猫・桜・自然・発煙筒・祭り・時々御酒と独り言

お立ち寄り有難うございます。

家猫6人庭猫2人と桜に囲まれ 忙しない毎日を生きております。

広島原爆の日 8 月6日

2011-08-06 23:50:31 | 日記
 
 何時の間にか 忘れられたかの様な8月6日 今日の東京は 蒸し
 
 暑く夏休み中の車や旧盆前の仕事の車が多数走っていて高速道
 
 路も一般道もとても混んで居た一日でした

 そしてこの日66年目のその日の朝を迎えました。

 核兵器として使用されたこの日と 戦後 平和利用としてのこれ

 からの世の中は原子力 全てのエネルギーが半永久に使える原

 子力に成る出で有ろうとの夢を育てたのが手塚さんの漫画アト
 
 ムで有ったりウランちゃんで有ったりした時代に育った私には

 既にアトムが産まれた時代に突入 ロボット世界に2011年には

 もっともっと時代は何から何まで原子力時代に成って居た筈と

 疑わなかった青年時代 1970年の大阪万博会場に勤務していた

 私は まさかあの3.11の悪夢がある何て思っても居ませんでし

 た。 少なくても 私の子供の頃には 2000年以降の世界は 薔

 薇色に見えていたのですが・・・・・

 あの日3月11日を境に 全てが変わってしまいました。

 朝5時から 先程帰りましたので 後程 写真アップと追記をします。


追記 8/08.02.09

 今年の 8/06日夜は 確か神宮花火大会が有った日でした。

 48年前 私が14歳の昭和38年8月6日の夜も 釧路港では 花火

 大会の日でした。 その年の夏は 何時もの夏よりも晴れ間が

 少なく当日も午後から霧が薄っすらとかかる日と成ってました

 夏休みに入るのを待っていたか様に 4年間 釧路市立病院に

 入院して居た父の容態が悪化 毎日通いつめて居た時期でも有

 りました。

 当時・病院は高台にあり前年は 父と一緒に花火見物をした

 想い出が有る唯一の行事でした。
 
 夕方に成り晴れ間もでたので花火の開始の合図が上がった時

 母と担当医に呼ばれました。『二・三日が山かも知れない』と

 結局・其の日は 霧の中・強行されドカンと音がする度に眼前
 
 に薄っすらと明るくなるとても悲しい花火の記憶が有ります。

 遠い遠い昔の思い出ですが 私には 今も昨日の事の様に思い
 
 出される悲しい思い出です。

 その父が生きていた56歳を私は 既に追い越して生きておりま

 す。
 
 

 

 
コメント
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