凰稀かなめさんの、サヨナラ公演。
宝塚は有限の楽園。
トップになれば、遠からず卒業の日は来る。
それでも慣れないし、慣れたくない。
あの、うつくしい人が、宝塚を去ってしまう。
【白夜の誓い ―グスタフ3世、誇り高き王の戦い―】
スウェーデン国王グスタフ3世は、「ベルばら」のフェルゼンが仕えた王で、
過去、ベルばらにも登場したこともある。(「フェルゼン編」)
でもどんな生涯を送った人かなんて全然知りませんでした。
配役は、あて書き。
去りゆくかなめさんが、王。
相手役みりおんは、政略結婚から愛を育む王妃。
うららちゃんが初恋の相手。
キタさんが実質相手役、幼馴染の側近。
途中で王に忠誠を誓う重臣が、まぁ君で、
反発していたけれども感化されていく、かいちゃん。
せーこちゃんが、貫録の、敵国女帝。
…という「役割」はあって。
後は空間を各々で埋めてね、という感じだったかなあ。
既視感が色々あったけど(オスカルに見えたりラインハルトに見えたり
ルドルフだったり、エカテリーナが『黒い瞳』まんまだったり)
これは「懐かしい」で済むレベル。
「物語」に軸がないのと、登場人物が全然コミュニケーションとらないのが、
正直しんどかった。
「これほど言ってもわからぬか」って、言ってないよ…
少なくとも相手の言うことにちゃんと返してないよ、お互い。
論点どこ?というのがもう、ストレスで。
あと、音楽が全然盛り上がらないのも辛かったなあ。
千秋楽近くに見たので、皆の熱演で空間が埋まっていたけれど。
退団公演でツッコミどころ満載、というのは、
真飛さんラストの『愛のプレリュード』を思い出したけど、
あれはあざといサヨナラ演出で大泣きできたのと、
罪のないコメディだったので(あれ? そうでもなかったっけ?)
悲劇である分、「しんどさ」が勝りました。
強く感じたのは、かなめさん演じるグスタフの「孤独さ」。
いや、「孤高」というべきか。
誰からも愛され、皆のことを愛しているのに、
誰とも同じ次元には生きていない。
独りだけ、違う世界で、違うものを見ている。
その姿に、惹きつけられずにいられない。
その「哀しさ」こそが、凰稀かなめだったのかもしれない。
ラインハルトも、エドモンも、バトラーも、オスカルも、
見られなかったけれどもきっとルドルフも、
たった独りで戦う孤高さと哀しさを背負った男だった。
みりおん@王妃は、その孤高さを理解して、その上で愛している。
諦観、というのとは違うのだけれども、
違う次元でいることを承知して、受け止めている。
まぁ君@リリホルンは、同じ世界にいたいと切望しながら
(彼はどちらかと言えば「同じ世界に留まってほしい」と願う感じだった)
届かない。最後はやっぱりそれを、受け止める。
最後の舞踏会に行くかどうかの下りで、それを思った。
うららちゃん@イサベルは、同じ世界で生きることを諦めている。
いや、作劇上はイサベルをちゃんとヒロインとして描くべきだと思ったよ?
キタさん@ヤコブだけが、同じ世界に行こうとした。
不可能であることを、可能にしようとした。
どんな手段を使っても。
そして、グスタフはそれを許した。
最後の作品が、テルキタ無理心中オチであることに
言いたいことはいっぱいあるけど(笑)
かなめさんのグスタフが、壮絶なまでに美しかった。
本当に、凄まじかった。
全てを見せ尽くしてくれた。そう思う。
【PHOENIX 宝塚!!―蘇る愛―】
「フェニックス」=鳳凰だから、「凰」なんですね。
藤井作品で退団ショーですから、安心して見られます。
あっちこっち「宙FANTASISTA!!」を思い出して、不思議な感覚に陥った。
あれも、宙組で。これも、宙組。
同じような演出で、構成で、同じ組が演じていて、
ここまで、違う。
時が移るということ。人が変わるということ。
それを感じる切なさと。
演じる人が違って、違うショーで、全く別物なのに、
与えてくれる熱量は、変わらない。
これが、「タカラヅカ」の底力なのかもしれない。
カナメールには楽しませてもらいました(笑)
「モンテ」好きだったなあ。
メイン場面で復活して登場するかなめ君を見ながら、
大和君を思い出し、
放つ光の質が全く違うことと、放つ光量が等しいこととを噛み締めた。
これは、私が好きだった宙組。
ここにいるのは、凰稀かなめ。
どれだけ大切な人を失っても、何度別れに涙を流しても、
「宝塚」は続いてきて、これからも続いていく。
受け継がれていくものは、確かにある。
お芝居の延長で、「孤独だっていいじゃない/自分が熱く燃えていれば」
という主題歌の歌詞に涙しました……。
「熱く燃えていれば」かあ…。
かなめさんは「氷の炎」って感じだなあ、と思い、
唐突に「ネオ・ダンディズム!」の歌詞を思い出したあたりも、
まあ、ヅカファンのサガなのでしょう(無理やり)
「宙組をずっと好きだったよなあ」と思うと同時に、
「かなめさんはコムさんとか水さんの時に雪組にいたんだよなあ」というのも
強く感じた、今回のショー。
(ついでに、まぁ君は花男だなあ、というのも実感した)
きっと今後、「凰稀かなめの遺伝子」を感じる機会もあるのでしょう。
宝塚100周年の締めくくり。
これからの宝塚にも幸あれ。
宝塚は有限の楽園。
