本の感想

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やっとわかった「ひだりうちわ」の語源

2022-10-11 21:34:12 | 日記

やっとわかった「ひだりうちわ」の語源

 生まれてからずーと左うちわがなぜ気楽な生活を意味するのか分からなかった。だれも語源を教えてくれなかった。団扇は右手で使った方が楽な気がする。たまたま立ち寄った日銀の貨幣博物館で、やっと語源を知ることができた。

 江戸の町人の子供がお正月に遊ぶすごろくに語源がありそうだ。これはよくできたすごろくで、振り出しから順に丁稚 手代 と上がっていく20マスか30マスめに「あがりちょうじゃ」とあってご隠居さんみたいな福々しい人が、かんざしを一杯頭に飾り立てた花魁とお酒を呑んでいる絵が添えられている。その左側に「ひだりうちわ」のマスがあってこれは、あがりの一つ手前である。ここには布袋さんのような福々しいのが、大きな団扇を使いながらたぶんこれはご新造さんと呼ばれる人だと思うが2人の若い女性とお酒を吞んでいる。上がりの一つ前だから、花魁の見習いをやってるご新造さんが接待をしているということだろう。

 あがりでもひだりうちわでも、ここまでくれば幸せなところです。それで長者の生活といってもいいし、左団扇の生活といっても同じことだからしゃれた言い方の左団扇が定着したと考えられます。

 このすごろくのすごいところは、ふりだしからさらに戻っていくマスも準備されていてふりだしの一つ下が石川島人足寄せ場、さらにずーと下がっていくと佐渡島遠島のマス、さらに下がって獄門のマスがあってさらし首の絵が添えられている。お正月から獄門の絵で盛り上がるのはいいことなのかと心配するし、子供があがりで花魁とお酒を呑む絵を見るとは今ならPTAによって発禁になること間違いないけど、江戸時代はおおらかないい時代だったと見える。これは男の子用のすごろくで女の子用はまた別に準備されていたと思う。何が上がりになるのか是非見てみたい。

 現代では「あがりちょうじゃ」と「ひだりうちわ」にどんな絵が添えられるのか?現代は、上りのない時代になっているのではないか。万人があがりと認めるイメージは何であるか。上がりのない人生は不幸ではないのか。あがりもひだりうちわもない世の中はつらくないか。


断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む②

2022-10-11 11:41:25 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む②

 はじめいろいろ世間に不満があって(それなら自分も同じだが)断腸の思いをしているから日記をこの名前にしたのかと勘繰った。そうでもなさそうで住んでいるところにコスモスの花(断腸花)が咲いていたので自宅を断腸亭と名付けて、日記もこの名前にしたと考えられる。見たことないから予想だけど、腸を切ると中はコスモスと同じような色なのではないか。そこで日本でか中国でかは知らないが、しゃれてこんな名前にしたのではないか。それを自分の日記に採用するとは衒学的というか目立ちたがり屋というかひねくれていることは間違いない人である。

 この人は大変な恥ずかしがり屋なんだけど目立ちたがり屋でもあるという二つの顔をもっていて、その差の大きさに本人が振り回されているのではないか。その二面性は多分誰にでも少しはあって誰もがちょっと困ったことだと認識している。そこでこの日記を読みながら普段の自分を反省するよすがにするのはちょうどいい。

 他人に読まれ後世に残ることを期待する時点でそれは日記とは言えない。多分名のある大政治家はそんな日記を今でも毎日書いているでしょう。後世の研究者が生涯をかけて研究するほど膨大なのもあるかもしれない。そこには適切に嘘とまではいかなくてもちょっと違うように書いてあると思う。しかし、断腸亭日常は(多分書かれなかったことは沢山あるだろうけど)書いてあることはちょっと違うようにする必要はないだろう。違うことを書くことよりも、いかに自分が後世の人の心をつかむか、そのためにいかに美しい文章にするかに注意を傾けたと考えられる。

 酔っぱらって帰ってきても正座して墨で何度も推敲して書いたといいます。墨汁があったのかどうだか知らないけれど、あったとしても多分使わなかっただろう。短い文章ですが墨をするところから始めて何時間もかけて書いたと想像されます。それは、自分の発見した美しい(と自分が思っている)世界を自分一人で紡ぎだす行為であるとともに、他の人後の世の称賛を浴びたいという強い願望に支えられた行動であるように見えます。

 私たちは、アーチストが皆ちょっと変わっているし近寄りがたい雰囲気を醸し出すから変人奇人にしているけれど、どうもそうではないのではないか。自分の紡ぎだした美が世間から受け入れられないかもしれないことを恐怖しているだけではないか。

 ピカソは、独自の美意識を持っていたのではない。他の人が何に美を感じるかを予想して先回りしてその他の人が美と感じるものを作成しておいたのである。荷風もそれに同じであると思う。奇人変人というのは、単なる味付けであって胡椒など香辛料に相当するのではないか。または作品にケチをつけるやつが出てきたときのこちら側の心の防衛のためである。相手が奇人ならケチをつける気も失せる。