✳️【アンドリュー・ジャクソンの愚策】
自立性の高い州の連合体として出発したこともあって、初期のアメリカでは、州ごとに通貨もまちまちでした。そこで、第2合衆国銀行は、連邦全体を統一した銀行制度の確立を目指します。
20年後に特許更新という定めは第2合衆国銀行も同じです。次回更新を4年後に控えた1832年、第2合衆国銀行総裁のニコラス・ビドルは、1811年の第1合衆国銀行の失敗を繰り返さぬよう、議会の重鎮だったヘンリー・クレイに働きかけ、特許更新法案を連邦下院で通過させました。
ところが、ときの大統領アンドリュー・ジャクソンは、この特許更新法案に対して拒否権を発動します。上院もこれを覆すことができず、第2合衆国銀行の命運は風前の灯火になりました。
ジャクソンが第2合衆国銀行の特許更新に対して拒否権を行使したのは、経済学的に裏付けがあったからではなく、国民世論の間に蔓延していた反銀行感情を利用して、クレイを筆頭とする反ジャクソン派に打撃を与えることが目的でした。
当時の国民の間では、第2合衆国銀行は公金で特権階級の便宜を図り、投資の利益を分配するものとして、連邦政府と特権的資本家との癒着の象徴と見る空気が根強くありました。天才的なポピュリストでもあったジャクソンは、合衆国銀行を「モンスター」と呼び、総裁のビドルを「人民の敵」として非難することで喝采を浴びたのです。(中略)
ジャクソンは、政敵が銀行を支持しているからと、「銀行反対」の世論を煽って、本当に中央銀行を潰してしまいました。無茶苦茶な話です。
国民感情に流されて第2合衆国銀行を否定してしまえば、通貨の管理が混乱するのは誰の目にも明らかです。しかし、ジャクソンはなんら具体的な対案を示しませんでした。(中略)
再選を果たしたジャクソンは、第2合衆国銀行に止めをさすべく、1833年、連邦政府預託缶を合衆国銀行から引き揚げ、「ペット・バンク」と呼ばれた民主党系の7つの州法銀行へ分配しました。この結果、ジャクソン政権が発足した1829年には4800万ドルだった紙幣の流通量は、ジャクソンが退陣した1837年には1億5000万ドルと3倍以上にも膨れ上がってしまいました。
さらに、ペット・バンクが、新たに振り込まれた資金を用いて投機をおこなった結果、地価は暴騰し、インフレはますます深刻化します。(中略)対策を求める資本家たちに対してジャクソンは「来る場所が違う。ビルドに頼め!」と言い放ち、すげなく追い返したそうです。
こうして、アメリカは中央銀行不在の時代に突入します。 内藤陽介〈みんな大好き陰謀論〉より
✔️【真相〈アンドリュー・ジャクソンの偉大な功績を無視している〉】
都合のいい視点から都合のいいことばっかり書いて、なにがなんでもアンドリュー・ジャクソンを貶めようと必死になっているようですが、実はジャクソンというのは……
●中央銀行なしでアメリカ経済を発展させた
●連邦政府の負債を完済した(史上唯一)
●政権が変わるたびに官吏が入れ替わる習慣を作った
……といった偉大な実績のある、アメリカ史上屈指の偉大な大統領なのです。
【暗殺されかかったジャクソン】
ちなみに未遂に終わりましたが、ジャクソンは史上初めて暗殺の標的にされたアメリカ大統領でもあります。
ジャクソンのやることは、ユダヤ銀行勢力によっておもしろくないものばかりなので、ジャクソンにヒットマンを差し向けたのはユダヤ銀行勢力と見て間違いないでしょう。
これらの事実をすべて無視していることから、内藤陽介の主張がただの我田引水に過ぎないことがわかっていただけると思います。
【まとめ】
●ジャクソンは史上屈指の偉大な大統領だった。
●内藤陽介はその事実を完全に無視している。