
秋好善太郎 編『日本歴史写真帖』, 東光園, 大正2 (1913)
国立国会図書館デジタルコレクション
日英同盟協約の勲功者
英国外務大臣ランスタウン候 英国総理大臣パルフオハ氏 英国駐剳日本特命全権公使林董男爵
林 董(はやし ただす、1850年4月11日(嘉永3年2月29日) - 1913年(大正2年)7月10日)は、江戸時代末期(幕末)の
幕臣、明治時代の日本の外交官、政治家。伯爵。蘭方医佐藤泰然の五男で初代陸軍軍医総監・男爵の松本良順は実兄。
幼名は信五郎、名は董三郎(とうさぶろう)とも。変名、佐藤 東三郎(さとう とうさぶろう)。
明治30年(1897年)に第2次松方内閣下の駐露公使に任命されロシアへ赴任(スウェーデン・ノルウェー特命全権公使も兼任)、
明治32年(1899年)のオランダのハーグで開かれた万国平和会議に委員として出席、翌明治33年(1900年)に駐英公使となり
イギリスへ移り住んだ。この頃からイギリスとの同盟を主張しており、明治28年5月に『時事新報』でイギリスの同盟を説いて
いたほか、明治31年(1898年)では朝鮮半島における日本の利益伸長を主張、ロシアから提案された協商の締結を本国へ
打診すると共にイギリスとの結びつきも構想していた。
明治34年(1901年)、ドイツ代理大使エッカルトシュタインから日独英三国同盟の提案が行われ、これをきっかけにして日英間の
交渉が始まった(ドイツ本国はロシアと対抗する不利益を懸念したため離脱)。林は本国の指示でイギリス外務大臣の第5代
ランズダウン侯爵ヘンリー・ペティ=フィッツモーリスと交渉を重ね、明治35年(1902年)1月30日、ロンドンで第一次日英同盟を
調印した。
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駐剳(ちゅうさつ)とは、外交官や役人などが公務で長期にわたり外国に滞在することを意味します。

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