今年の「エリザベート」納め(になるのか?)。
宝塚版と東宝版、これだけ短いスパンで両方見ることは過去なかった(はずな)ので、
無駄に比較して違和感を持っちゃうんじゃないか、と懸念していたのですが、
あんまりそういうことはなくて、私の中で両バージョンは矛盾なく同居してるんだな~と
実感できたのも収穫。(比較して考察したのは面白かったけど)
この日のキャストは、
エリザベート:花總まり
トート:城田優
ルキーニ:成河(ソンハ)
フランツ・ヨーゼフ:田代万里生
ルドルフ:古川雄大
ゾフィ:涼風真世
少年ルドルフ:大内天
去年の感想とか読み返していて思ったのは、去年は本当に、
花總まりにうっとり見入っている間に終わってしまった
んだなあ(苦笑)ということ。
まあ、帝劇という「非日常」の空気と、ほぼホームグラウンドの梅芸の違いもあったかも。
没入感は去年のほうが上だったなあ。
(そういう点ではやっぱり博多座行きたかった…音響も絶対あっちのほうがいいし)
ゆえに、演出の一つ一つがとっても新鮮。
去年と一緒だったかも知れないけど、初めてのような感覚で見られた。
(もしかしたらこれこそ、先月の宝塚版と比較しながら見ちゃってたのかな?)
トートダンサーの動きから始まる物語。
物語の先導役は、いつもトートダンサー。「死」の影が先行する世界。
そこに響く、ルキーニ@成河さんの声。
成河ルキーニ、一気に引き込まれました。
東京公演でも博多公演でも絶賛の嵐だったので、見られるのが本当に楽しみだったのですが。
見たことのない、ルキーニでした。
狂った妄想の中でトートを生み出し、トートダンサーたちを生み出し、
物語を支配する存在感。
それと同時に、物語世界の中に確かに生きている、リアリティ。
ああ、ルキーニって、こういう役だったんだ。
「悪夢」の場面で、亡者たちがただの観客になり、
ルキーニの犯行を息を詰めて見つめているのが興味深かった。
ルキーニの死に始まり、ルキーニの死に終わる。
これは間違いなく、ルキーニの物語だったんだ。
柩のセットがくるくる動いて色んな形になるんだけど、
一直線に並んで斜めに傾いた長い舞台になるのが、ウィーン版のヤスリのセットを思い出させた。
皆が見つめる中登場する、花總シシィ(15歳♪)
……お花様、また若返ってません?(白目)いくつですかアナタ(禁句)
が、しかし、ウィーン宮廷にはもう一人妖怪が存在したのだった!(失礼)
年齢不詳の美貌を誇る皇太后が!!
……カナメ様(テル君じゃなくって涼風さんね)っていくつですか?(禁句)
…………宝塚トップスタァ恐るべし(違う)
いやあ…だってさあ…ルドヴィカ役のハマコ様って、お花様より下級生だよね?(爆)
てか、カナメ様のサヨナラ公演で初舞台だよね?(爆)
や、現役当時からおじさま専科だったハマコ様はそれはそれで凄いのですが(遠い目)
(余談ですが、ロビーで売ってたハマコ様CD、「青きドナウの岸辺」から「最後のダンス」まで収録って、守備範囲広すぎですってば)
そう言えばハマコ様も20年前の初演メンバー。初代「エーヤンの歌手」。
(2幕冒頭戴冠式の「さらば哀しみよ/エーヤン/エーヤン/エリザベート」部分)
その、恐ろしいほど美しいゾフィ皇太后と、その美貌を受け継いだ(笑)皇帝陛下。
今回は、とにかくこの母子が哀しくてかわいそうで、ハプスブルク家に感情移入して見ていた。
鏡の間の
「感情を抑えるのが皇帝の義務だ/だが君を失うぐらいなら信念を破ろう」
あたりからかな。
フランツもゾフィも、決して自ら望んで籠の中の生活を送っているわけではない。
だからこそ、籠から飛び出していこうとするシシィにフランツは惹かれ、
そんな2人をゾフィは許せないのだろう。
「悪夢」でのフランツの扱われ方が本当にひどくて(笑)
もうかわいそうでかわいそうで。
もう6年もやってるのに、初めて見た、城田トート。
とにかく、ビジュアルの勝利。
同じ人間ぢゃない感が凄い(笑)
そして、かわいい。……こんな感想が出るとは思わなかった。
かわいくてかわいくて。
毎回ツボに入るのが、「いつの間にか」その場にいる時の、膝を立てて座る姿。
あれ、そのままフィギュアにして机に飾りたいっっ!
