やっとわかった「ひだりうちわ」の語源
生まれてからずーと左うちわがなぜ気楽な生活を意味するのか分からなかった。だれも語源を教えてくれなかった。団扇は右手で使った方が楽な気がする。たまたま立ち寄った日銀の貨幣博物館で、やっと語源を知ることができた。
江戸の町人の子供がお正月に遊ぶすごろくに語源がありそうだ。これはよくできたすごろくで、振り出しから順に丁稚 手代 と上がっていく20マスか30マスめに「あがりちょうじゃ」とあってご隠居さんみたいな福々しい人が、かんざしを一杯頭に飾り立てた花魁とお酒を呑んでいる絵が添えられている。その左側に「ひだりうちわ」のマスがあってこれは、あがりの一つ手前である。ここには布袋さんのような福々しいのが、大きな団扇を使いながらたぶんこれはご新造さんと呼ばれる人だと思うが2人の若い女性とお酒を吞んでいる。上がりの一つ前だから、花魁の見習いをやってるご新造さんが接待をしているということだろう。
あがりでもひだりうちわでも、ここまでくれば幸せなところです。それで長者の生活といってもいいし、左団扇の生活といっても同じことだからしゃれた言い方の左団扇が定着したと考えられます。
このすごろくのすごいところは、ふりだしからさらに戻っていくマスも準備されていてふりだしの一つ下が石川島人足寄せ場、さらにずーと下がっていくと佐渡島遠島のマス、さらに下がって獄門のマスがあってさらし首の絵が添えられている。お正月から獄門の絵で盛り上がるのはいいことなのかと心配するし、子供があがりで花魁とお酒を呑む絵を見るとは今ならPTAによって発禁になること間違いないけど、江戸時代はおおらかないい時代だったと見える。これは男の子用のすごろくで女の子用はまた別に準備されていたと思う。何が上がりになるのか是非見てみたい。
現代では「あがりちょうじゃ」と「ひだりうちわ」にどんな絵が添えられるのか?現代は、上りのない時代になっているのではないか。万人があがりと認めるイメージは何であるか。上がりのない人生は不幸ではないのか。あがりもひだりうちわもない世の中はつらくないか。