トップになれば、遠からず卒業の日は来る。
それでも慣れないし、慣れたくない。
あの、うつくしい人が、宝塚を去ってしまう。
【白夜の誓い ―グスタフ3世、誇り高き王の戦い―】
スウェーデン国王グスタフ3世は、「ベルばら」のフェルゼンが仕えた王で、
過去、ベルばらにも登場したこともある。(「フェルゼン編」)
でもどんな生涯を送った人かなんて全然知りませんでした。
配役は、あて書き。
去りゆくかなめさんが、王。
相手役みりおんは、政略結婚から愛を育む王妃。
うららちゃんが初恋の相手。
キタさんが実質相手役、幼馴染の側近。
途中で王に忠誠を誓う重臣が、まぁ君で、
反発していたけれども感化されていく、かいちゃん。
せーこちゃんが、貫録の、敵国女帝。
…という「役割」はあって。
後は空間を各々で埋めてね、という感じだったかなあ。
既視感が色々あったけど(オスカルに見えたりラインハルトに見えたり
ルドルフだったり、エカテリーナが『黒い瞳』まんまだったり)
これは「懐かしい」で済むレベル。
「物語」に軸がないのと、登場人物が全然コミュニケーションとらないのが、
正直しんどかった。
「これほど言ってもわからぬか」って、言ってないよ…
少なくとも相手の言うことにちゃんと返してないよ、お互い。
論点どこ?というのがもう、ストレスで。
あと、音楽が全然盛り上がらないのも辛かったなあ。
千秋楽近くに見たので、皆の熱演で空間が埋まっていたけれど。
退団公演でツッコミどころ満載、というのは、
真飛さんラストの『愛のプレリュード』を思い出したけど、
あれはあざといサヨナラ演出で大泣きできたのと、
罪のないコメディだったので(あれ? そうでもなかったっけ?)
悲劇である分、「しんどさ」が勝りました。
強く感じたのは、かなめさん演じるグスタフの「孤独さ」。
いや、「孤高」というべきか。
誰からも愛され、皆のことを愛しているのに、
誰とも同じ次元には生きていない。
独りだけ、違う世界で、違うものを見ている。
その姿に、惹きつけられずにいられない。
その「哀しさ」こそが、凰稀かなめだったのかもしれない。
ラインハルトも、エドモンも、バトラーも、オスカルも、
見られなかったけれどもきっとルドルフも、
たった独りで戦う孤高さと哀しさを背負った男だった。
みりおん@王妃は、その孤高さを理解して、その上で愛している。
諦観、というのとは違うのだけれども、
違う次元でいることを承知して、受け止めている。
まぁ君@リリホルンは、同じ世界にいたいと切望しながら
(彼はどちらかと言えば「同じ世界に留まってほしい」と願う感じだった)
届かない。最後はやっぱりそれを、受け止める。
最後の舞踏会に行くかどうかの下りで、それを思った。
うららちゃん@イサベルは、同じ世界で生きることを諦めている。
いや、作劇上はイサベルをちゃんとヒロインとして描くべきだと思ったよ?
キタさん@ヤコブだけが、同じ世界に行こうとした。
不可能であることを、可能にしようとした。
どんな手段を使っても。
そして、グスタフはそれを許した。
最後の作品が、テルキタ無理心中オチであることに
言いたいことはいっぱいあるけど(笑)
かなめさんのグスタフが、壮絶なまでに美しかった。
本当に、凄まじかった。
全てを見せ尽くしてくれた。そう思う。
【PHOENIX 宝塚!!―蘇る愛―】
「フェニックス」=鳳凰だから、「凰」なんですね。
藤井作品で退団ショーですから、安心して見られます。
あっちこっち「宙FANTASISTA!!」を思い出して、不思議な感覚に陥った。
あれも、宙組で。これも、宙組。
同じような演出で、構成で、同じ組が演じていて、
ここまで、違う。
時が移るということ。人が変わるということ。
それを感じる切なさと。
演じる人が違って、違うショーで、全く別物なのに、
与えてくれる熱量は、変わらない。
これが、「タカラヅカ」の底力なのかもしれない。
カナメールには楽しませてもらいました(笑)
「モンテ」好きだったなあ。
メイン場面で復活して登場するかなめ君を見ながら、
大和君を思い出し、
放つ光の質が全く違うことと、放つ光量が等しいこととを噛み締めた。
これは、私が好きだった宙組。
ここにいるのは、凰稀かなめ。
どれだけ大切な人を失っても、何度別れに涙を流しても、
「宝塚」は続いてきて、これからも続いていく。
受け継がれていくものは、確かにある。
お芝居の延長で、「孤独だっていいじゃない/自分が熱く燃えていれば」
という主題歌の歌詞に涙しました……。
「熱く燃えていれば」かあ…。
かなめさんは「氷の炎」って感じだなあ、と思い、
唐突に「ネオ・ダンディズム!」の歌詞を思い出したあたりも、
まあ、ヅカファンのサガなのでしょう(無理やり)
「宙組をずっと好きだったよなあ」と思うと同時に、
「かなめさんはコムさんとか水さんの時に雪組にいたんだよなあ」というのも
強く感じた、今回のショー。
(ついでに、まぁ君は花男だなあ、というのも実感した)
きっと今後、「凰稀かなめの遺伝子」を感じる機会もあるのでしょう。
宝塚100周年の締めくくり。
これからの宝塚にも幸あれ。
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