「エリザベート泣かないで」でドアの後ろから現れるのもかわいい。
声の出し方は、思っていたよりずっと高くて軽くて、
そういう声の出し方で「異質性」を表現するのか、と驚いた。
いつだって、ふざけているような話し方で(ルドルフへの「死にたいのか?」が特に)。
人間とは違う理屈で動いている。
「死」という、人間にとってもっとも深刻な問題が、
黄泉の帝王にとってはここまで軽いものだというのが怖かった。
私にとって一気にエンジンがかかったのは、「闇が広がる」(え? もう終盤だよ?)
ルドルフを嬲る、その姿が、とっても楽しそうで。
また、嬲られる古川ルドルフが、おいしそうで。
心なしか、東宝版は宝塚版よりも闇広のテンポが速い気がする。
「え? もう終わっちゃうの?」と思ってしまう、ずっと見ていたい、闇広でした。
ハンガリー独立運動の、踊るルドルフも踊るトートもいいなあ。
会話シーンでの煽り方も大好き。楽しそうで。
古川ルドは、マイヤーリンクで自らトートにキスして死を選ぶんですね。
銀のピストルは、宝塚版での赤いナイフのスライドだと思うけど、演出うまいなあと思う。
個人的に城田トートは、対シシィの歯がゆい感じより、
シシィ以外に対する余裕たっぷりの姿のほうが魅力的でした。
そして霊廟での「まだ私を愛してはいない!」これは宝塚版とは違ってトートの絶望は無いから、
打ちのめされたシシィを嬲ってる感じで萌えた。
「悪夢」の「ルキーニ! 早く取りに来い!」の表情も良かった。
そして、1年ぶりのお花様シシィ。
十代の少女がかわいすぎた、のは前述の通り。
「私だけに」の覚醒も、鏡の間の勝利も、本当に鮮やかでひたすら快感だった。
特に、鏡の間。
哀れな皇帝も、人間と違う原理で動いている黄泉の帝王も、まとめて征服する、圧倒的な力。
その圧倒的に強くて圧倒的に美しいエリザベートを、今回初めて、「哀れだ」と思った。
最初は精神病院。
宙組版のモンチ@ヴィンディッシュとの交感の印象が強かったからかな。
この場面での、シシィとヴィンディッシュの断絶に戦慄した。
「私が戦い続け手に入れたものは何?/孤独だけよ」の独白がとにかく悲痛で。
自分の世界を持ってその中に君臨しているヴィンディッシュに、
全てを勝ち取ったはずのエリザベートが「敗北した」ように見えた。
この時点で「何も得られていない」ことを自覚してしまったから、
フランツの裏切りで心が折れてしまったのかなと。
そして、「僕はママの鏡だから」~「死の嘆き」。
自分の姿を隠して、心を隠して、伝説の「美貌の皇后」であり続けてきたシシィは、
それ故に我が子を救えず、見殺しにしてしまう。
(今回思ったのは、これって、「ゾフィの死」で語られた、
ゾフィの敗北と悲哀と合わせ鏡なんだな、ということ。
ゾフィとシシィに共通項がある「エリザベート」も初めてで面白い)
更に、今までずっとシシィを求め追ってきたはずのトートにまで拒絶され、
