。
答えは
「黒澤明か荻原健司ではないでしょうか」
主将の仕事を1度は断った。「勝つことに集中したい。」
だが、小さいころ、芸能界にもあこがれた目立ちたがり屋。
「開会式のことを考えると、2,3日眠れません、というのは
ウソで大丈夫。僕がその時間がその時間を独り占めできるんですから」
競技への影響を最小限に抑えるため、宣誓文は早めに暗記した。
ここ2週間は、欧州の合宿に打ち込んだ。
「開会式でもビシッと決めれば、競技に向けても、気持ちを高めて
いける。」
Wカップ通算19勝。世界選手権でも2度、個人優勝を経験した。
なぜか、五輪の個人戦でメダルに縁がない。若手の台頭で
長野でも厳しい戦いが予想される。
「だれが勝つかは、終わってみないとわからない。
地元の五輪でかっこいいところ見せますよ。」
(朝日新聞 1998年2月7日付け ひと より)
現在、参議院議員となり、スポーツ振興や教育問題、
環境問題に力を注ぎ活動を荻原さんは展開している。
弟の次晴さんのほうが、ズームインやタレントとして
見る機会が増えた。双子で挑んだ長野五輪が
思い出される。
オリンピックというのは、
どの試合よりも、選手にとって特別に感じるのだろう。
まして、その主将となれば、プレッシャーもあることながら
りっぱに大役をつとめた荻原さん。目立ちたがり屋
そんな性格も選手宣誓にあっている。2004年
アテネ五輪では、実績から主将に柔道の井上康生選手が
大役を務めた。金メダルを期待されながらも、
惜しくも4回戦で敗退。日本の主将であることに
1番金メダルをとらなければいけないと感じていたのだろう。
2008年夏 北京オリンピックが開かれる。
まだ、井上選手が北京の切符を確実に手にしてはいないが、
荻原選手のように、
「開会式のことを考えると、2,3日眠れません、というのは
ウソで大丈夫。僕がその時間がその時間を独り占めできるんですから」
今度は1選手として、競技に専念し、柔道の歓声を
井上選手が独り占めにしてもらいたいと願う
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます