結果を期待する努力はどこか下品になるので、むしろ報われないと
割り切りつつ、自分のプライドを保つために努力を続ける。それが結
果的に運が向いてくることにつながるんだと思っています。
俳優 津川雅彦 「Middle Life」 読売新聞 2017年5月9日 朝刊
昨年の今日のエントリ
結果を期待する努力はどこか下品になるので、むしろ報われないと
割り切りつつ、自分のプライドを保つために努力を続ける。それが結
果的に運が向いてくることにつながるんだと思っています。
先日友達と話して無駄話はするもんだなと思うことがありました。
違う視点を獲得する、何気ない話が自分に刺さる瞬間。 特に、
一対一でしゃべるとき。 自分と違う脳みそと向き合うとおもしろいな、
と。 言葉じゃないんです。 元気になったり人を好きになるのに
大事なのは、言葉とともに受け取った言葉でないもの。 それが
私たちの世界のほとんどだと思います。
一人のソクラテスより二人の泥棒の意見が尊重されるのが多数決であり、
その本質は反知性主義です。 プロフェッショナル、専門家、職人が
判断すべき領域に多数決原理を持ち込むから世の中がおかしくなるのです。
朝起きて、夜眠る。また、朝起きるくりかえし。季節も春夏秋冬、
そして春がめぐってくる。このくりかえしは楽しみですよね。
いいくりかえしの中で、いいくりかえしを行っていると、リズムが
生まれ、ここちよい人生をおくれるように思います。
オタクにとっての幸せは、価値観を共有する人たちに自分のこだわりを
認めてもらうことなんです。
受賞作「IN’」は、この10年に撮影した三つのシリーズを束ねた写真集。敬老パスを利用してバスの窓から
東京一円を撮ったり、青春18きっぷでローカル線に乗り込み、窓越しに農村を写したり。何でもない光景の中に、
ユーモアをたたえ、変容する町の一瞬を白黒フィルムに刻印した。「スナップショットの復権ですね。原点回帰では
ないが、現代写真の多くがおつむで撮られていることへの反発はあります」
人は幸せかどうかと自ら考えるような状態では、足らない要素を探して
しまう。 それでは幸福感はないでしょう。 ふと振り返ったとき、
「幸せだなあ」と思えるのが本当の幸せではないでしょうか。
「子供のころ、弟が近所のわんぱくに竹で頭をたたかれて大けがをしたんだ。母親は
謝りに来たわんぱく坊主の親に『子供同士のこと。けがをさせようと思ってしたわけでなし、
気にしないでください』と、とがめなかったんだ。それ以来、ぼくも弟もその子の親には
本当によくしてもらってね。親同士も誰より仲のいいご近所になっていたよ」
嫌えば嫌われるという言葉に対して、思えば思われるという言葉がある。「好意の返報性」という。
相手への好意はちゃんと返ってくるというわけだが、人間、プラスの感情よりマイナス感情の
ほうが強いのも確かだ。
嫌悪の感情が乗り越えられるかどうか。人間社会にとっての最大のテーマかもしれない。
科学は、研究者の自発的興味と発想にもとづく無目的研究であるのに対し、技術は、建築、
土木、機械のように、目的実現のためのものであり、西欧では、アカデミズムの外側で、
発展していた。そういえば、産業革命を推進した発明者たちは、大学とは無関係の人たちで
あった。だが明治維新以後西欧に学んだ日本では、科学と技術の区別が希薄であり、
工学部が(法学部とともに)総合大学の中心になった。
総合大学の中に工学部がおかれた世界で最初の国は、日本である。この歴史が純粋研究よりも
応用研究の日本の科学を生んだのであろう。
自由主義経済では、基礎的な科学研究は、不確実性の高さと初期費用の大きさから民間企業のみで
遂行することは難しい。つまり、科学研究は自由な市場経済では達成できない典型的な「市場の失敗」の
例であり、そのためには市場取引により親和性の高い応用研究と市場では対応できない基礎研究を
厳密に切り分け、基礎研究の投資は政府が行うほかない。科学研究への政府資金の投入がこういう議論で
正当化され、公共政策の一環となった。
欧米で日本の科学技術について話すと、「なぜ日本では科学と技術を
抱き合わせで使うのか」という質問が出ることがある。 (光電効果を
解明した)アインシュタインの例はむしろまれで、圧倒的多数の科学的
発見は役に立たない。 だが科学は人間の知を増やし心を豊かにする。
科学は文化、技術は文明の尺度と言い換えてもいい。
君にもっと早く 出会っていたら
今の僕はきっと
しあわせだった微笑んだあなた
駄目よもう これっきりよ
あの人と較べるのは やめて
指輪をつけて あげるから
歪んだネクタイ直して ...
自分の劣等感を少しずつひきはがしていくと、最後に誇りが残る。
それをみつけたものが幸せ。だから幸福をみつけるためには年月が
かかるんです。
・・・・
基準を作らなければ失敗もない。 道はどこそこに行こうと思うから
迷う。でたらめに行けば、着いたところが目的地なのだ。
だいたい、儲けてやろうとか自己実現しようとか、そういう考え方は
不純なんです。楽しもうという気持ちが先にこないと、いいものは
できない。