シシィは自分が拠って立つところを全て失う。
よろよろと柩から離れるところをルキーニに撮影され、絶叫するシシィを、
「醜い」と感じてしまった。
息子を亡くしたこの期に及んでもなお、
他人から見える自分のイメージを守ることに固執してしまうシシィ、
「不幸さえも切り売りする」シシィの姿が醜くて、
そんな風にしか生きられない彼女を「哀れだ」と思った。
場面は前後するんだけど、東宝エリザでは2幕の「パパみたいに(リプライズ)」が一番好きで、
毎回しみじみ聞くのだけれど、今回は、この中のやりとり
「気の持ちようで幸せに」「自分は騙せない」が、全てなんだなと思った。
違う解釈をすれば幸せになれたはずの人生。でも、そう生きられないのがエリザベート。
「自分は騙せない」。
「彼女を救わなくては」
フランツがどれほど手をさしのべても、シシィには届かない。
2人は同じゴールにはたどりつけない。
フランツがかわいそうで、シシィが哀れで、
「夜のボート」が本当に感動的だった。
シシィが哀れだったから、ルキーニの凶刃でそこから解放されたラストの表情に、
心から「良かったね」と思えた。
東宝版は最後の「愛のテーマ」があっさり短いのよね~
もっとしつこく見たいぐらいの、カタルシスでした。
この日は三井住友VISAカード貸切。
御挨拶で「三井住友VISAカード」を噛みまくるお花様と、その度に
「噛んでないよ!」と謎フォローをする城田トートがかわいすぎた^^
後は、個人的な好きポイント。
・バートイシュルで、本当に「変なヘアー(&メイク)」のヘレネ。直してあげてください…
・結婚式のワルツで、ダンスのパートナーチェンジで相手がマックスになった瞬間、
あからさまに嫌な顔をするゾフィ様。
さて、来月の宙組千秋楽中継どうしようか…(行きたい)
宝塚版と東宝版、これだけ短いスパンで両方見ることは過去なかった(はずな)ので、
無駄に比較して違和感を持っちゃうんじゃないか、と懸念していたのですが、
あんまりそういうことはなくて、私の中で両バージョンは矛盾なく同居してるんだな~と
実感できたのも収穫。(比較して考察したのは面白かったけど)
この日のキャストは、
エリザベート:花總まり
トート:城田優
ルキーニ:成河(ソンハ)
フランツ・ヨーゼフ:田代万里生
ルドルフ:古川雄大
ゾフィ:涼風真世
少年ルドルフ:大内天
去年の感想とか読み返していて思ったのは、去年は本当に、
花總まりにうっとり見入っている間に終わってしまった
んだなあ(苦笑)ということ。
まあ、帝劇という「非日常」の空気と、ほぼホームグラウンドの梅芸の違いもあったかも。
没入感は去年のほうが上だったなあ。
(そういう点ではやっぱり博多座行きたかった…音響も絶対あっちのほうがいいし)
ゆえに、演出の一つ一つがとっても新鮮。
去年と一緒だったかも知れないけど、初めてのような感覚で見られた。
(もしかしたらこれこそ、先月の宝塚版と比較しながら見ちゃってたのかな?)
