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「おわび」の時間

2008-02-07 17:58:10 | 旧メンバーブログ
センター試験からは2週間以上が過ぎ、
受験生は、自分の出願した大学に向けて
ラストスパートですね。

たまに私立の受験会場という
プラカードを持っている人も見かけますね

そんなわけで、受験というと、教科ごとに試験もやる場合が
多いかと思いきや、ここ10年くらいでは、
「小論文」の試験だけということも少なくないそうです。

ノリも2度、小論文の試験を受けたことがありますが、
教科の試験とも違い、当たってる当たっていないも
わかりにくく、自分が自信があっても、解答者側から見れば、
たいしたことなかったりするものです。

ノリも会心の出来で書けたものというのがあったんですけど、
それは、たまたま別のテーマを扱ったときの解答例のイメージが
残っていたものを書いたものでした。

自分の頭で考え、自分の思いを、自分の言葉で表現するはずが、
そうではなかったんですよね。ありきたりというか、解答例の言葉を
引用したに過ぎないのですから、簡単に見破られたのだと思います

結局その大学は落ちてしまったのですが

すんなりと自分の中で受け入れることが出来るものでした

本屋さんにブラリと立ち寄るのが好きなノリが
紫色の装丁でなんだか惹きつけられてしまい

買ってしまいました。山田ズーニーさん著者による
「おとなの小論文教室」理解という名の愛がほしいというものです。

コラムの単行本化したもので読みやすくいいかなと思って
ちょっと空いた時間に読んでいます

その中の1つ、「おわび」の時間をご紹介

たいていのことは、とりかえしがつく。
いったん切れた人との関係も、またつながっていく。

ここのところ、再生について考えてきた。
そこをつなぐのが、「おわび」ではないだろうか?

再生の機会として相手がくれたのは、言葉だった。
謝罪の言葉はない。派手な懺悔もない。とてもさりげない、
おたよりであったが、ある点が存在した。

どちらも利他、つまり私のことを考えていた。
傷つけてしまったそのこと自体は償えなくても、
等価の「うれしい気持ち」を私に与えようとしてくれた。

一方でつながらない、「自虐おわび」

「私が悪いんです。私はこういう点が至らないし、
 私はこういう知識が足りないし、私はどうして・・、こんな」

というように、理由を説明しているような、自己分析しているような
だんだん懺悔のような、自分を責めると言うか、自分の釈明をしているようにも
見える。

1人でミスを出して、1人で落ち込んで、自己分析したり、懺悔したり、
釈明したり、1人ですっきりして、1人で決意表明をして、
その間、周囲をふりまわして。

お詫びの時間は自分のためではなく、利他。迷惑をかけた
相手に費やすものだ。

相手のモチベーションを下げたら、上がるような時間を、
相手の気持ちを冷やしたのなら、温かくなるような記憶を、

それを提供するのが、「おわび」の時間だ。

(「おとなの小論文教室Ⅱ」理解という名の愛がほしいより一部抜粋)

この文章を読んで、なんとなくハッとさせられました。
自分がやっているのは「自虐おわび」が多いのかもしれないと。

今度、ノリもしばらくちゃんと話していなかった相手と
話をしてくる予定です。この文章を読む前は、きっと自分が悪かったという
風な「自虐おわび」をしていたかもしれません。それはただ、自己満足でしか
ないのかもしれませんね

ズーニーさんの言うように、
相手の気持ちを冷やしたのなら、温かくなるような記憶を、
楽しい時間を過ごすことのほうが大切ですね

今回はちょっと長めです。毎回読んでくれている方
ありがとうございます





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