トートダンサーの動きから始まる物語。
物語の先導役は、いつもトートダンサー。「死」の影が先行する世界。
そこに響く、ルキーニ@成河さんの声。
成河ルキーニ、一気に引き込まれました。
東京公演でも博多公演でも絶賛の嵐だったので、見られるのが本当に楽しみだったのですが。
見たことのない、ルキーニでした。
狂った妄想の中でトートを生み出し、トートダンサーたちを生み出し、
物語を支配する存在感。
それと同時に、物語世界の中に確かに生きている、リアリティ。
ああ、ルキーニって、こういう役だったんだ。
「悪夢」の場面で、亡者たちがただの観客になり、
ルキーニの犯行を息を詰めて見つめているのが興味深かった。
ルキーニの死に始まり、ルキーニの死に終わる。
これは間違いなく、ルキーニの物語だったんだ。
柩のセットがくるくる動いて色んな形になるんだけど、
一直線に並んで斜めに傾いた長い舞台になるのが、ウィーン版のヤスリのセットを思い出させた。
皆が見つめる中登場する、花總シシィ(15歳♪)
……お花様、また若返ってません?(白目)いくつですかアナタ(禁句)
が、しかし、ウィーン宮廷にはもう一人妖怪が存在したのだった!(失礼)
年齢不詳の美貌を誇る皇太后が!!
……カナメ様(テル君じゃなくって涼風さんね)っていくつですか?(禁句)
…………宝塚トップスタァ恐るべし(違う)
いやあ…だってさあ…ルドヴィカ役のハマコ様って、お花様より下級生だよね?(爆)
てか、カナメ様のサヨナラ公演で初舞台だよね?(爆)
や、現役当時からおじさま専科だったハマコ様はそれはそれで凄いのですが(遠い目)
(余談ですが、ロビーで売ってたハマコ様CD、「青きドナウの岸辺」から「最後のダンス」まで収録って、守備範囲広すぎですってば)
そう言えばハマコ様も20年前の初演メンバー。初代「エーヤンの歌手」。
(2幕冒頭戴冠式の「さらば哀しみよ/エーヤン/エーヤン/エリザベート」部分)
その、恐ろしいほど美しいゾフィ皇太后と、その美貌を受け継いだ(笑)皇帝陛下。
今回は、とにかくこの母子が哀しくてかわいそうで、ハプスブルク家に感情移入して見ていた。
鏡の間の
「感情を抑えるのが皇帝の義務だ/だが君を失うぐらいなら信念を破ろう」
あたりからかな。
フランツもゾフィも、決して自ら望んで籠の中の生活を送っているわけではない。
だからこそ、籠から飛び出していこうとするシシィにフランツは惹かれ、
そんな2人をゾフィは許せないのだろう。
「悪夢」でのフランツの扱われ方が本当にひどくて(笑)
もうかわいそうでかわいそうで。
もう6年もやってるのに、初めて見た、城田トート。
とにかく、ビジュアルの勝利。
同じ人間ぢゃない感が凄い(笑)
そして、かわいい。……こんな感想が出るとは思わなかった。
かわいくてかわいくて。
毎回ツボに入るのが、「いつの間にか」その場にいる時の、膝を立てて座る姿。
あれ、そのままフィギュアにして机に飾りたいっっ!
「エリザベート泣かないで」でドアの後ろから現れるのもかわいい。
声の出し方は、思っていたよりずっと高くて軽くて、
そういう声の出し方で「異質性」を表現するのか、と驚いた。
いつだって、ふざけているような話し方で(ルドルフへの「死にたいのか?」が特に)。
人間とは違う理屈で動いている。
「死」という、人間にとってもっとも深刻な問題が、
黄泉の帝王にとってはここまで軽いものだというのが怖かった。
私にとって一気にエンジンがかかったのは、「闇が広がる」(え? もう終盤だよ?)
ルドルフを嬲る、その姿が、とっても楽しそうで。
また、嬲られる古川ルドルフが、おいしそうで。
心なしか、東宝版は宝塚版よりも闇広のテンポが速い気がする。
「え? もう終わっちゃうの?」と思ってしまう、ずっと見ていたい、闇広でした。
ハンガリー独立運動の、踊るルドルフも踊るトートもいいなあ。
会話シーンでの煽り方も大好き。楽しそうで。
古川ルドは、マイヤーリンクで自らトートにキスして死を選ぶんですね。
銀のピストルは、宝塚版での赤いナイフのスライドだと思うけど、演出うまいなあと思う。
個人的に城田トートは、対シシィの歯がゆい感じより、
シシィ以外に対する余裕たっぷりの姿のほうが魅力的でした。
そして霊廟での「まだ私を愛してはいない!」これは宝塚版とは違ってトートの絶望は無いから、
打ちのめされたシシィを嬲ってる感じで萌えた。
「悪夢」の「ルキーニ! 早く取りに来い!」の表情も良かった。
そして、1年ぶりのお花様シシィ。
十代の少女がかわいすぎた、のは前述の通り。
「私だけに」の覚醒も、鏡の間の勝利も、本当に鮮やかでひたすら快感だった。
特に、鏡の間。
哀れな皇帝も、人間と違う原理で動いている黄泉の帝王も、まとめて征服する、圧倒的な力。
その圧倒的に強くて圧倒的に美しいエリザベートを、今回初めて、「哀れだ」と思った。
最初は精神病院。
宙組版のモンチ@ヴィンディッシュとの交感の印象が強かったからかな。
この場面での、シシィとヴィンディッシュの断絶に戦慄した。
「私が戦い続け手に入れたものは何?/孤独だけよ」の独白がとにかく悲痛で。
自分の世界を持ってその中に君臨しているヴィンディッシュに、
全てを勝ち取ったはずのエリザベートが「敗北した」ように見えた。
この時点で「何も得られていない」ことを自覚してしまったから、
フランツの裏切りで心が折れてしまったのかなと。
そして、「僕はママの鏡だから」~「死の嘆き」。
自分の姿を隠して、心を隠して、伝説の「美貌の皇后」であり続けてきたシシィは、
それ故に我が子を救えず、見殺しにしてしまう。
(今回思ったのは、これって、「ゾフィの死」で語られた、
ゾフィの敗北と悲哀と合わせ鏡なんだな、ということ。
ゾフィとシシィに共通項がある「エリザベート」も初めてで面白い)
更に、今までずっとシシィを求め追ってきたはずのトートにまで拒絶され、
シシィは自分が拠って立つところを全て失う。
よろよろと柩から離れるところをルキーニに撮影され、絶叫するシシィを、
「醜い」と感じてしまった。
息子を亡くしたこの期に及んでもなお、
他人から見える自分のイメージを守ることに固執してしまうシシィ、
「不幸さえも切り売りする」シシィの姿が醜くて、
そんな風にしか生きられない彼女を「哀れだ」と思った。
場面は前後するんだけど、東宝エリザでは2幕の「パパみたいに(リプライズ)」が一番好きで、
毎回しみじみ聞くのだけれど、今回は、この中のやりとり
「気の持ちようで幸せに」「自分は騙せない」が、全てなんだなと思った。
違う解釈をすれば幸せになれたはずの人生。でも、そう生きられないのがエリザベート。
「自分は騙せない」。
「彼女を救わなくては」
フランツがどれほど手をさしのべても、シシィには届かない。
2人は同じゴールにはたどりつけない。
フランツがかわいそうで、シシィが哀れで、
「夜のボート」が本当に感動的だった。
シシィが哀れだったから、ルキーニの凶刃でそこから解放されたラストの表情に、
心から「良かったね」と思えた。
東宝版は最後の「愛のテーマ」があっさり短いのよね~
もっとしつこく見たいぐらいの、カタルシスでした。
この日は三井住友VISAカード貸切。
御挨拶で「三井住友VISAカード」を噛みまくるお花様と、その度に
「噛んでないよ!」と謎フォローをする城田トートがかわいすぎた^^
後は、個人的な好きポイント。
・バートイシュルで、本当に「変なヘアー(&メイク)」のヘレネ。直してあげてください…
・結婚式のワルツで、ダンスのパートナーチェンジで相手がマックスになった瞬間、
あからさまに嫌な顔をするゾフィ様。
さて、来月の宙組千秋楽中継どうしようか…(行きたい)
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